<16>譲れない事
気が付いた時には、もう映画は最後のエンディング曲が流れていて、気が早い人達が最後まで見ず暗い中を帰って行く。最後までエンディング曲を聞かない人達と、そこにいてスクリーンはジッと眺めてはいるけど、何も頭に入って来ないのだったら、さっさと帰るのと同じ事だな。なんて、ぼんやりと考える。
本当は、そんな事考えてる場合じゃないのに。
ユウはぼんやりと自分の中を分析するけれど、それでもやっぱり現状を意識して捉えても思考能力を欠いた頭で考えられる事は、そんな事しかなくって、小さく溜め息を吐く。
この映画が完璧に終わって、暗かった場内が明るくなって、そしたら一体どんな時間が待ち受けているのだろう。
出来るだけカイトの傍にいて、マリの言動を見張らなければと思うけど、それに伴う精神的労力を考えるとそれだけでぞっとした。
感動的なエンディング曲が終わったら……、等と考えているそばから隣のカイトが肘掛に乗せた肘でユウの腕を小さく二度突付く。
そして、内緒話をする様に形の良い唇をユウの耳に寄せ、
「これ終わったら帰ろう」
にっこりと微笑む。暗がりで、良く見えないのが残念だったけれども。
だけど、そんな事より何よりもこの後このまま帰れるという事にユウはびっくりして拍子抜けした。わざわざマリと約束して映画をカイトは見に来たらしいと言うのに、終わったらこのまま帰るなんてユウは全く想像していなかったから。
そしてそういえば、映画館に来てから今日の出来事や話が「らしい」と言う憶測や推測ばかりで本当の事はカイトの口から何も聞いていない事に気が付いた。
「帰りに、どっか行きたい」
だから、きちんと話を聞こう。少し口先を尖らせてユウはカイトを見ずに言う。
「二人っきりでね」
そんな仕草が可愛らしくて、カイトは思わず言ってしまった。
「先輩! もう帰っちゃうんですか? あたし、美味しいパスタのお店知ってるんで行きましょうよ! ね、ユウ先輩も一緒に!」
どの口が言うんだ。とは、ユウの心内である。この豹変振りが何と恐ろしい事か、媚びた声音が耳障りで、正直不愉快で堪らない。
「ごめんね、マリちゃん。あたしパスタって苦手なの。また今度違うものを食べに行こうね。今日はこれから家の用事があるから、帰らなくっちゃ」
不愉快な気持ちはとびっきりの最上級の笑顔で隠して、ユウはマリに対抗すべく全精力を使って応対する。帰らなくっちゃ、の処で敢えてカイトの顔を見たりして。でも、そんな仲睦ましい様子がマリの対抗心を刺激するって事に気付いていないユウはやっぱりまだまだカイトの庇護が必要だったりするから、カイトはユウから目が離せなかったりするのだ。
「じゃあ、パスタは止めましょ。ユウ先輩は用事があるならカイト先輩だけでいいですよ。先輩は何が食べたいですか〜?」
「マリちゃん? 話聞いてた? 家の用事があるの。家って事はカイトもって事なんだけど」
「そうなんですか〜? カイト先輩も?」
なんて手強い。あっさりと、言いやがった。「カイト先輩だけでいい」って。
聞き逃す訳もなく、頬がひくりと引き上がってしまうのをユウは止められなくて、少し小馬鹿にした様な口調も隠し通す事が出来なかった。それなのに、マリはいつまでもかわい子ぶりっ子で、敵の戦略は乱れる事がない。女同士の戦いは、恋愛の駆け引きより難しいのでは無かろうか、と思うのはそんな遣り取りを見ているカイト。
「まぁ、そういう事だからさ。飯はまた日を改めてにしようぜ?」
取り敢えず、この場をまとめたくてカイトが締める。こんな冷や汗たっぷりの昼ドラみたいな遣り取りは心臓に悪いから、テレビの中だけにして貰いたいと思う。
もちろん、こうなった原因は自分なんだけれども。
「分かりました……また、次回。カイト先輩約束ですよ?」
しゅんとした表情で、それでもマリは確りと次回の約束を取り付けるべくカイトを上目使いで見上げた。約束の中に、ユウが入れないようにカイトしか見ていない。
「うん。次は飯ね」
本気か適当か分からないような返事をして、カイトは「じゃあ」と手を振って踵を返した。ユウも慌てて置いて行かれないように後を追った。
大きな背中。
今まではカイトの事なら何でも分かってる気がしていたのに。最近のカイトは良く分からない。いつも見続けていた背中は何時の間にか変わってしまったのだろうかと思うと、胸の奥ら辺がギスギスと痛い。
本当に、食事に次回は行くのだろうか。次回はマリと二人っきりで?
聞きたいけど、自分がそれをカイトに聞く理由とカイトがそれに答える筋合いが見付けられなくてユウは黙ってその背中を追う。
駐輪場に差し掛かる曲がり角で、ユウは映画館の入り口を振り返った。
そして、そこにマリがもう居なくて少しほっとした。
あの子にはカイトを渡したくはないのだけれど、きっとカイトを思う気持ちは真剣で純粋な思いなのだろうと思うから、少し冷静になってくると、悪い事をしたかなと思う。それでも譲れないものがあるから、良心が痛むのも仕方がない。兎に角、其処にマリが居なくて良かった。泣いてなんかいたら決心が鈍ってしまうんじゃないかと不安になってしまいそうで。
人の気持ちを拒むというのは勇気がいる事だと思う。当事者に関係がなければ尚更だ。それは間違いなくその相手を傷つける事になるのが分かり切っているから。
ユウは気持ちを振り払う様に、映画館から視線を逸らし、もう一度カイトの背中を見た。
それでも、人には譲れない事があるから――
傷つけても、傷ついても、渡したくない人だから。