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2014.02.24 細かい文章表現を訂正しています。
まどかはとっさの出来事で対抗できずに、腕と腰を捕まれて体をぐるんと回転させられた。
フェンスがまどかの背に当たり名越との立ち位置が先程とは逆になっている。
「ちょっ急に何を…!?」
そう口走るのがやっとであるまどかの右頬を、名越の腕時計がかすめていった。
名越が腕を突き出してまどかの頭のすぐ後ろのフェンスをつかんだのだった。
フェンスのきしむ音とともに、息がかかる距離まで色気全開の顔が近づいてくるので、まどかは必死に声を上げた。
「近い近い!!」
すると名越は弾かれたように両目をぱちくりと開き笑った。
「ククッ!そういうリアクション初だわ。」
「ちょっと!女子なら全員あんたに墜ちると思ったら大間違いだって。私、名越君タイプじゃないし。」
「望月も始めはそう言ってたけど?」
「えっ!へぇ~…」
まどかは驚きつつ、どんな女でも墜とせると自慢する割に名越の目の奥には、虚無が潜んでいるように感じた。
「ああ、望月の持つ魅力が知りたいんだったよな?始めは俺の見た目と財力に関心がなかったところかな。けど、ちょっと押せば簡単に倒れたから残念。西上はどうだろうな?」
名越は相変わらず顔を至近距離に近づけたまま、まどかを挑発した。
「ということは、彼女である早乙女さんとは心から惹かれあっているんだ?」
てっきりまどかが反発してくると決め込んでいたのか、名越は何を言われたのかピンときていないようだった。
まどかは冷静に続けた。
「つまりね、名越君は見た目と財力に無関心な女子が良いわけだからさ、あとは性格くらいのものでしょ。そういうのが彼女にする条件なんだよね?」
「…。」
名越は数秒無言になり、ゆっくりとフェンスから手を離すと投げやりにつぶやいた。
「考えた事ねーな。俺、中身がクズだから。」
「え!自虐はやめてよ、いきなりどうしたのよ?」
まどかは、名越の想定外な反応にうろたえる。
「お前の彼氏はいいオトコなんだろうな。」
「は!?いやいや、別に良くないよ。っていうかいないし。そんなことどうでもいいから!話が飛びすぎ!」
名越はどこか諦めたような表情で、慌てふためくまどかを見て微笑んだ。
「西上の前ではキャラ作っても無駄だな。色々見抜かれてる気がしてさ、もう馬鹿馬鹿しくなってきたわ。そーだよ、俺は見た目と財力だけの人間。」
ズルズルと座り込む名越を横目に、まどかは何と声をかければいいのかすぐに思い浮かばない。
爽やかなイケメンモテ男が、裏で卑屈になって劣等感にさいなまれる姿は見ていて痛々しいので一喝してやりたくなったが、高校生くらいの年齢だとこういった悩みはつきものだとも思う。
むしろ名越のように自己の内面を見ようとはせず、気付かぬまま社会に出てしまい、幼稚な醜態をさらす大人の方が嫌だ。
自分だってたかが失恋が理由で退職したクズなのだ、とまどかは自身を戒めた。
それでも何とか日常を取り繕ってやり過ごしつつ、自分をつくっていけばいいのだから。
「名越君。見た目と財力をただ持ってるだけだともったいないから、利用するのは良いことだと思うんだよね。抱ける女をたくさん引き寄せるのって誰でもできる技じゃないし。」
名越はまどかの発する言葉をじっくり噛み砕くように黙って耳を傾けている。
「どうせなら抱ける女じゃなくて、使える人間をたくさん引き寄せて味方にして、世間からすごい!って尊敬されるような事やって自慢しまくるの。どーだすげーだろ俺!って。」
まどかが話し終えると、いつの間にか吹奏楽部が演奏をしていたようでその音色がひときわ大きく聞こえた。
昼休みという短い時間でも練習をするなんてこの学園の吹奏楽部は強豪なのだろうか。
聞いたことのあるクラシックで曲名は分からないが、なんだか気持ちが和やかになるような調べである。
名越が無反応なのをいい事に、まどかはその音色に聞き入ってリラックスしていた。
「お前、いくつだよ?」
瞬間、まどかは心臓が飛び出すかと思った。
「あっあ、女子に年齢聞いちゃだめなんだよ~!!」
まどかは上ずった声で機転の利かない事を叫んだ。
「同い年だろ。そういう考え方どこで身につけたんだ?親はどんな会社?」
