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京都にての物語

白峯神宮~落とさないのを良しとする~

作者: 不動 啓人

「今回合格することが出来たら、彼女にちゃんと想いを伝えようと思う」

 煮汁に浮かぶ崩れた豚の角煮をついばみながら、朱に染めた頬に笑みを浮かべ、朽木洋平くつきようへいは周囲の雑音から隔絶された、はっきりした口調で呟いた。

 馴染みの居酒屋。カウンター席の、友を傍らに零れたその呟きは、不意にというよりも故意に、自らに言い聞かせる為の宣誓のようであった。

 友は――新田友則にったとものりは焼酎の水割りを右手に、一度頭上に掲げられたメニュー一覧に不意に視線を上げてから、僅かな間を置いて、

「……そうか。応援するよ」

 静かな笑みを湛えて視線を洋平に向け、その横顔にエールを送った。


 春を呼び込む桜の花が散り、迎えた春の陽気に新緑を芽吹く頃の、視界に映る白雲もない晴天の下を、友則と洋平は北野天満宮きたのてんまんぐうの参道を南下し、大鳥居の外へ出た。

「じゃあ、もう一箇所行こうか」

「他にも行くの?」

「そう、俺が見付けた、とっておき。でさ、そう遠い所じゃないんだけど、バスで行く?」

「運動不足だから少し歩こうかな」

「なら、歩こう」

 二人は今出川通を東へ向かって歩き出した。

 遠ざかる北野天満宮はいわずと知れた学問の神様。合格祈願をする受験生が多く訪れることでも有名だ。友則は洋平の合格祈願の為にこの日の京都行きを誘い、真っ先に北野天満宮を訪れたのだった。

 洋平が間近に控えるのは国内最難関の一つとされる司法試験。洋平は過去に二度挑戦しているのだが、今回が三度目の挑戦となる。一度目は大学在学中で、その後は親の仕送りとバイトで生計を立てながら司法試験の合格を目指していた。三度目の正直と洋平の意気込みは強いが、意気込みが空回りすることがしばしばある洋平のことを想い、友則は息抜きという名目で時々飲みに誘ったりしているのだが、今回は合格祈願も兼ねて京都散策を提案したのだった。後は京都らしいご飯でも食べて、夜は勉強しなければという洋平の都合も考え、夕方には京都を離れる予定だった。

 二人は大学からの友人で共に法学部に学んだのだが、友則は卒業後とあるメーカーに就職して法律の世界からは遠ざかっていた。

 車のエンジン音を右手に並んで歩く二人は、千本今出川の交差点を越えて更に東へと向かう。

「で、どこまで行くの?」

「堀川通の先」

「そんなところに、なんかあった?」

白峯神宮しらみねじんぐう

「……聞いたことあるような、ないような」

「余りメジャーではないからね。けどねぇ、これがなかなか侮れないんだな」

「侮れない……どういう意味?」

「実は白峯神宮で祀っているのは、なんと崇徳院すとくいんなんだな」

「崇徳院?なんか、また聞いたことあるような、ないような」

「うーん、これまた余りメジャーな人ではないからね。しかしだ、その道では有名な人物なんだよ」

 友則は小刻みに顔を上下させながら、大袈裟な『不敵な笑み』を浮かべた。

「余計わからないって」

 芝居がかった友則の表情に洋平は苦笑いを浮べ、先を促した。

「崇徳院は平安末期の保元ほげんの乱に破れて讃岐に流されたんだけど、その後も許されずに再び京の地を踏むこともできずに憤死した人物なんだ。その後、崇徳院と敵対していた人々の周囲で多く人が亡くなったり、京に災害が起こったりして、ついには崇徳院の崇りだ、ということになった。つまり崇徳院は怨霊になったんだよ。しかも崇徳院は怨霊達の棟梁とも言われていてね、日本最強の怨霊とも言われているんだよ」

「日本最強。凄いね」

「でだ、神社には多くの怨霊が祀られているんだけど、まぁ、お怒りを鎮めて下さいって感じでね。その上で霊験にあやかろうとする。その恐ろしい力を、今度はちょっとだけ私共の為に使って下さいませんか?ってね。ということはどういうことになるかというと、祭神の霊験の大小っていうのは、神になる以前に怨霊として大きな力を発揮したかどうかというのがそのまま反映してくるんだ。そういう意味でいうと、最強と謳われた崇徳院は、一方で最強の霊験を備えた神の一人でもあるんだよ」

