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イーカル国 王都日記  作者: 井波
出会いは砂嵐
11/29

父と姉

「お姉ちゃん、お姉ちゃんってば」

 ニナは先ほどからずっと扉を叩いているのだが反応はない。

「私を助けてくれた人にああいう態度ってよくないと思うの!」

 姉は妹の恩人に礼すら言わず、店の二階へ駆け上がってしまった。

 何故そんな事をしたのかと姉に話を聞くため、彼らが去ってからすぐにここ――二階の姉妹が共用する部屋へ来た。しかし、鍵が掛かっていて入ることができない。

 姉は正直言って大人しい性格ではない。どちらかというと気が強い所がある。でもよちよち歩きの頃から接客業をしているだけあって、その性根を隠すのも上手だ。チンピラが来ようが、酔っ払いに絡まれようが、にこにこ笑顔で応対できる。それは感情が表情にすぐ出てしまうニナにはどうしても出来ない姉だけの特技。


 なのに、まだ言葉も交わしていない、それも妹の恩人に対してあの態度は、おかしい。絶対におかしい。


「お姉ちゃん!」

 怒りと不安と心配がない交ぜになって、涙がこみ上げてきた。

「なんなのよぅ……」

 目をこすっていると、後からついてきた父がニナの肩を叩いた。

 薄闇の中、父はにっこりと笑ったようだった。

 そして姉の閉じこもる部屋の扉を静かにたたいた。

「……ラナ。そのままで良いから、聞きなさい」

 父の穏やかな声は、神官の声のように厳かに、静かな廊下に染み渡っていく。

「ラナ。家族の恩人にあの態度は良くなかったんじゃないかな」

 今頃姉は、きっと子供の頃のように布団を被って丸くなっているのだろう。何か失敗したり両親に叱られると必ずそうしていた。姉は作り笑顔じゃない『不細工』な顔を見られるのを極端に嫌うから。

「初めて会った人だろう? 理由も言わずにあれじゃ、きっと驚いて、悲しくなったと思う。

 私はラナが礼節を持った人間だと信じてる。次に会ったら、必ずお詫びとお礼を言うんだよ」

 勿論姉からの返事はない。

 だけど、父は話を切り上げてニナの背を押した。


 階下の食堂は、いつもと違って小さなランプがひとつだけ。窓際のテーブルでちろちろと頼りない光を放っていた。

 父が厨房でお湯を沸かし始めるのを横目に、ニナはランプの前の椅子に崩れ落ち、溜息をつきながらテーブルにつっぷした。

「あの人たち、無事に家に帰れてるかな……」

 独り言のつもりだったのに、父は聞いていた。

「大丈夫だよ。風ももうだいぶ収まったようだ」

 そういえばガタガタと戸や窓をゆらしていた音が今はしない。

「あの軍人さんがマントを貸してくれたんだろ? 若いのになかなか出来た人じゃないか」

 そういえば、ずっとニナを支えてくれていたあの人。外に居た時はそれどころじゃなくて気がつかなかったけど、落ち着いて初めてまともに見た顔は、まだ10代――ニナと同じくらいの年に見えた。

 そして一緒に居た濃紺のマントの人は20歳くらいだろうか。

 店についてからは慌しく帰ってしまったのでマントやフードを取った姿は見れなかったけれど、砂嵐の中で見た顔は軍人さんよりも年上の女性に見えた。


 ――あの二人。5歳くらい違うのかなー。


 今14歳のニナでいうなら、9歳の男の子と付き合う。それって向かいのパン屋さんのちびっ子位? 絶対無理だ。

「どんなに出来た人でも、年下の彼氏って想像がつかないなー」

「あの二人は恋人なのかい?」

「……違うのかな」

「パパは違うんじゃないかと思った」

「でも姉弟とか親戚じゃないでしょ」

 顔のつくり以前に、髪や目の色も全然似てない。

 そういうと、パパはそれにあっさりと同意した。

「じゃあパパはどういう関係だと思うの?」

「あの女の人が着てたマントは、古いけど良いものだったよ。だから、貴族の令嬢と護衛の人かと思ったんだ」

「そう、なの?」

 父の人を見る目は信じるが、あの人はあまり貴族っぽくない。

「ニナにはそうは見えなかった?」 

「――だって髪短かったし」

 ニナの知る限り女性の多くは長い髪をしていて、高貴な人ほどその傾向が強い。少なくとも中央通りで見かける貴族のお嬢様は、皆長くてふわふわした髪をしていた。

「結い上げてたんじゃないのかい?」

 そういえば父はあの人のフードを取った姿を見ていなかった。

「髪の毛、パパくらいの長さだったよ」

「じゃあ違うのかな?」

 力仕事に従事する女性の中には短髪の人もいるが、そういう人はそんな『良いマント』は買えないだろう。他に短髪にする仕事といえば、カツラをつける王立劇場の女優か、戦女神の巫女――?

 女優にはパトロンがつくことがあるし、巫女は良家の出が多いから『良いマント』を持っているかもしれない。

 ただ、どちらも護衛はつかないだろうから、そう考えるとあの二人はやはり恋人同士だったのか。

 そんな事を考えていたら、父がコトリと音を立ててテーブルにカップを2つ並べておいた。

「……この匂い、ママのお茶……?」

 店で出しているのとは違う、家族のためにブレンドされた薬草茶だ。

「ヤーサ……と、サフルール?」

「ニナは鼻が良いね」

「なんでパパが持ってるの?」

「持ってちゃ駄目なのかい?」

「……どっちも女の子用の薬草よ?」

 ニナも専門知識を持っているわけではないが、月のものに関する痛みや不調を和らげる薬草茶なのだろうと予想する事はできた。

「へえ……」

 父は夕焼け色のお茶を珍しそうに眺めた。

「僕はそういう事は良く知らないんだ。ママが詳しいからついつい任せちゃってね。

 これって、男が飲んだら毒になるという事はないよね?」

「……多分。ヤーサはよく心を落ち着けるお茶に入っていて男の人も飲んでるし」

「お茶置き場の一番奥に入ってたんだ」

 父はその香りを楽しむようにゆっくりとそれを口に含んだ。

「そういえば、ニナがこの店を手伝ってくれるようになって、もう3年になるんだっけ」

 こくりと頷いた。

 それまでは父と姉と、それに祖父母が切り盛りしていた。

 まだ小さかったニナはすぐ近くの母方の祖母の元に預けられる事が多かったのだが、4年前に祖父が、3年前に祖母が相次いで亡くなって人手が足りなくなったので手伝うようになったのだ。

「最初は恥ずかしがって注文を取ってくるのもできなかったのに、いつの間にか一人前になってくれて今はすごく助かってるよ」

「それって最初は戦力外だったって意味じゃない」

「あはは。ごめん」

 今日は、姉も父も、なんだか良く分らない。

 なんでいきなりそんな話をするんだろう。



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