落ち込んで脱力していたはずの名越はいつの間にか立ち上がっていて、何やら真剣にまどかを見据えている。
「あれれれれれれ?そういえばあたしら何を話しにきたんだっけ?もう昼休み終わるんじゃない?」
まどかはそう言いながら素早くその場を離れ、出入り口の方へ不自然なスキップをして行った。
「おい待てよ!」
まどかがドアノブに右手をのばしかけたところで、名越に後ろからまたもや左腕の方をつかまれた。
「いたたっ、何?名越君はもう浮気をやめて早乙女さん一筋でよろしく。というわけで話は以上!教室に戻ろうね!!」
営業スマイルでそのまま強引に前へ進もうとするまどかに、名越は不思議そうに一瞬だけ目をそらした。
「あのさ。俺と早乙女が仲良くすることが、西上にとって何かメリットにでもなるわけ?」
まどかは今度こそ心臓が飛び出したと思った。
「え?メリットだなんて、ないない。」
「じゃあ何故?早乙女に何か命令でもされてんのか?」
「ううん。」
「だよな。たとえ早乙女が何かムチャブリしてきたとしても西上がおとなしく従うとは思わないけど。」
まさかこんなところで年齢と"仕事"に勘付かれるわけにはいかないので、まどかは極力冷静に返答するが、名越は納得するまでまどかを解放することはないだろう。
正体を見破られないためには、嘘で塗り固めるより真実に基づいたエピソードの方が現実味を帯びて良いのでは、とまどかは仕方なく口を開いた。
「その、私は、最近彼氏にふられたから、二人がうらやましいの。早乙女さんがね名越君への純粋な恋心を聞かせてくれてさ。それなのに浮気だなんて、許せなかったのよ。」
名越がわずかに息をのんだ。
「…。そうだったのか。」
まどかは自身がどんな顔をしているのか気になったが、名越がちゃんと納得してくれたようなので、これ以上の追及は免れそうだと胸をなでおろす。
「西上がふられるとか、信じられねぇ。」
「えっ?私、嘘ついてないよ!」
「あー、そうじゃなくてさ。こんなイイ女をふる男がバカなんじゃないかってことだよ。」
まどかは大げさに噴き出した。
「あははっ!名越君うまい事言うねえ!」
「茶化すなよ。今も好きなのか?そのバカな元カレ。」
「ううん。」
「それでいい。お前が惚れる奴なんだからすげーイイ男のはずなのに、西上を手放すなんて本気でバカだわ。」
「ちょっと、そんな、バカバカ言わないでよ…。そこまでバカじゃ、ない。」
「ひきずってんじゃねーか。」
名越のかすれた声を聞いて、まどかは「違う」と答えて会話を終わらせるつもりが押し黙る形となってしまった。
もう終わった事なのに、明るく笑い飛ばせずまだ吹っ切れていない自分がふがいない。
すると名越はどういうつもりなのかまどかの耳元に唇を寄せ、
「ごめん、辛い事言わせた。」
身体の芯に響く艶やかな低音で、ゾクッとまどかの全身を逆毛立たせた。
まどかは不本意にも視界がにじんできたので、名越の顔を見ないように顔を上げ空を見つめる。
このまま何も言わずにやり過ごすのが一番良いのだが、名越はまだまどかの言葉を待っているようだ。
「…次は年が近くて誠実な男であればいいわ。こっちは真剣だったのに何よ俺じゃなくても大丈夫って。」
心の奥底に触れてしまった今となっては"女子高生"を演じる余裕がなく、まどかはつい本音を漏らしてしまった。
「え?それって…西上の元カレは大学生とか社会人だったのか?」
名越はまどかの反応を見てそれを肯定と受け取ると、浮かない顔つきになった。
「遊ばれたのかよ。っつーことは、俺みたいな男は敵?」
まどかはそれを聞くと、まるで心の奥底に力づくで沈めておいた感情の詰まった箱が開いたような気がした。
数年前から最近までただ一人の人を想い続けた日々が、他人からすると「遊ばれた」の一言で片づいてしまう。
ふつふつと怒りが込み上げ、まどかは名越の脇腹を押した。
名越がよろめくと、まどかは勢いよく距離をとった。
「そーよ、遊ばれた。けど、あんたの遊びとは違う!大人はね赤ちゃんができたらどうなるかちゃんと分かってるから慎重に相手を選んできちんと避妊するわけね。真面目に遊ぶのが大人なの。」
突然感情をむきだしにしたまどかに名越は戸惑いの表情を見せた。
