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2014.02.24 細かい文章表現を訂正しています。
その夜まどかは、依頼人へ就業期間について問い合わせの電話を入れた。
この苦行がいつまで続くのかという思いだったが当然そこら辺は伏せ、名越坊ちゃまが当分は罠にかかる心配がないからだと告げれば理由を求められた。
依頼人との連絡は常に緊張感があるのでまどかはいつも事務的に淡々と述べる事ができていたのに、今回ばかりは返答に窮する。
早乙女と別れそして今後はセフレも作らないという名越本人の宣言を伝えても、一体どうした事か?なんて聞かれてしまっては、動揺せずにはいられない。
本気になれる女性ができたそうですなんて冷静に説明できる程、まどかは鉄の心臓ではない。
家庭の問題に口を挟むべきではないが依頼人は名越の親でもあるのだから、日常の中で息子の様子を察してもらいたいし、彼をもっと信じてあげて欲しいと願う。
まどかはどうにか、その本気の女については調査中だと報告するに留めた。
そして依頼人の経営する大手企業は、まだ社運を左右する重要な局面であることに変わりはなく、今年末までには事態が収束するとの見込みで、ひとまず今年度いっぱいまで西上まどかとして在籍するようにとのことだった。
まどかはめまいがした。
まだ6月にもなっておらず終わりには程遠い。
このまま3月まで名越と友達のフリをやれる自信はないのでもう次の職場を探すべきかもしれない。
最初から、この仕事は自分の身に重すぎたのだ。
しかし用件は終わったとばかりに通話を切られてしまった。
かけ直す気力もないまどかはスマホの電源をも落とし、そのままベッドに力なく倒れていったのだった。
次の日から舞は学園を休み続け、希美とは舞の話とまどかの煮え切らない恋愛話が続いた。
名越というと、毎日まどかの様子をうかがいながらスマホや面と向かいあれこれと話しかけてきて、毎日放課後どこかへ誘う事を欠かさない。
こうした同じ日々がそのまま一週間程過ぎていった。
そして一学期の中間テスト二日前。
その日の名越からの放課後のお誘いは、ここ数日と同じくテスト勉強だった。
まどかの苦手な数学の個人授業をしてくれるとのことだ。
あくまでも友人として何度も誘われているのに断わり続けているので、まどかはいい加減良心が痛み、OKを出した。
その時の名越ときたら飛び上がらんばかりに顔を綻ばせ、はやる気持ちをおさえつつ学園を出ようとしたので、まどかは慌てて学園内の図書館に誘導した。
名越の自宅にでも行ってしまえば、自分のタガが外れそうで後戻りができない気がするからだ。
やや不満げな名越であったが、テスト前は速やかに帰り自宅で備える生徒が大多数なのか図書館は静まり返っており、その表情を和らげた。
「へえ。思ったより静かに過ごせそうだな。」
受付も図書委員ではなく、先生がたった一人で対応にあたっている。
「そうね。名越君は図書館あまり来ないんだ?」
「ああ。無理やり買わされる大量の参考書があれば必要ないだろ。」
「学校の勉強はそうだけどさ。他にも小説とか色々あるわけだし。それに、本目当てじゃなくてこんな風に勉強しに来るのもいいと思うよ。」
二人は辺りを見渡しながら自主席を探した。
「さすがだね、図書館もこんなに広いなんて。あ!あの辺。」
他の生徒の目が気にならないこの状況が、まどかにとって吉と出るのか凶と出るのか。
向かい合わせで腰をおろすと互いの視線が絡み、そしてどちらともなく目をそらして参考書とノートを出し早速勉強モードに入った。
進学クラスの中でも成績優秀な名越は数学が得意分野とのこともあり、沼田なんかよりもよっぽど教え方が上手であった。
各問題には解き方のパターンがあり、数をこなして覚えておくと良いらしく、問題を見てから解き方を考えるから時間がかかり苦手意識が芽生えるという。
名越はまどかがつまづいた問題の基礎問題を即席で作成してまどかに解かせると、同じパターンの問題をいくつもピックアップしてくれた。
基礎をやり直す事で同じパターンの数式をすらすら解けるようになり、まどかは何だか解いていくことが楽しくなってしまった。
難解な数式が苦手で、数学の授業や小テストはこの仕事に就いて後悔した一つの理由だったので非常にありがたかった。
「そろそろ休憩するか?」
テスト範囲のレクチャーがひと段落つき、名越の一声を耳にしたまどかは背伸びをして首を鳴らした。
「うわっ。すげー音だな。」
「ふふ。良い集中ができたから凝っちゃったわ~。」
「そのうち凝らなくなる。」
飲み物は館内に設置してある自販機の前でだけ飲んでも良い事になっているので二人は立ち上がった。
名越は先にスポーツ飲料を買って一口含んで言った。
「解き方の分からない問題があれば遠回りのように思えるけど基礎に戻れば理解できるんだ。実はそれが近道だったりもする。それは数学以外の局面でも応用できるって中学の数学の先生が教えてくれたんだ。」
ミルクティーを買ってフタを開けようとしたまどかは、名越の言葉に指を止めた。
「…、基礎に戻る、ね。原点というか、初心を思い出すっていう感じだね。」
「まあそういうことだろうな。」
仕事やプライベートで発生する問題が複雑にいりこんで迷宮入りしまっても、原点回帰で明るい見通しを見いだせるかもしれない。
確かに、それができれば―。
まどかは何とかフタを開けて喉を潤すも、ミルクティーの甘味より苦みの方を強く味わう。
「大人でもできないようなことを中学生に言う先生も凄いわ。それをちゃんと覚えて実践してる名越君もね。」
名越のこの要領の良さも将来の仕事におおいに役立つことだろう。
まどかに限らない話だろうが、仕事のできる人は大変魅力で好ましく感じる。
すっかり感心してしまい思慕の眼差しで名越を見ていると、名越の瞳が大きく揺れた。
「…西上。そんな目で見るなって。」
数学できるひとかっこいいですよね^^




