日替わり定食3つ
「いらっしゃいませー!」
華やかな声に迎えられた。シンプルな紫のワンピースに真っ白なエプロンをつけた美人だ――と見蕩れていたら、その娘は案内もせずに笑顔をすっと引っ込めて奥へと駆け込んでしまった。
その背中を目で追いかけるうちに、あの時と同じ後姿だと気がついた。表情があまりに違ったので最初はわからなかったが、あれはニナの姉だ。
店内に店員らしき人が居なくなってしまい、どうしたものかと思案していたら、布巾を手にしたニナが厨房から出てきた。
「あ、この間の!」
姉と良く似たワンピースの裾を翻してパタパタと駆け寄って来る。
「あの時は本当にありがとうございました」
ぴょこんと頭をさげると背中で長い三つ編みがゆれた。
「え、ええと、今日はお食事していってくれますか?」
「ああ。そのつもりで来たんだ」
そう答えると、黒目がちな目がきゅっと細くなって、苺色の唇から白い歯がこぼれた。
そういえば、笑顔を見たのは初めてだ。この前は青ざめた顔か泣き顔ばかり見ていた気がする。
笑顔のこの子もすごく可愛らしい。
「そ、それじゃあその窓側の席にどうぞ!」
先導するニナの腰で、エプロンのリボンがひらひらと揺れる。
大きめの窓からたっぷりの日差しが降り注ぐ明るい店内。
すでに日は傾いてその光は橙色だったが、その温かみのある光がこの家庭的な店をより居心地の良いものに変えてくれている。
すごく良い店だ。あの姉の事を除けば。
「ニナちゃん、うれしそうだねえ。彼氏かい?」
ティトの隣の席に座った、年取った商人風の男がにやにやと声をかけてきた。ニナは頬を染めながら馴染み客らしいその男の前へ向き直る。
「もう、おじさんったらすぐにそういう事言うんだから! この人は私の恩人なの。
――パパ、この間の軍人さんが来てくれたわよ!」
ニナが奥に声をかけると、厨房らしき場所からあの父親が出てきた。
今日はあの日の強張った顔とは違う穏やかな笑顔で、やはりこの人に疑う所はなさそうに見える。
「これはこれは。
あの時はおもてなしもせずに失礼いたしました。無事にお帰りになれましたか?」
「はい。今日はその――」
「ティトぉ?」
突然背後から名前を呼ばれた。
「カイ!」
入り口からで驚いた顔をして手を振っているのは宿舎で同室のカイだった。砂嵐の日にティトを救ってくれたのもこの友人。ティトとは所属こそ違うが、同じ年で入隊も数ヶ月違いということもあって王都に来て初めて出来た友人だった。カイはティトに駆け寄ると人懐っこい笑顔でティトの肩を叩いた。
その後ろから着いてきたのは、背が高くてシグマ副連隊長を思い出させるほどがっしりした人だった。
しかし目は柔和でシグマほどの威圧感はない。
「おう。この間の第二連隊の――」
その言葉でようやく判った。砂嵐の日にカイと居た人らしい。あの時はフードにマスクで目しか見えなかったために顔はまったく覚えていなかった。
「ティトです。先日はお世話になりました!」
「第七連隊第八中隊長ジアード・ソヘイル・レザーだ。一緒にいいか?」
「はい!」
3人が席につくと、店の主人は「ごゆっくり」と言ってまた奥に引っ込んだ。
「レザー中隊長は、俺が入隊した時からお世話になってる人なんだ」
ティトの向かいに座ったカイがレザーを誇らしげに見上げると、レザーはカイの頭をぽんぽんと軽く叩く。
「すっかり俺の腰ぎんちゃくなんて呼ばれてるらしいな」
「やめてくださいよ」
そういう割にカイはなんだか嬉しそうだ。
「ええと、ティトだっけか。第二連隊は大抵西町で飲んでるだろ? こっちに来るなんて珍しいな」
「実はあの砂嵐の日に、こちらのお嬢さんと知り合ったものですから……」
「ラナと?」
ラナは、あの姉の名だ。レオナに渡された報告書で見ている。
「いえ、ニナさんの方です」
そう答えると二人は意外そうな顔をした。
「あの大人しい子とねぇ」
「砂まみれで立ち往生してたから、他人とは思えなくて送って来たんです」
「――ぶっ!」
吹き出したのはカイだった。きっと半泣きになったティトの姿を思い出したのだろう。ひとしきり腹を抱えて笑った後、妙に納得したように言った。
「そりゃ他人事じゃないわ。あの時のお前も酷かったもんなあ!」
「……もう触れないでくれよ」
視線をそらせると、困ったような顔をしてこちらの様子をうかがうニナと目があった。