「少なくとも、あんたより仕事はできたわ。有能でね。部下の良いも悪いもまとめて会社の利益を上げていくのが最高にカッコ良かったんだから!バカじゃないでしょう。あ、それに比べて誰かさんは先生の言うとおりにしていればいいから楽でいいわよね。」
まどかは地雷を踏まれたかのごとく、現在の仕事の事も忘れて口が止まらなくなった。
名越は、後半部分が自分を指している事にワンテンポ遅れて気づくも、反論の隙を与えられないでいる。
「そうだ!内申書には生徒会長やりましたって得意げに書くんだろうけど、進学先就職先に過大評価されて苦労しそうだね。実際やったことないんだから。」
「お前…!」
「役割果たそうとしない少年が一人前に女抱いていい気になるんじゃないわよ!どうせ望月さんの時もその場しのぎの快楽一本で妊娠の可能性なんて考えてなかったんでしょうよ。」
その少年は一瞬怒りを露にしたものの、茫然としている。
そんな名越を目にして、まどかはため息をつき背を向けた。
「私も。ガキだわ。」
ふと正気に戻り情けなくなったまどかは、涙声で捨て台詞を吐いた。
7つも年下相手に、葉子に戻った状態でムキになってしまった。
辛うじて本題に持ってはいけたが、ペラペラ喋って半分以上は自分の気持ちを八つ当たりしていたようなものだ。
釈然としないが、女子高生が年上男と付き合う構造は、遊ばれている・騙されている等といかがわしく解釈されてしまいがちで、まどかは現在その女子高生であるのだから、名越の発言はそれにならったものだ。
けど、謝ってやらない。
まどかは息巻いて屋上を後にすると、後ろを振り返ることなく足音を響かせながら階段を下って行った。
それはある日の事だった。
ぞろぞろと会議室を出て行く営業マン達を尻目に、矢野葉子は後ろの方の座席に座ったままその場を動かない。
会議終了後、上司のとある男から一人残るように指示されていたからだ。
その男は会議室の前の方で、葉子と同じく座ったまま張りつめた表情で手元に顔を向けて二人きりになるのを待っているようだった。
そのうち人の気配が遠ざかっていったのに、二人はまだ動かず沈黙を保っていた。
不審に思った葉子は、男が手元の資料を見ていないことに気がつき、これから話し合うのであろう議題について察し唖然とした。
まさか、こんな場所でこんな時間に話す内容ではないでしょう!
葉子はこのあと、アポを取っている顧客の元へ足を運び商談したり、売り込みに東西奔走しなければならないのだ。
他の営業達は既に各々の仕事へ取り掛かっているだろう。
12月に入り、年末に向けての売上目標を達成する事に持てる力全てを注ぐのだ。
そのための士気を高めようという白熱した会議が行われた後だ。
てっきり今から二人で、頑なな顧客への営業戦略を共に練ってくれるとばかり考えていたのだが、男の方は違ったようだ。
「矢野、聞き入れて欲しい事があるんだけどいいか?」
この議題に関して、前々から予兆はあった。
しかしそれが今だとは思いもしなかった。
葉子はまるで、何らかの罪で判決が下されるかのような面持ちになる。
対する男は裁判官みたいに冷静で感情の読めない目をもってまっすぐに葉子を見ている。
プライベートでの、優しくて朗らかで冗談を言って笑わせてくれる彼とはもはや別人である。
先程までは資料を手にうつむいていたのに、決心がついたのか何の反論も受け付けないといった風だ。
「…はい。」
葉子は口紅がにじんでしまうことも構わずに唇をかみしめて、怯んでなるものかとハキハキ返事をしたはずなのに、暗くかすれた声だった。
それを聞いた男はほんの一瞬だけ口元を歪めた後、一気に告げる。
「俺はもう、君と二人では会わない。これからは婚約者に誤解を与えないようにしなければならないから。」
そして男は手元の営業資料をまとめて勢いよく席を立つと、
ガタン!
事務椅子が後ろのホワイトボードの足に当たった。
いつもならここで笑ってしまうところなのだが、葉子は何も表情を作り出せずにいる。
すると出入り口の方からドアの音と声がした。
「君は若い。俺じゃなくても大丈夫だ。」
一体何が大丈夫なのか。
そんなドアの近くで去り際に言っちゃって誰かに聞かれでもしたらどんな解釈をされることか。
一人会議室に残された葉子はゆっくりと席を立つと足もとがグラついた。
朝から暖房のきいた会議室で、そのまましばらく一人立ち尽くした。
次回の更新は6月になりますm(_ _)m