21
2014.02.24 細かい文章表現を訂正しています。
葉子は日没寸前の海岸にたどり着くと、周辺がちょっとしたデートスポットになっているので、少し外れにある波止場の方へ歩いた。
今は男女の幸せそうな姿を視界に入れたくない。
それでも釣り人たちが数人見えるので、物思いにふけるには絶好の場所とはいえないが、頭を冷やすには十分である。
葉子は適当な段差のある場所に腰をかけると、肺を膨らませて潮風を一気に吸いこんだ。
空はかすかに残る橙色から群青色のグラデーションを帯びていて、ところどころにある雲の陰影が美しいのにそれが物悲しく思える。
聞こえてくる波の音は規則正しいようで不規則だ。
しばらく耳を澄ませていると、湾曲した海岸線に沿った外灯に明かりが灯り始める。
次に葉子がハッと気がついた時、空には数少ないながらも星がうっすらと見え始めていた。
ずっと時間を確認していないので、どのくらい無心で過ごしていたのか分からない。
ひとつ分かったことは、葉子がどんなに全力で走っていても立ち止まっていても、時は進むのだ。
引き続き彼をハニートラップから守る役割を果たすべく、心にフタをし続けるのであればこれで何度目になろうか。
奥底に沈めても鎮めても突沸しそうな恋心を、明日からも毎日抑えることなんてできそうにない。
仕事を途中放棄したくないというわずかな意思は、先程の名越からの告白直後に砕け散ってしまったようだ。
葉子はもう情けない女でも良かった。
かといって、名越に本当の自分の気持ちや真実を話して一緒に過ごす気にはなれなかった。
名越の方はまどかの言葉を受け止め、情けない自分を受け止め、まどかに誠実な心を打ち明けてくれたのに。
そんな彼から何も告げずに去ってしまおうとしている私…なんて、悲劇のヒロインじみた様相を呈する自身に黒いドロドロとした憎しみがわき起こってくる。
葉子は立ち上がり、波止場へ打ち寄せる波に近付いてしゃがみこむと、大声で泣き叫んだ。
その時脳裏に浮び始めたのは、なんでもない教室での出来事。
プリントが前の席から順に配られる際、時々彼が指に触れてきたこと。
勉強合宿、朧月夜の下で雄々しい浴衣姿の彼が放つ熱い視線。
屋上で早乙女と向き合ったとき彼が後ろから抱きしめてきたこと。
電話で彼がささやく低音ボイス。
初めて自ら誘いをかけながら彼がその頬をほんのり赤く染めたこと。
最後の、彼が一心にこちらへ向ける澄んだ瞳。
走馬灯のように浮かぶ彼にはもう平気な顔をして会うことなんてできない。
そして葉子は、ついに依頼人へ仕事を辞職する電話をかけたのだった。
皮肉にも葉子の名越への逃げ腰の姿勢が、秘密は保持し続けた、と良いように評価されて、息子の生活態度にも一定の効果が見られたと喜ばれてしまった。
それにより報酬も予想以上の額で、次の就職先への斡旋もしてもらえるという話だったので、葉子は涙交じりで声を枯らしながら何度も頭を下げることとなった。
ただ、依頼人から最後に与えられた情報には衝撃を覚える事になる。
先日西上まどかのプロフが何者かに乗っ取られた件の犯人は、早乙女妃菜ではなく野原舞とのことだった。
まどかのパスワードでまどかのマイページに入った痕跡をどうにかたどって判明したそうだ。
気味が悪いからと調査をお願いしたのは自分だけれど、疑問だらけの知りたくない結果に終わってしまったのだった。
翌朝、登校時間に力なく起き上がった葉子は仮住まいを後にするべく片づけを始めていた。
するとテーブルの上から着信音が聞こえてくる。
依頼人に郵送で返却するために、あとでプチプチ梱包で包もうとしていたスマホからである。
電源切るのを忘れていた。
葉子は画面を確認すると無料通話アプリでの呼び出しで、ためらいながらも直接関係がない人物なので応じることにした。
短い間ではあったが友達なのだから、最後のあいさつくらいは良いだろう。
「あ、まどか?おはよ。ねえ今日遅刻なの?」
「希美。う~ん、今日は調子が悪いから、休むことにしてさ。」
実はもう学園には来られない、その一言は希美の用件が済んでからでもいいと思いここでは適当に嘘をついた。
「マジで。あのさ…」
希美が急に声を落とすので葉子もつられて小声になった。
「どうしたの?」
「舞がね、来てんのよ。」
葉子は一瞬冷やりとした。
「そっか。やっと元気になったんだね。」
「それが…何となく様子が違うっていうか。」
今日から行かない事に決めて本当に良かった。
と
そう胸をなでおろすと共に、名越の方は登校しているのだろうかと気に病む葉子であったが、次の希美の発言で雲行きが変わる。
「やたらとまどかについて聞いてきたの。」
「…。」
「まどか?聞いてる?」
「うんうん、ちょっとびっくりして。何だろうね、私なにかしたっけ。」
「そんなの分かんないよ。まどかが放課後よく行く場所とか、何か習い事はしてるのかとか、家の場所とか。なんか必死っていうか…不気味っていうか。」
葉子は寒気がしてテーブルに手をつき、なんとか相槌を打ち続ける。
なんとなく、嫌な予感がする。
するとHRを知らせるチャイムの音が聞こえてきたので、一度通話を切る事にした。
葉子はスマホを置いて片付ける事を中断し、昨夜放棄していた野原舞について少し頭の中を整理してみようとコーヒーを入れた。
舞はプロフでまどかのマイページに入り、まどかになりすまして皆の反感を買う書き込みをした。
もうこの段階ですでに謎であった。
パスワードの入手については、当時まどかがスマホの操作に不慣れだったこともあり、後ろからのぞかれでもして入力するところを見られたのだろう、ということにしておく。
ただ、お互いに差し支えのない話しかしたことがないはずで、舞に関しては兄弟姉妹はおらず、小学校中学校は女子校卒で、好きな人が同じクラスの佐々木で恋には奥手であるという程度のことしか知らない。
まどかが舞に恨まれるような事をした覚えはない。
さらに、真面目で清楚でほんわかしたあのお嬢様がそんなことをするわけがないと、別人との間違いではないかのように思えてくる。
このままこの地を離れるには後味が悪すぎる。
そんなことを考えていても、時折名越がいまどんな様子で過ごしているのかを気にしてしまう自分に嫌悪した。