「なるほど。そういえば北野天満宮の菅原道真すがわらのみちざねも怨霊なんだよね」

「そう、雷神様」

「けどさ、菅原道真は学問の神様として有名だけど、その崇徳院ってなんか学問と関係あるの?」

「菅原道真がなんで学問の神様といわれるかといえば、彼が幼くして詩歌に優れ、後には文章博士でもあったからで、つまりは生前その人物が得意とした分野がご利益になっていくんだけど、そういう意味では崇徳院も百人一首に詩が採用されている歌人でもあるんだから、学問とまったく関係がないという訳でもないんだ」

 二人は堀川通を越えて少し歩いた、堀川今出川バス停の先に門を開く白峯神宮に辿り着いた。門前には菊の御紋の提灯を左右に置き、格式の高さを思わせる。

 白峯神宮の創建は慶応4年(1868)で、古社が多い京都にあっては比較的新しい神社だ。孝明こうめい天皇が計画し、明治めいじ天皇が意志を引継ぎ現在の地へ崇徳院の御霊を遷して白峯神宮を創建した。現在は崇徳院と共に淳仁天皇も合祀している。

 境内に入ると正面には舞台があり、その先に本殿がある。平日には観光客の姿も疎らな、静かな社だ。

 二人は境内を見渡しながら舞台を迂回し、本殿前に立った。すると、本殿右手に棚が設置されていて、その上には所狭しと様々な競技のボールが飾られていた。

「なに、これ?」

 何も知らない洋平は当然の反応として不思議そうにその光景を見た。

「実は、ここは元々飛鳥井あすかい家の屋敷跡で、その飛鳥井家ってのが蹴鞠けまりの家元で、この本殿の右手に蹴鞠の神様といわれる鞠精まりのせい大明神が祀られていることから、最初は蹴鞠との類似性からサッカーの神様に見立てられるようになって、今では球技全般にご利益があるとされているんだ」

 なんでも今では『闘魂守』なる御守りがスポーツ全般の御守りとして人気なんだとか。

「実はさ、洋平をここに連れてきたのも鞠精大明神に合格祈願をさせようと思ってさ」

「蹴鞠の神様に?」

 洋平は友則の意図を理解しかねたが、まずは崇徳院へ祈願をしようと勧められたので、いまいち納得がいかないまでも今度こそはという想いが強いだけに、縋れるものには縋りつきたい心境で真剣に司法試験合格を願った。その上で、友則の後に続き鞠精大明神を祀っているという地主社の前に立った。

「はい、では蹴鞠とはどんな競技でしょう」

 必要以上にテンション高く、友則は洋平に質問をぶつけた。

「鞠を落とさないように蹴り続ける競技」

 洋平は要領を得ない友則の陽気さに少しだけ反発を覚えつつも、自分の為にしてくれているという前提の中で諸々の疑念を抑えつつ、わかりきった答えを返した。

「はい、その通り!では、蹴鞠が上達するとどうなるでしょう?」

「……人気者?」

「そうじゃなくて。言い方を変えれば、蹴鞠において上達するということはどのような状態を指すか」

「どのような状態?……鞠を落とさなくなるってこと」

「その通り!つまりは、蹴鞠の神様である鞠精大明神に祈願するということは?」

「……鞠を落とさなくなる……って、まさか、試験を落とさなくなるってことか?」

「その通り!!」

「駄洒落かよ!」

「なに言ってんだよ。ご利益にしても縁起物にしても、結構語呂合わせとかが多いんだぜ。なら『落ちない』にあやかるのも一つの手だろう。ましてや本殿には霊験あらたかな崇徳院が後ろ盾になってくれている。これだけ合格祈願に適したところもないだろうと本気で思って、俺はお前をここに連れてきたかったんだよ。言っただろう、俺はお前のことを応援してるって」

 今や友則の陽気さは友情の熱さに姿を変え、友則の解釈に対する首を傾げたい思いも、自分の為と言ってくれる友の姿を前にしては小さなことで、ただありがたみだけが洋平の想いを満たした。

「ありがとう」

「今回こそ、絶対合格しようぜ」

「頑張るよ」

「落とさないように、しっかり祈願しないとな」

 二人は改めて地主社に向かい合うと、深々と頭を下げて祈願した。 



――俺は本当にお前のことを親友だと思ってるよ。だから、今回こそ本当に司法試験に合格して欲しいと思ってるよ。心から応援している。

 だけど――あいつだけは駄目だ。

 お前に――真理はオトサセナイ。

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