報告書
「失礼します」
軍部3階にある第二連隊連隊長執務室。
そこがレオナの部屋だった。
壁に貼られた大きな地図。反対側の壁には一面の本棚。中には歴史を感じる装丁の戦術論の本や歴史書、書類を入れた封筒なんかが並んでいる。
そこまではいい。そこまではいいのだが
「何やってんですか?」
「あ、いや、これはっ」
「……やさしいイーカル語」
書き物机に向かっていたその部屋の主が慌てて隠そうとした本のタイトルを読む。
「子供が使う教科書ですよね、それ」
「うぐ」
「俺も5歳の時に読みました」
「……5歳」
「まさかとは思うけど、隊長って字書けないんですか?」
「か、書けるよ! 少しは!」
「イーカル国軍第二連隊……って書いてみて下さい」
「いーかるこくぐんだいにれんた……」
「2って言う字、左右が反転してます」
「え、そうなの!?」
それに、前にも思ったが、今日もペンの持ち方が怪しい。
よくそんな持ち方で字が書けるなというレベルだ。
「その本棚の本ってもしかして飾り?」
書き取りがこれじゃ絶対に読めていないだろう。
「それは代々第二連隊長に受け継がれている軍の備品だよ。オレの私物はここだけ」
本棚の下部の戸棚に『やさしいイーカル語』をしまい込む時、背後から覗いてみた。
「『わかりやすいイーカルの歴史』に『大陸共通語入門』……どちらも子供向けですよね」
「う、うるさい……」
睨みつけるレオナの頬が赤くなっている。
気がついてしまった。なんて隙だらけなんだろう。この人をからかうのは結構楽しい。
「俺の通っていた学校にもありましたよ。その2冊」
「……また5歳の頃にとか言うんだろ」
「さすがに歴史は10歳でした」
レオナの肩が落ちた。
よほど落ち込んでいるらしい。
これはさすがにフォローすべきかと思い始めた時、レオナはぴょこんと頭を上げた。
「ん? ってことはティトは大陸共通語を話せる?」
「話せますよ。俺の住んでいた所は元々ウォーゼル王国だったから」
そこはイーカル国と隣国が取ったり取られたりを繰り返しているところで、直近では20年ほど前にイーカルが武力で奪い取った土地だ。その隣国では公用語が大陸共通語であったため、両親や祖父母はイーカル語が殆どしゃべれない。ティトが話すイーカル語は、5歳から去年までの10年間に学校で習い覚えたものだ。
「いいなあ。オレも勉強しないといけないんだけど、全然進まないんだ。これからは判らない所はティトに聞こう」
「まあ……イーカル語もちゃんと読み書きできないんじゃ無理ですよね」
レオナは溜息をつきながらそっと『やさしいイーカル語』の入った戸棚を閉めた。
「それにしても、被征服民の俺よりイーカル人のレオナさんの方がイーカル語を読めないなんて皮肉だ」
「学校なんてオレの村には無かったし通う余裕も無かったんだ。5歳っていうとちょうど剣術教室に通い始めた頃だよ」
「学校は無くてもそういうのはあるんですね」
「この国には戦以外ないだろ。だから武術の教室には通わない子の方が少ないんじゃないかな?」
特に国境に近いレオナの村では、いざという時には老若男女問わず戦えるようにと、言葉が話せるようになったらまず剣術教室に通うものだったという。
占領教育が優先されたティトの故郷とは随分事情が違うらしい。
「同じ国でもそれぞれなんだなあ。
――ところで、俺を呼んでるって聞いてきたんですけど」
「ああ。これ見てくれる?」
レオナが机の引き出しから取り出した紙の束をティトに渡した。
「母国語すら書けないオレが読み上げるより、賢いティト君が読んだ方が早いだろ?」
「嫌味っすか」
軽口を叩きながらそう厚くない書類にざっと目を通す。
「この間の家族ですね」
「報告書をもらったから一応ティトにも見せておこうと思ったんだ。
ニナちゃんの曽祖父の代で王都に移り住んでからずっとあの場所で食堂をやっているみたいだね。安くて量があって味もそこそこっていうんで、結構はやってるみたいだよ。
あのお姉さん本人は勿論、親族にも逮捕歴のない善良な市民。客と周辺の住人、それに食材なんかを扱う業者以外との付き合いは殆ど無いらしい。周囲の評判はとても良い。それから、確認できた限りでは、親族に軍関係者はいない」
報告書に書かれている事はレオナの要約に数字や日付と個人名が入った程度のものだった。どう見てもどこにでもいる町人。
「第二連隊との接点もなさそうに見えるんだけどなあ」
レオナはティトから報告書を受け取りまた引き出しにもどし「取り合えず継続調査は保留にする」といった。気には留めておくつもりだけれど、今度大きな案件が入るのでレオナ自身がこの件に関わっている余裕がなくなりそうだという。
「――俺、今日ちょっと行って来ようかな」
ティトの呟きを耳にして、レオナが顔を上げた。
「何しに?」
「そりゃ食堂でしょう。飯食いに」




