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さよならも言えない

作者: sachi

※暗いです。軽くですが、特定の病気の描写があります。不快な方はご遠慮ください。

細やかで柔らかい雨が上から零れてくる。

しっとりと私の頬や手に染みいるそれらは、私を慰めているのか、それとも責めているのか。

ひたり、ひたり、と覆い迫ってくる雨雲を見て、景色が全てモノクロに変わっていくように感じた。











私は子供のころ、挨拶もろくに出来なかった。

言葉が話せなかったわけではない。極度の人見知りであることが主な原因ではあるが、基本的に母以外と言葉を交わそうとしなかったのも悪かった。

言われた内容は大方理解しているつもりだったが、人の好意に感謝するという点はさっぱりだった。

一人っ子なのも相まって随分我がままな子になっていたのだろう。

言い訳をするつもりはないが、私だけが悪かったわけでは無いはずだ。

何故ならその頃の私の世界は、”自分”と”母”と”それ以外”で出来上がっていたのだから。




結論から言えば、私の両親は離婚している。

私が小学校に入学する年だった。

名前が変わるなら入学と同時に、という気遣いだったと思えば、それは計画的な離婚だったのだろう。

私はもちろん母についていった。

いや、母が手放さなかったと言った方が正しい。

母は私を溺愛していたし、父の事は”母が嫌い”だから”私も嫌い”だったので、最後に何て言葉を交わしたのかも覚えていない。

母が父を見る目は酷く淀んでいたので、きっと母を真似た私も同じ目をしていたのだろう。

今思えばその事は残念でならないが、今さら会いたいと思う程の愛情も無い。

なにより父が私に会いたいという気持ちがあるとも思えなかった。

父は母を愛していたが、懐くどころか傍に寄れば泣く子供も愛せたとは思えない。

それでなくとも母は私を愛したが、その愛情を父に向けることはなかった。恨まれていてもおかしくはなかったのだ。

今後会うことは無いのだろう。



ここまでの話だけではさぞかし暗い家庭と思えてしまうが、私の幼少期は私にとって、とても幸せな日々だった。

何も知らない子供だった、から。

大好きな母と一緒にいられて、好きなことをして。

日中は働きに出ていた母に代わって世話をしてくれていたのは母方の祖母だが、祖母も母と似たところがあり、全てを私の好きにさせてくれていた。

夕方になれば母が迎えにきてくれて、家では母にべったりと過ごし、空気のような父の存在は頭になく、朝になれば共に家を出る。

大好きな母と共に過ごせたその日々は、良くも悪くも私の核となるのに十分なものだったのだ。



母の最大の失敗は”怒らない”ことだった。

もちろん怒らないのは私に対してだけで、その周囲にはよく怒っていた。

その怒りの矛先は大抵が父と父方の親族、会社の上司や同期などで、よく友人に愚痴をこぼしていた。

そして隣にいる私に言うのだ。”ママが嫌いだから、奈津も嫌いよね”、と。

彼女達は一様に苦笑していたが、声に出し注意することはなかった。

いや、もしかしたら注意はしてきたのかもしれない。

彼女たちは、母の友人にしては教養も分別もある人たちだったし、当時は保育士の人もいたはずだ。

それでも止められない人なのだ。私の母は。

都合の悪い事は聞かない。

嫌いな人は虫けらのように扱う。

自分の非は認めない。

母にとって唯一私の存在だけが、正だったのだ。


そして私の行為は許される。

私の世界のルールである母に。

その世界が最初に崩れたのは、保育園に入学してからだった。





私は当然のように共同生活ができなかった。

当然と言えば当然だが、園内では先生こそがルールだ。

けれど私にはそれが理解できなかった。

まず、一日目は泣いて過ごした。

二日目は母に宥めすかされ、お気に入りの人形を抱えて教室に入った。

もちろん友人なんか出来るわけもない。

毎朝母に駄々をこね、それでも毎朝言いくるめられて保育園に行ったが、それも長く続かなかった。

しかし私の想いが母に通じたわけではない。

私が突然保育園に行かなくても良くなった理由。

それは他の園児が私に手を挙げたことが原因だった。


まあ、自業自得と言えば自業自得な結果だった。

私の記憶は曖昧であるし、すべてが正確ではなかったけれど、当時同じ園に通っていたという今の貴重な友人によると、私が他の園児が遊んでいるおもちゃを取り上げ、突き飛ばしたんだそうだ。

