そういえばそんなことも――いや、やっぱない
結局、俺は妖狐は近くの竹林に逃がしておいた。もう悪さをするなと言い聞かせ、ついでに暇があったら俺の所に遊びに来てもいいと俺の家の場所を適当に教えておいた。よし、フラグは立った。後は待つだけだ。
緩む頬を制しながら竹林を出る。
「待ったぞ、剣道少年」
「待たせたな、空手少女」
何故か竹林の前で仁王立ちしていた見知らぬショートカットの少女に対して、俺は不敵に笑いながら返す。誰だこいつ。
「副部長から捕まえろと言われてるから、覚悟してもらうよ」
そういえばそんなこともあった。妖狐に心奪われていたせいでうっかり忘れていた。
「そうかそうか、あの副部長、胸はそこそこ大きかったからな、楽しみだ」
「なっ――!」
空手少女は顔を真っ赤にしながら絶句する。しまった、仲間内だと割と皆平気なのだが、他人から言われるのは少し恥ずかしいのだろう。女心は難しい。
「今だ!」
とりあえず気まずさを払拭するために少女の脇を通り抜けて走り出す。
「なっ! ま、待てっ! この変態!」
「ちげーよ! ちょっとしたジョークだよ!」
「信じられるか!」
「うるせえ、俺を信じてみろ!」
最後だけ聞けば俺、今ちょっとかっこよかった。
とりあえず、俺の自慢の足の速さで振り切れたようだ。俺にはヘルメスの加護があるのだろう。世界陸上を目指してみようかな?
走り疲れたので、校門を守る空手道部員を突破し近くのコンビニへ入る。7と11の24時間営業のコンビニだ。随分前からレジの横に100円からコーヒーが飲める機械が置かれ、大変喜んだものだ。うん、ちょうど100円玉がポケットにあった時なんか嬉しかったね。ファストフードよりコーヒーを俺は選んだ。
「あれ、京典じゃん」
「違う違う、人違いだって」
アイスがざらざら入ったカップを一つ手に取り、レジへ向かう。ポケットにあった100円玉をアルバイトのお姉さんに笑顔で渡す。因みにお姉さんが話しかけてきた。
「ふーん、そう。じゃね」
「ああ、頑張れよ」
適当にやり取りしながら会計を済ませる。数歩先にあるコーヒーメーカー的な黒い物体に近づき、Mサイズのアイスコーヒーを要求しながら横の棚に置いてあるガムシロップ一掴みとミルクを一つ頂く。
そして、さりげなくスティックシュガーを10本ぐらいポケットに忍ばせる。
一瞬レジのお姉さんの視線がコーヒーメーカ越しに鋭くなったのがわかった。お前何、透視能力でも持ってんの?
出来上がったコーヒーにミルクを入れ、どばどばとガムシロップを突っ込んでいく。容器を軽く振って適当にかき混ぜながらコンビニを出ようとすると、ショートカットのうちの高校の女生徒が扉の前で仁王立ちしていた。腕章の色からして、また2年生らしい。3年生の先輩はいつ登場するのだろうか。
デジャヴ。
どこの誰だか知らないけど、自動ドアじゃないのだからどいてほしい。
「ちょ、すいません」
一口コーヒーを口に含みながらどけと手で示す。
「あ、ごめん……じゃなくて! やっと捕まえたわよ!」
「なんだとっ!? 貴様、まさかあの時の……!」
とりあえず声と台詞だけは緊迫感あふれる様子な俺。他の部分はコーヒーを飲むのに忙しいようだ。
ショートカットを無視してコンビニを出る。じめっとした空気が俺を出迎えるが、右手にアイスコーヒーを装備した俺は今や最強。魔王が攻めてきてもアイスコーヒーを口に含みながら平然と交渉するだろう。そして、頭の足りない魔王に話で事を解決しようとした自分の行動を後悔しながら死んでいくに違いない。勇者早く出て来いよ、人が死んだぞ。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
「なんだよー? 2年だろー、お前ー。童顔なんだから命令するなよー」
いかにもやる気がありませんと言う様子で返事をして見せる。振り向くとがしゃ、と手の中で氷が崩れた。
「は!? 意味わかんない! じゃなくて! あんたを副部長のとこに連れてかないとなの! わかる!?」
「さっぱり。理由は?」
「え? いや、聞いてないけど……」
「じゃあなおさらだ。用もなしに呼ばれたんじゃ行く価値もない」
甘ったるいコーヒーを口に含む。
「用があるから呼んでるんじゃない!」
ちっ、気付かれた。
「理由を聞かされてないだけ。いいから来てくれる?」
「言っておくけど、俺は空手道場に侵入したけど特にこれと言ったものは見つからなかったぞ。すごく残念」
