<47>行き違う心情
様子がおかしいということが、敏感なサクに分からないわけもなくて。それでわざわざユウに会いに足を運んでくれたわけだ。それなのに、ユウの胸を締め付けるのは、苦渋に満ちた感情ばかりで。サクの優しさに素直に喜べればこの上なく幸せな気分に包まれれるのに。そんな簡単なことがユウには果てしなく難しくて、サクとの関係にも停滞する秋雨前線のように晴れない。
ごめんなさい、なんて感情は、ただただ失礼なだけなのに。苦しいのは自分だけじゃない。きっとユウ以上に、サクはユウの気持ちに振り回されているはずで。
寛大なサクの前では、兎の毛の先程の存在でしかない自分に嫌気が差す。羞恥心に、自虐的になったところで、隣のマユが口を開いた。
「じゃあ、あたしは先に帰るね。サク先輩、お先に失礼します」
「ああ、なんだかごめんな。横取りしたみたいで」
「いえいえ。ユウの彼氏さんからいつもユウを借りてるのはあたしですから」
相手を立てる笑顔をマユは湛えて、その場から腰を上げた。淀みない動きに、咄嗟に引き止めようとしたユウにマユは先手を打つ。
「ユウ。後悔しないように日々過ごすって話。忘れてないよね?」
優しいが、ふんだんに厳しさを含む声音に、ユウはマユに手を伸ばすことさえも出来なくて。
遠回しにだけど、それは、逃げるなということ。
幼なじみの親友は、事情を知らなくても的確にユウを導き、背中を押す。弱った心に、勇気を分けて貰ったようで、ユウは人知れず強張った肩を下ろした。ひきつりそうだった頬が上がり、笑顔で見送った。
「光陰、矢の如し。だからね」
立ち去り際に、マユが落として行った言葉。それに反応したサクはマユの背中を見送りながら小さく笑った。
「マユちゃんって、本当にいい子だよな」
「うん。マユは昔から」
マユのお陰で柔らかくなった空気にも感謝しながらユウは返事をする。
サクはマユの座っていた辺りに腰を下ろすと、足を投げ出して晴れ上がった空を見上げた。整った顔は何の表情も湛えず、ただ青い空を見詰めている。
「で、最近のユウちゃんは一体どうしちゃったのかな?」
徐に振り返ったサクは眉尻の下がった笑顔。何も言えずユウはまた俯いた。
「言いたくないなら、無理に言わなくてもいいけどね。ユウちゃんが元気になってくれれば俺はそれが一番いいんだけど」
「元気ないわけじゃないんだけど、あの、心配掛けたならごめんね」
「心配くらいどうってことないよ。でも」
サクはユウから目を逸らし、伏し目がちになった。言葉を途切り、少し言い淀む。この先は、この人に言わせてはいけない。咄嗟にそんな気がして、ユウはサクの腕に手を置いた。温もりが掌を通して伝わってくる。情けないほど、胸が締め付けられた。
「あの、なんて言えばいいのか、まだ分からないんだけど……とにかく、大丈夫。心配掛けてごめんね」
あげたいのはこんな言葉じゃない。サクが欲しいのだってきっとこんな言葉じゃないはずだ。頭では分かっている。だけど、心はそれに伴わないのだから、好きって一言がサクには言えなくて。
自分の愚かさに気付きながら、サクの優しさに甘えたままで、自分はこのまま逃げ続けるのだろうか。つい、先程のマユの声が浮ぶけれど、やっぱりまだどうしていいのか分からない。
思わずサクを掴んだ手が震えそうになるのを必死で堪え、ユウは努めて自然に見えるように笑顔を向けた。こんな笑顔で騙されるサクではない。でも、サクは誤魔化されてくれるのを知っている。とことん卑怯な自分に反吐が出る。
「分かったよ。分かったから、もうそんな無理して笑うなよ。ごめんな」
すっと伸ばされたサクの長い腕がユウの上半身を包み込む。耳元で囁かれたサクの声は、オブラートの中に苦しさが包まれているような、優しい声だった。
こんなに大事にされているのに、苦しめてばっかりで。泣きたいのだって、きっとサクの方だ。それなのに、また気持ちを受け取るのはユウの方ばかりで。もう、これ以上苦しめたくないのに、それを解決する言葉が出てこないし、態度も示せなくて、ユウは声にならない声を発して、涙にならない涙で顔を歪めた。