<24>交差する思い色
全力疾走で校内を駆け抜けて息も絶え絶え。上がった呼気はこれでもかという程乱れて、溢れた涙は留まる事を知らない様。
もうどこをどう走って来たのかさっぱり覚えていないけれど、ユウはお気に入りの渡り廊下にいた。
真っ白な雪が積もっている。雪が降る日に誰も雨晒しの渡り廊下を使用する筈もなく、まだ誰も踏み締めていない新雪の上をユウは覚束ない足取りで歩み出る。
寒さを感じないのも、呼気の息苦しさを感じないのも、会話が聞かれてしまったかもしれないという恐怖心がユウの五感のすべてを浚ってしまうから。
後ろから聞こえたカイトの声。
どんな声色だった?ついさっきの出来事なのに、手繰り寄せた記憶は真っ白な雪の様で。何もユウに確かな情報は与えなかった。
「……気持ち、悪い……と思うよね……」
俯いて零れた言葉はますます自身を傷つけて、小刻みに身体か震えだすのは、けして寒さのせいだけではなくて。
押し寄せる不安に潰されそうになる。
カイトに拒絶される事を考えるだけで、頭がどうにかなりそうで、どんな顔して家に帰ればいいのかすら分からない。
こんな筈ではなかったのに。
カイトに合う子がいつか現れればその手を離す事が出来ると思っていた。寄り掛かる依存もそのうちなくなって、ユウにも好きな人が出来て、普通の姉弟になれると心の中では思っていたのだ。それなのに、気が付けば頭の中はいつだってカイトで占められていて、依存では片付けられない程に気持ちは膨れ上がっていた。
それでも気付かないふりをして、気持ちを押し殺し、平気なふりをして来たのは簡単な事ではなかったのに。こんな気持ちはおかしいって分かっていたから認めることも出来ず、だから目一杯足掻いた。
こんな形で伝わってしまうのは不本意でやり切れない。
もういろんな感情がごちゃ混ぜになったまま、ユウは雪の中ただ呆然と立ち尽くしていた。
「また、そんな顔して、カイトの事?」
不意に聞こえて来た声は、前回もこの渡り廊下で聞いた声。俯いた顔を上げた先には、渋面のサクがいた。
「……なんで泣いてんの?」
一瞬弾かれた様な表情をしたサクは、窺うようにユウを覗き込む。
「……ほっといて下さい」
顔を背けてユウはか細い声で言う。語尾が震えていたのをサクが聞き逃すわけもなく、無性に哀切が込み上がる。
そのままユウの目の前までサクは歩み寄り、勢いに任せてユウの細い腕を掴んだ。
「泣くくらい辛いんだろ? 何でカイトなんだよ。弟だからそんな思いしなくっちゃならないんだ。自分で分かってるんだろ?」
サクは言い含める様に掴んだユウの腕に力を込める。その力の強さにユウの顔が苦痛に歪む。
「前に言ったよな。俺はそんなのが理由じゃ納得出来ないって。そんなのおかしいだろ? ユウちゃん、まったく幸せになれねーよ。何でカイトなの? どうして俺じゃ駄目なんだよ、なんで血の繋がってるカイトなんだよ」
俯いていたユウはサクの言葉に視線を上げて、そこで真剣な視線とぶつかり狼狽える。
サクの言っている事は尤もであって、ユウだってそんな事は百も承知。だけど、気持ちは考えだけでコントロール出来るものではないから、サクの言葉に苛立ちを隠す事が出来なくて。
「なんでそんな事サク先輩に言われなきゃならないの? あたしの気持ちなんて知らないくせに!」
思わず飛び出した言葉は思いの外大きな声で。
敬語なんてものは知らないかのように噛み付いた。ますます溢れた涙は情動に比例しているかの様で、悔しくて唇を噛み締めた。
「分かんねぇよ。だけど、ユウちゃんだって俺の気持ち分かんねぇだろ? 好きな女が自分の弟を好きなんてな。どんな気持ちだと思うよ?」
冷たい挑戦的な黒い瞳に、一瞬呼吸を奪われる。サクの気持ちなんて、確かに今まで考えた事はなくてユウはハッとした。
全てを見透かす瞳に耐えられなくてユウは俯くしかなくて。
「こっち、見て。ちゃんと答えろよ」
外気に冷えたサクの手がユウの顎を捉える。顔を上げさせられ、そのほんの一瞬に何が起こったのか咄嗟には理解する事がユウには出来なかった。
塞がれた唇に、目の前にあるサクの顔。その温もりに漸く事に気付く。
慌ててサクの胸を押し退けようと、掴まれていない方の腕で押し返すけれど、逆に力強く抱き込まれまったく身動きが取れなくなってしまって。
きつく合わされた唇に羞恥と怒りで頬が上気する。
なんでこんな事をされなければならないのか分からなくて、ユウは合わさった唇から嗚咽を漏らした。
「カイトなんて止めとけよ。辛いだけだし、俺にしときなよ。カイトの事忘れる為でいいよ。ユウちゃん……」
人の気持ちも考えない事をして、勝手な事を言うくせに、その声音は驚くほど優しくて哀切を含んでいて、頬を伝う涙を拭う手はもっと切なくて。怒るタイミングを逃してしまう。
だけどサクの気持ちを簡単に受け入れることは出来ないから。ユウはそっとサクの胸を押し退けた。
今度はすんなり離れて、だけど掴まれた腕だけは離れない。
「明後日、またここで待ってる。それまでに、ちゃんと考えて」
真剣な面持ちでサクは告げ、踵を返す。呆然としたユウを残し、校舎の中へ消えて行ってしまった。
「明後日……」
唇に残る感触に、無意識に指をあてて。
十二月二十五日が明後日だと言う事に気が付いた。