<40>至福の時間
外から自宅を見上げたら、部屋という部屋の明かりは全て消えていた。
そうだよな、もう深夜だから、みんな寝てるか。カイトは独白し、そっと玄関の鍵を開けて、大きな音を立てないよう細心の注意を払ってするりと入り込んだ。なんだか泥棒のような気分だ。込み上げるニヤリとした笑いを隠す必要もなく、そのままバスルームへ直行。
走って走って、久しぶりに体を酷使した。汗だくになった全身は丘の風に、かいた汗を浚われたがそれでも気持ちが悪い。
バスルームに入り、豪快にシャワーを捻る。迸る刺激に、くたくたになった体が染み入るように癒されていくようで。カイトはその場に座り込み、少しぼんやりした。
全てを洗い流す湯に、不安をきれいさっぱり連れ去って貰って。残ったのは愛しいこの想いだけ。
なんだか幸せな気分に浸りながら、わしわしとバスタオルで濡れた髪を拭いて、そのままタオルを肩から掛けた。暑い。体から湯気が立ち上っている。
カイトはキッチンに回り込み、冷蔵庫の中から夏場の北極のように冷えた缶ビールを取り出した。満足げな足取りで、自室への階段を上る。行儀が悪いけれど、我慢しきれないからビールを咀嚼しながら喉を潤す。
そして、何の気なしに自室の扉を開けて、危うく缶ビールを取り落としそうになった。あまりの驚きに心臓が全身に散らばってしまった。部屋を間違えた。そう思って慌てて扉を閉めようとしたが――いや、違うだろ。頭を振った。
カイトの部屋に間違いはなく、いつもと違うのは、そこにいるユウだ。
真っ暗な部屋の中、カーテンを開け放たれたままの窓から差し込む僅かな月光。空気が止まったかのような、全ての時間が過去に遡ってしまったようで、カイトを酷く混乱させる。昔にも、こんな場面があった。でも、あの時はユウの部屋で、カイトの部屋ではなかったから。動揺を隠せない。そして、あの時ユウにした卑怯なことを思わず思い出し、ビールで冷やした湯上りの身体が、また火照る。記憶の底から浮んでくるユウの唇の感触に、咄嗟に掌を口に押し当てた。
ユウはカイトのベットに横になり、シーツに顔を埋めるようにして寝ていた。規則正しく上下する肩。広がった髪が、月明かりに照らされて艶めいている。足を丸めて、猫みたいな寝相。可愛いなんて、やっぱり思ってしまう。
「どうしようもねぇな。俺」
小さく呟いて、カイトはベッドのすぐ脇に腰を下ろす。
カイトの前に、ユウがいる。こんなにユウの近くにいることが久し振りで。手を少し伸ばせば触れられる位置。こんな些細なことで嬉しくなれる自分が、なんて単純なんだって思うけれど。綻ぶ口元は抑えようがない。
カイトの方に背中を向けて、小さな手は確りとシーツを握り締めて。一体どうしてここにユウがいるのだろう。なぜカイトの部屋で寝ているのかと、訝しがる疑問点は多々あるけれど。理由が何であれ、傍にいられるこの空間が、時間が、物凄く至福。
手にしたままの缶ビールをくいっと傾けて、喉に勢いよく流し込んだ。喉の奥に染み渡る炭酸が、全身に駆け巡るように、ユウへの想いが血管の隅々まで満たす。可愛い、愛しい、眩しい、上げればきっと限がない感情。カイトは冷えた缶ビールを頬に押し当てた。火照った頬に、気持ちがいい。
ベットの上へそっと手を伸ばす。もう少し。手が触れるぎりぎりの距離だ。
――触れたい。けど、触れちゃいけない。
これは意外ときつい葛藤だと、カイトは悟る。傍にいれることは単純に嬉しい。けれど、傍にいれば触れたくなる。触れてしまえばきっと、抱きしめたくなって。この欲には際限が無さそうだから、必死で押さえ込む。好き過ぎておかしくなる。このままおかしくなってしまえれば、感情のまま振舞えるのに。だけど、それをやってしまえば、ユウを傷つけてしまうかもしれないから。目の前の誘惑に耐えて、理性の味方になるしかなかった。
ここ数年の双子の微妙な距離を思えば、こんなにも近くにいられるだけで、今は充分だ。カイトは自身に言い聞かせる。微妙な距離を敷いていたのに、どうしてこんな無防備にユウはカイトの部屋で寝ているのだろう。頭の中を色んな疑問が飛び交うけれど、難しいことは明日考えよう。今は、この至福の時を心の底から味わいたかった。
カイトは目を細めて、ユウの小さな背中を眺めた。
ここまで読んでくれた方、とても感謝です。展開が遅くてすみません。まだまだ、頑張りますので、ご指摘、ご感想などあれば励みになりますので宜しくお願い致します!