そしてその事に怒ったその子は、私に突進して二人して転び、私は床に頭をしこたまぶつけたらしい。

しかし母は私が頭をぶつけたことで園に苦情を申し立て、あげく無理やり園を止めてしまったのだ。

友人が言うには保護者の中ではちょっとした話題にもなったらしく、それゆえ友人も知り得た顛末だったようだ。

かくして私は園に通うことなく、小学校に入学することになる。





入学を控えた三月。私は5歳になったばかりだった。

丁度そのころ、父も我慢の限界だったのだろう、両親が離婚した。

しかし私は相変わらずだったので、何も告げなかった母と二人で母の実家に移住し、私の生活は何ら変わらなかったこともあり、離婚したのだと理解したのは入学して1年がたってからだった。

救いようもないくらい、世界が、視野が、狭かったのだ。


そして保育園もまともに通えなかった私が小学校に通えるはずもなく、我を通せない生活や友人が出来ずに孤立する日々。

そう、私は未だに”ありがとう”も”こんにちわ”も言えなかったのだ。

祖母にも母にも感謝や挨拶はいらなかった。

母は自身の友人に私を会わせた際もその言葉を促しはしても、強要することはなかった。

そういえば、この頃から母は私を母の友人に会わせようとはしなくなった。

もしかしたら何か言われたのかもしれない。

言われて不思議じゃない程、私と母は狂っていたのだ。



小学二年生の冬。ついに私は不登校児になった。






私の生活はますます母一色になっていった。

日中は祖母と過ごし、夜は母の傍で過ごす。週末は母と様々な場所へ出かけた。

祖母は体長を崩しがちになり、臥せっている時間が長くなったが、私は一人で過ごすことが苦ではなかったし、何より思いやる気持ちの欠落で、どうにか環境を変えようという考えすら起こらなかった。

