<36>悪夢から続く現実
昼間は唸るような暑さでもって、身を溶かすような気温でも、夜の帳が降りてくれば、その熱も幾分冷める。カイトは、外気とは真逆の一向に冷めることのない想いを抱えて、自宅へ戻っているところだった。
つい今しがた近所に位置するマユの自宅まで送り届け、十分も掛からない家路を辿る。そろそろ両親は帰宅している頃だろう。
きっと、ユウと二人きりではないはずで。
今日、何度吐いたか知れない溜め息。先程、自分のしたいようにする、と決意したのに心の何処かが怯えている。ユウと話したい。そう、望んだのは自分だ。なのに、恐怖する自分がいるのも嘘じゃない。
いつから、こんなに臆病になったんだろう。以前はもう少し前向きで気持ちに忠実だったはずで。
頼りない足取りで踏み出す爪先に視線を落しながら、カイトは亀のような速度で歩く。
きっと、この気持ちが折れてしまうことの恐怖を感じてから、前に進むのも、後ろへ下がることも、現実を直視することも躊躇ってしまったのだ。
サクを選んだユウに、自分の気持ち、存在を拒絶されたことが受け入れられなくて。だから、現実逃避する。暗闇に落ちていくように、独り、深淵の淵を彷徨いながら、悪夢の中でユウを待ち続ける。そんな状態が三年。いい加減、長すぎる。
「手に入れろよ」
カイトは声にならない声で、自分に叱咤した。強く拳を握る。そのまま落した視線を上げて。進行方向に、くるりと背を向けた。
まず、この恐怖心に打ち勝つところから始めなきゃ話にならない。だって、気付いてしまったから。自分のしたいように生きるには、このままじゃ駄目だ。
地を勢いよく蹴って、強い足取りで駆け出した。久し振りに、駆り立てるような焦燥感。でも、なんだか心地よくて、このまま止まらずに走れるかもしれないと思う。
自分でそこに封印を掛けたのだ。だったら、その封印は自分で解くしかない。ずっと、避けていたから、いい頃合かもしれない。リズミカルに両足を出しながら、いつだって心の奥底から消え去ってはくれなかった、苦い記憶が蘇る。
悪夢。
あの、悲しくて、辛い切ない記憶。
ユウと最後に交わした、守られなかった約束の場所。今ならそこに行っても耐えられるような気がした。一緒に見ようと約束したクリスマスツリー。季節はあの頃と違えど、カイトは今まであそこを訪れる事が出来なかった。そんな勇気はなかったから。あそこに行けば、嫌でも思い知らされる。待てども待てどもユウは来なかった。寒さに悴む手を擦り、いつまでもユウがくるのを待っていた。
図書室でしたカイトのお願いに、とうとうユウは返事をくれなかった。それが答えだったのかもしれない、などと挫けそうな気持ちを必死で鼓舞させて。寒さと心細さ、不安が入り混じって、何度も泣きたくなる。それでも、迎えには行きたくなくて、自分の、ユウ自らの意志でここへ来て欲しくて。独り、あのツリーを眺めていた。
「あと、少し……!」
今でも心を痛いほど締め付ける記憶を片手に、カイトはいい加減悲鳴を上げそうになってきた足を、更に踏み込む。流れてくる汗が目に沁みる。荒い呼気に上手く空気を取り込めない。
それでも、走り続けたかった。
でないと、あの悪夢に――そこから続く現実に負けてしまいそうで。
自分の力だけで、あの時感じたことをきちんと受け止めて先に進むには、多少の荒療治が必要だから。多少は苦しくっても痛くっても当たり前だ。でないと、なにも変わらない。もう、悪夢から逃げることは止めたから。痛みを恐れていたら、後にも先にも、今にさえも置いていかれるだけだ。
差し掛かった上り坂を、カイトは鋭い視線で挑むように見上げた。






