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2014.02.24 細かい文章表現を訂正しています。
屋上からの階段を降りた先に水道があったので、名越はまどかを追い越しハンカチを濡らしてきてまどかの頬にあてた。
もう片方の手は、反対側の頬に添えられている。
自然にまどかは上を向く姿勢で顔と顔を突き合わす格好となった。
まどかは名越に見つめられているような気がして心臓の鼓動が跳ね上がってしまいそうになり、視線を外して平然を装った。
「悪い。結局お前を殴ってしまうくらいに早乙女を追い込んでたのは俺だ。…お前がプロフで受けた仕打ちもさっき佐々木から聞いたよ。」
まどかの頬を冷やしながら語る名越の瞳は憂いを帯びており、吸い込まれそうになる。
「西上、プロフだけじゃなくてさ他も色々、その、ネットの流行りに乗っかるのもう止めたら。俺ああいうのやらないから。日記とかつぶやきとか全部メールで俺に送ればいいし。」
名越の奇妙な提案に、まどかは軽く噴き出した。
「なんで名越君に?他はともかく、プロフの場合はそもそも特定の人に向かって書くんじゃないもん。」
「あー、それ。ああいうのって色んな奴に見てもらいたいからやるんだよね。だからもうおしまいな、アカウント削除ー。」
「ええ!止める止めないは私が決めるから!検討しますー。」
プロフは情報収集のために始めたものなので、今後それらが得られないのであれば確かに不要である。
けど、自分にまつわる決定を他人に下されるのは良い気がしない。
他の流行りのツールを使う事も良いだろう。
「検討するってなんだよ、フッ、またドラマの影響か?」
まどかはまあね、と受け流し、両頬にあてられた名越の手をつかみ顔の拘束を解いた。
そのはずみでハンカチが地面に落ちた。
まどかがハンカチを拾うと名越がかすめ取ったので、とっさに手を伸ばした。
「あ、待って。それ洗って返すから。」
「別にいい。どこも汚れてない。」
「いま私が地面に落としちゃったよ?」
「…。」
名越はまどかの問いかけを無視してズボンのポケットにしまいこんだ。
「え?濡れたハンカチ入れたらポケット濡れるよ?」
さらに無視を決め込んだ名越は、何の前触れもなくまどかの手を取り廊下を歩き出す。
「どうしたの?」
まどかは繋がれた手にわずかながら抵抗を示すも、力ずくで振り切ろうという気にはなれず、そのままついて歩きだす。
「腹減った。」
「ふふっ、お腹を空かせたままどこに行くの。」
前を見たまま独り言のように答える名越がどういうわけか可愛く見えてしまい、まどかはクスクス笑いながら幼子をあやすように問いかけた。
すると名越が勢い良くこちらに顔を向けた。
「察しろよ!その、これから一緒に飯、行きたいと思って。」
まどかは名越のそのぎこちなさと初々しさと、ほんのり赤く染めた頬を見て、呆気にとらわれた。
出会った当初はいかにも、女に百戦錬磨ですという風だったのに別人のようだ。
「あっ、名越君、もしかして女の子ご飯に誘うの初めて?」
言った後で、まどかは自身が本当は女の子と称される年齢ではないことに気恥しさを覚えたが、名越の方がさらに顔を紅潮させた。
「からかうなよ!」
「そ、そっかそっか、いつも誘われる側だったんだろうね。」
「いや、別にそうでもない。もういいだろ!で?西上は何が食いたい?」
この名越の慌てふためきにまた淡い想いがこみ上げてきそうになったので、教室へ戻った時に繋がれた手を離した。
二人はかばんを手に取り歩き始める。
校舎を出てここから門までたどりつくのには少し距離があった。
歩きながら視線を横にずらすとグラウンドが見え、バスケットボール部が練習を終えて片づけをしていた。
西日がさしており、バスケットゴールや部員たちを薄暗く見せる。
ゴールを動かす音と部員達の話し声、それに木の葉のざわめく音が聞こえてきて、紅く染まった校庭の木々は均等に並びその影を長くしている。
そんなまどかの視界に名越の顔が割って入ってきた。
「どうした?ボーッとして。」
その表情はまるで彼女を気遣う彼氏のようだった。
その時、後ろから男女の話し声が聞こえてきた。
話題は近々やってくる中間試験についてで、夕日に照らされたその男女は、先程のまどかと名越のように手をつないでいた。
そのまま門を出て行く後姿を凝視しているまどかに、名越は眉根を寄せた。
「あの二人がどうかしたのか?」
まどかは、まるで映画やドラマのワンシーンに遭遇したような白昼夢を見ていた。
ここは高校で、青春の一コマで、まどかにとっては過去の日常である。
手をつなぐ制服姿の男女は正しい時の流れを生きているのに、まどかには自身の姿だけ別の時空から切り取って貼り付けているようだ。
視線を戻すと名越の顔が急に幼く見えてしまうのに愛しさは変わらない。
女子高生西上まどかとしてこのまま真っすぐに名越と恋ができたら、どんなに幸せなことか。
ただ、当時の精神年齢だと名越と対等なやりとりができないのは明らかで、ここまで親密になれたのは矢野葉子としての社会人経験が成せる技なのだ。
偽りの現実を自覚して表情をなくすまどかに、名越が心配して何事かを尋ねているが、それがまた申し訳ない気持ちを呼ぶ。
まどかは結果的に名越を騙して報酬を得るのだから。
早乙女との関係だってそうで、まどかが布石を打たなければそのまま交際が続いて行き、二人はその過程で相思相愛になっていたかもしれない。
「ごめん。今日はこのまま真っすぐ帰るね。」
身を翻すまどかを、名越が制した。
「話してくれ。西上、何を抱えてんだ?そんなんで帰せるわけない。」
まどかは、名越を見つめ返すと、ついに恋を自覚せざるを得なくなった。
イケメンとはいえ年下男はまどかの好みではない。
浮気性なところも嫌なはずで、実際のところ名越だってまどかに対し何か明確な気持ちを言葉で告げたわけではない。
もしかしたら、名越は超ド級の天然の持ち主で、気を許した友人であれば誰に対してもこんな風に思わせぶりな立ち振る舞いをしてしまうだけなのかもしれない。
「話せない。どうしても話せないわ。名越君は話してくれたのにね。こんなのフェアじゃないよねごめんなさい。」
淡々と仕事をこなしていくはずだったのに、再び恋愛沙汰で途中放棄するわけにはいかない。
就業期間が終わればお別れなのだ。
明日になれば、業務だと割り切ってやっていける。
名越が切なげに目を細めているが、決して同じ過ちは繰り返さないと、まどかは気を強く、強くひきしめて、この感情に頑丈なフタをしたのだった。
遅くなりましたm(_ _)m