”与えられる”ことに慣れていたように、孤独な学生生活から”与えられない”ことにも慣れてしまっていたのだ。

母さえいれば良い。

歪んだ世界観は歪なまま進んでいった。





置いてきた名前だけが小学校を卒業した頃、母が一人の女性を連れてきた。

遠藤小百合えんどうさゆりと名乗った彼女は母よりも年上の落ち着きを持って、祖母よりも若さ溢れた笑顔を私に向けた。


――奈津ちゃん、これからよろしくね。


きっと私の瞳は淀み細め逸らされていただろうに、彼女は何も言わずにただただ私を見ていた。

逸らした時点で負けなのだと、その頃の私は気付かない。

ただ目の前にある自身に向けられた笑顔を、避け続けることもできなかった。

新しい世界の始まりだった。




小百合さんは母が私の学力を心配してつけた家庭教師だった。

小学校の勉強を通信教育で補っていた私だったが、さすがに中学の勉強にもなると人に教わるという経験なしで学ぶには難しくなってきていたのだ。

母の収入は決して多くない。実家からの援助なしでは厳しく、小百合さんは母の友人が紹介してくれた人で、通常雇用ではない半ばボランティアのようなものだった。

けれど小百合さんはそんな事情など抜きに、私の勉強を熱心に見てくれた。


初めましての日から絶えず繰り返される”こんにちは”と”またね”の笑顔。

奈津ちゃん、と呼ぶ落ち着いた低い声が、なぜだか心がそわそわして、コトリと止まる。

視線は合わせられないけれど、ノートを滑る小百合さんの白い指を目で追った。


私の態度は相変わらない。

でも小百合さんの笑顔はゆっくりと時間をかけて私の心に沁み入って、浸透していく。


そして二年の月日をかけてようやく、私は小百合さんの笑顔に”こんにちは”と返すことができたのだった。



私の心が少しだけ動き出した頃、母の心も少しずつ動いていた。





私は中学も不登校のまま卒業し、少し離れた私立の高校を受験した。

そこで出会ったのが今も続く貴重な友人、大沢智子である。

彼女は小百合さんのような暖かい笑顔でゆっくりと懐に入れてくれるわけではなく、ひどく強引に私の懐へ飛び込んできた。


――あんた小中と不登校だったんだってね。


極度の人見知りで言葉や態度に難有りだった私だけれど、人が嫌いというわけではなかった。

共同生活や、小中のように他人との関わりを強制し”仲良くしましょう”と押しつける雰囲気は受け付けないが、人と関わりたくない訳ではない。ただ他人が怖かった。

だから智子にそう面と向かって言われた時は、素直に心が悲鳴をあげた。

しかし智子は不敵に笑い、言葉を続けた。


――高校生活は、私が絶対来たくてたまんないようにしてあげる。


智子の白く華奢な腕が伸ばされる。


――だからあんたの高校生活、私にちょうだいよ。


なんて高飛車なんだろう。そもそも不登校であったことを隠すために母がわざわざこの高校を選んでくれたのに、もう知っている人がいる。怖い。うざい。話したくない。


様々な感情が胸の中で渦巻いて、母の心配そうに歪む蒼白な顔が浮かび、小百合さんの安心させるような笑顔を浮かび、そして朝見た鏡の中の自身の顔が浮かぶ。

私は朝、絶望したのだ。自身の顔に。

なんて空虚な顔だろうと。

私の中は空っぽだった。何かで満たしたかった。

焦りでいっぱいだった私は、恐怖よりも不快さよりも何よりも、欲求のままに目の前の手を掴んだ。



智子の予言通り、少しずつではあるが、私は高校生活に楽しさを見出していた。

相変わらず言葉が足りないし、智子には怒られてばかりだったが、それでも心は沈まなかった。

窘められる程度の言葉には辟易していて、愛のある叱咤に餓えていたのだ。

小百合さんの家庭教師も続いていた。

高校で何かあっても、小百合さんの笑顔で心はすとんと落ち着いた。

そうして私は世界の全てだった母と、異様とも言える自然さで、離れて行ったのだった。




受験シーズンに入ったころ、私は智子と図書館へ来ていた。

外出は小さい頃から母とも行っていたので、抵抗は全くなく、むしろ外の空気を吸うのは好きだった。私は不登校児ではあったが、引き篭りでは無かったのだ。

そして一人で出歩く私を心配した母は、護身用に、と早くからブザー付きの携帯を持たせていた。

その頃はもっぱら智子との連絡手段としてのみ使用されていたが、その日は珍しく祖母からの着信だった。


「なに?」


無愛想な私の口調は相変わらずで、横にいる智子は眉を潜めたが、祖母は気にすることなく、焦ったように上ずった声で言った。

瞬間、私の思考は一時停止した。




母は若年性アルツハイマーになっていた。


最初は鬱病ではないかと思い、病院に行ったのだと祖母は言う。

正直なところ、私自身も母がそうではないかと思うことも多々あった。

ぼんやりする時間が増え、仕事を休む日も続いていた。


なぜ?なぜ気付かなかった?


私がひとつひとつ母以外の記憶を手に入れる度に、

母がひとつひとつ私との記憶を落としていく事を。











さざめく雨は止まない。覆ったモノクロの世界も晴れない。

いつも辛辣な言葉しか出てこない赤かったはずの唇が、慰めるように囁く。


「あんたはさ、良くやったと思うわ。ただ、ここが限界点だっただけよ。」


似合わないわよ、そんなセリフ。

いつもみたいに怒鳴り散らして、傲慢に、

あんたのそこがダメなのよ、って言ってよ。


…ねえ、私いまどんな顔してるの?