「この……っ」
怒りを堪えるように彼女の拳はぷるぷると震えていた。
背中を見せたらやられる……! せめて殴った本人が腰を抜かすぐらい派手に吹っ飛ぶか。
「さらば! いつかまた見えん!」
「あっ! えっと……」
ふはは、考えるより動いた方が速いんじゃないのかい? ま、追い付くわけないだろうけど。
「だるまさんが転んだっ!」
「何だと!?」
これは止まるしかない。
残りのコーヒーを一気に流し込む。体を半身に開き、ずざざざーと急ブレーキ。
…………。後ろにだるまいるから止まる必要なくね? それとも前に回り込まれてしまったのだろうか。振り向く前に、後ろから抱きつかれた。
「捕まえたっ!」
「ぐあ! 色々と卑怯なり!」
胸とか背中に当たってるし、勢い余って押し倒され気味だし。何故に背中から抱きついた!? 普通に走ってれば背中じゃなくて俺の右腕に抱きつくでしょ! むしろ抱きつく必要ないよね?! しっかりホールドされちゃってるから抜け出せないし、耳元で聞こえる呼吸音と顔にかかる柔らかい髪の感触と匂いにどぎまぎしてしまい簡単に倒れてしまった。
意外と軽かった。
「……重くないけどどいて」
「あたしは先輩なんだから敬語つかいなさいよ」
「だが断る」
もぞもぞと体を動かすと、胸の感触が更に背中に伝わってきた。反則だろ。
「せんぱーい」
「何よ」
「……愛してるからどいて下さい」
「ななな、なにそれ、ととっ、遠巻きなこく……」
「むにゃむにゃ」
知らんぷり、知らんぷり。なんか上の人の呼吸が荒くなってきてるけど気にしない。
「ちょっと、周りの目が痛いんだけど……」
「え? え、ああっ!」
慌てて上の人が起き上がる。
「ごふっ!」
その拍子に地面に俺は押し付けられ、鼻を地面に打った。折れてない? 折れてないよね?
とりあえず、解放はしてもらった。鼻を庇いながら立ち上がり、服に付いた埃を叩きながらこそこそと立ち去る。
「ちょっと、何処行くのよ」
「家に帰っちゃ駄目、ですかね?」
「駄目に決まってるじゃない! あたしに捕まったんだから言うこと聞く約束でしょ!?」
「あー、そういえば……うぇ?」
いつからそうなった? むしろ、どうしてそうなった? 副部長とやら、試合に持ち込んで竹刀で殴ってやる。
「そういうことだから早く来なさい!」
「わかったから叫ぶな、な?」
コンビニに外付けされたゴミ箱にプラスチックのカップをスローイングしながら答える。あ、氷入ったままだった。
のろのろしてると野次馬が集まってきそうなので、いや、もう手遅れ気味だが、急いで校門をくぐる。
「何処? 空き教室? 俺尋問されるわけ?」
「だから、呼ばれてる理由は知らないって言ってるでしょ」
「えー、ひどいー」
間延びした調子で話してみる。やる気ない。行く気ない。生きる気満々。
「あと、その……」
ショートカットの先輩がもじもじと何か言いたげにする。面白そうだとわざわざ立ち止まり、先輩の顔を真正面から見る。
さっきも言ったが、童顔で可愛らしい顔だ。きちんと手入れがされた黒髪に、透けるように白い肌。おい、長髪じゃないのかよ。
ただまあ、性格が残念。先輩としての威厳が感じられない性格だ。癒し系って言うのかもしれないけど、タイプじゃないな。まあ、胸はそこそこあった。俺の元カノなんか――。
背骨が凍りついたかと思った。小雪の呪いだろうか。すんません。
「えっと、その、なんと言うか……」
せんぱいがこちらをじっとみつめている。
別に仲間になりたそうにはしていない。
意を決したようで、先輩は口を開いた。
「えっと、いいよ……」
「……はい?」
急にどうした。胸を触ってもいいという事だろうか。俺、ひんにゅーにしか興味ないかもー。小雪は関係ない。
「だから、さっきの告白」
あれ違う、ただの冗談。告白なんてしてない。してないけど、告白したことになってたのだろうか。めんどくせー。気が強いんだか及び腰なんだかよくわかんない人だな、この人。
「ん」
返事代わりに手を頭に乗せる。お前は俺より下だとアピール。なし崩し的に彼女が出来てしまったようだが、たぶん小雪さんが知ったら殺されはしないだろうけど呪われる。勝手に告って、しかも勝手に振っといてなんだあいつは。
悪寒がしたので先を急ぐことにした。
もっとこう、ねえ? 俺、体育館裏で告白するの、憧れてたのに。いや、夢はまだ捨ててはいけない。もしかしたらするのではなく、されるかもしれない。それを期待して待っておこう。