「あ、あの、ご注文は……」
慌ててメニューを探すティトを見て、レザーが助け舟を出した。
「ティトも一緒でいいかな。――ニナちゃん、日替わり3つで」
「ここはさ、俺の故郷の味なんだよね」
厨房の方を見ながらレザーが言った。
「レザー中隊長はどちらのご出身なんですか?」
「南の辺境だよ。中央山脈の麓」
そういえばあの報告書に、この店の創始者であるニナの曽祖父もその辺りの出身だと書いてあった。
「それより、俺のことはレザーでいいよ」
「そ、そういう訳には」
「シグマやペールは呼び捨てだろ?」
突然聞きなれた名前がでてきて、思わず「え」とも「へ」ともつかない間抜けな返事をしてしまった。
レザーはよくペール達がするような唇の片端をゆがめる笑い方をした。
「俺も最初は第二連隊に居たんだ」
「ああ、それで」
軍人にしては妙にフランクな訳がわかった。
「俺が入隊した頃からいるやつはあの二人とガルドー爺さんくらいになっちまったのかな。
4年前のサザニア侵攻で半分になっちまったから」
「それって、レオナさんが昇進したきっかけの?」
「あー。そうとも言うか。
俺が第二連隊を抜けたのはそれよりも前の事だったからその人の事は良く知らねえんだ。
しかし、昇進っていうのもどうなのかなあ。あれは第二連隊の暴走で相当な修羅場になって、全員処罰される寸前だったってきいたぞ」
レザーの話はティトが噂で聞いていたのとだいぶ違う。故郷で聞いた話では、当時の将軍から密命を受けたレオナが第二連隊を率いて快刀乱麻を断つ勢いで敵国の大軍勢を蹴散らしたという事だった。いくらなんでも物語的過ぎるとは思っていたが、やはり脚色だったのか。
「なんでもその処断寸前に、総大将を務めていた王子――今の国王が、なんとか取り成して命を永らえたからそれ以来第二連隊は国王の狗になったなんて謂われててな」
「狗……ですか」
初めて聞いた話だ。しかし第二連隊の者と話していても特別国王を賛辞する様子もないし、国王に絶対服従という意味ではイーカル国軍全てが狗なんじゃないかもと思うのだが。
思ったことが顔に出ていたのだろう。レザーは愉快そうに笑った。
「俺は古巣だから噂に過ぎねえって知ってるよ。そういう事を言う奴もいるって事だ。
――なあ、ラナ」
いつの間にかあのニナの姉が隣に立っていた。
いらっしゃいませと言った時の笑顔とそっくりなのに、目はまったく笑っていない。
「軍人さんの事情なんて知らないわ。日替わり定食お待たせしました」
トレイに乗った料理を3人の前に並べると、作り笑顔のまま去っていった。
日替わり定食というのは、調味料に漬け込んだ肉を焼いたものに、付け合せの温野菜とパン。それに何度でもお代わりして良いというスープのセットだった。
外食にありがちな濃い目の味付けではなく、やや薄めなそれは実に家庭的で……
「美味しい」
しみじみと呟く。
「だろー?」
得意げにレザーが笑った。
「お袋の味みてえなんだよな。家で食ってたのは肉じゃなくて魚を使うんだけどよ」
「レザーさんの家はお金持ちなんですね」
砂漠の真ん中にあるこの国では魚は手に入りにくい。
「いやいや、南じゃ肉の方が高いんだ」
なんでも中央山脈の雪解け水が流れ込む大きな湖があって、そこには両手を広げたくらいの大きな魚が食べきれないほど泳いでいるらしい。だからわざわざ手間をかけて育てなければいけない肉類はとってくるだけの魚の何倍もの値段になるという。
そしてそこでは野菜も常に何種類も取れるから、この料理も元は肉と付け合せの野菜ではなく、たっぷりのサラダの上に焼いた魚を乗せて食べるという物だったとか。
ティトの故郷は魚こそ採れないが野菜は豊富で、やはりサラダの上に焼いた肉をのせる料理があった。そんな事をいうと、カイがうらやましそうな顔をした。カイの故郷は水の貴重な荒地のど真ん中なので野菜はこの町よりも更に少なかったのだそうだ。
それぞれの故郷の話をしながら、ふと背後を見ると常連らしい客とラナが笑顔で何か話していた。
――あの人も普通に笑うんだ。
笑顔はやはり、ニナと似ていた。
「ラナさん、美人だよな」
ティトの視線に気づいたカイが囁いた。
「うーん。ちょっと目がキツイ」
「そうかあ?」
カイは首を傾げている。
確かに、こうして遠くで見ている分にはただの美人なんだけど。
「どうして睨まれるんだろうなあ――」