その後、私は母の治療費や家族の生活費を賄うためにも就職した。

高校は中退する事を考えたけれど、智子の説得と、祖母の年金や奨学金などでなんとか卒業までを乗り切った。

私の中に、まだ高校に通っていたいという気持ちが有った事に、素直に驚いた。祖母は泣いていた。


就職してからは家と会社と病院の日々。

会社と言っても、私が出来る仕事なんてたかが知れている。

接客なんて出来るわけもないので、結局は工場での製造業に落ち着いた。

工場で製品と向き合って数時間、帰宅してから祖母と家事をこなし、母を施設に迎えに行く。

祖母が自分の足で立っていてくれるのは救いだった。

祖母とて齢七十、いつ介護が必要になってもおかしくはないのだ。


母はその施設の食堂にある窓際の席がお気に入りだった。

私という二十歳近い子供が居ても、早くに出産した母はまだ十分若い。

昔は二人並べば姉妹のようだと、祖母はよく嬉しそうに笑っていた。

そんな母もここ数年で窶れ、やせ細り、窓際で薄暗い外の空気を纏う姿は切なさよりも畏怖を感じた。


「お母さん」

「…奈津?」


呼べば笑顔で振り向く母。

けれど私の顔を見るとすぐにしかめっ面になった。


「お母さん、帰ろう。」

「お母さんなんて呼ばないで。奈津は今いないわよ。何しに来たの。」

「奈津だよ。ねえ、帰ろう。」

「いいかげんにして!あなたが居ると奈津が泣くのよ!世話もろくにしないくせに遊びあるいて文句ばっかり!奈津も懐かないし、もうあの子に触らないでちょうだい!」


手を伸ばすと、母はヒステリックに叫んで俯いた。

私は溜息を吐いて職員さんを呼びに行く。

もう三日に一度はこんな調子だった。


私は別れた父に似ているらしい。

らしい、と言うのは私が父の顔をきちんと覚えていないせいだ。

母の状態を見た祖母が、そのせいで恐らく勘違いをしているのだろう、と言っていた。


母は私を父として接する日もあれば、知らない人のように接する日もあった。

けれど”奈津”としては決して接してくれなかった。


私を職員だと勘違いして話す母は、よく昔の、母にとってはリアルタイムの、私の話をした。


「娘がね、奈津っていうんだけど、人見知りが激しくて」

「とっても可愛いの。みんな夫に似てるって言うんだけど、私は私に似てると思うのよ、ほら鼻とか」

「夫がね、私の背から子供をさらうの。子供は泣くし、今度は寝かした子に話しかけるし、もう」

「夜にね、ママーママーって寝ながら私を探すの。可愛くてしょうがないわ」


無条件での父への嫌悪、私への愛情、それらが入り混じったその想い出達は歪な世界を作っていた。

そして話を聞く限りでは、私に一生懸命接しようとしてくれている父の姿を、母は憎々しく語るのが、なぜだか滑稽にも見えた。

そしてふいに思い出したように”奈津”を探しだし、居ないと叫び喚く。


――奈津はどこ?あの人の家族がつれてったの?返して!奈津!


そんな状況が、更に二年続いた。













「終わりなんて、呆気ないものなのかも。」


呟いた声は思ったよりもかすれていて、きちんと空気を響かせていたのか不安になった。

すると、ずっとそばにいてくれたらしい智子が相槌を打つように瞬きをする。

その様子をただぼんやりと視界に留めて、私は思うままに言葉を口にする。


「…私、小百合さんに会うまで”こんにちは”が言えなかった。」


智子はじっと私を見つめている。

その表情に乗る頬と唇の紅がじんわりと彩を取り戻してゆく。


「智子に会って、初めて”ありがとう”って口にできた。感謝を言葉にしたいって思えたのは産まれて初めてだった。」


言葉にしたくて、でも中々出来なくて、言葉の使い方がわからないもどかしさを吹っ飛ばしてくれたのは目の前の友人だった。

智子は少し照れたように口元を歪める。

そう、モノクロだったけれど、智子の真珠のネックレスは淡いクリーム色。


「”ごめんなさい”を言えたのも智子に会ってから。最初は腹が立ってムカついてどうしようもなくて、もう智子となんて会わない話さない見ないって息巻いて登校したのに、顔見たら泣きたくなって、思わず口から零れ落ちてた。」


今度こそ智子は私から視線を外してそっぽを向いた。横を向いた代わりに現れた右耳がほんのり赤い。


「あれから、小百合さんやお祖母ちゃんにも言葉で返せるようになって、お母さんにも伝えられたときには、微笑んでくれてた。」


少し驚いたように、でも何も言わずに微笑んでくれた。

あの笑顔はもう向けられることはない。

智子が、もういいよ、って言うように手を握ってくれる。


「でも、私まだ出来てないんだ。」


さようなら、って。

まだ言えたことない。


「母がいなくなって寂しい。悲しい。けれど共に死んでしまう程じゃない。」


今を見なくなった母がよく口にした言葉。


――奈津を返して!奈津がいないと生きていけない!


痛みを持って叫ぶようなその言葉が、私の脳裏に焼けついて離れない。

母が世界の中心だった頃も確かにあった。

けれど自己意識の強かった私は、早くに世界の中心に自身を置いた。

自我の発展。それゆえに周りの世界に馴染めずに苦しんだ。

母と寄り添い育てた二人だけの世界。

いつからか中身は大分違うものになっていたのに。


頬を伝う物が、空からのそれだと思い込むのは難しかった。




真っ白な肌に赤い紅を塗られた母。

その表情は不思議と安らかで、よく言う”ただ眠っているような顔”だった。


「お化粧するのなんて久しぶりだね。」


そっと頬をなでる。

祖母がすすり泣く声が聞こえる。


「私ね、智子から学んだ言葉、沢山あるの。」


思えば私は母から与えられるだけで、何かを与える、してあげるという事を考えすらしなかった。


「まだ全部お母さんに言えてないんだけど。…聞いてくれる?」


きっとずっと世界の中心は自分だったのだ。

こんなにも自分本位で、大事な人に何もしてこなかった。


気づけばいつの間にか、母は目の前で小さな木箱の中で静かに横たわっていた。


「”またね”って。また会いたいなって思ったら使うんだって。」


お母さんがいないと生きていけないわけじゃない。

お母さんが世界の全てではない。


でもまた会いたいと、強く願う。

きっとそれだけは母と同じ気持ち。


「お母さん、またね。」



言いたい言葉、言わなきゃいけない言葉、全部飲み込んで。

私は自身の手で、母を閉じ込める世界の窓をそっと閉めた。


暗く狭いその世界、誰もがいつか必ず入る世界。


「…またね。」


いつかきっと会える、その日まで。








お読み頂きありがとうございました。


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