第一話:召喚失敗
いつもと変わらない、ありふれた放課後の帰り道だった。
学校なんて退屈の極みだ。そう思っていた。俺はとにかく自分の部屋に引きこもり, 日の光を浴びずに過ごすのが大好きな人間だから。
……そんな時だった。睡魔に襲われ、ほんの数秒だけ目を閉じた。
次に目を開けた瞬間、俺は見知らぬ白い部屋に立っていた。
目の前には、黒髪に青い瞳をした少女。背中にはまるで天使のような羽が生えていて、じっと俺を見つめている。
彼女は俺の姿を捉えると、確信に満ちた声で告げた。
「あっ、カケル・ミシュクノ!」
「あなたは私によって召喚されました。どうかあの世界を滅ぼそうとする――」
「あー、ちょっと待って」
俺はその言葉を遮った。
この手の展開なら、骨の髄まで知り尽くしている。俺は自信に満ちた、期待通りのオタク全開の笑みを浮かべて彼女を見た。
「え、もしかして魔王を倒してくれとかそういうやつ? 望むところだけど。俺、こういうのめっちゃ好きな童貞ニートオタクだからさ……!」
現実になってくれと、心の中で祈りながらそう言った。
その時、金髪緑目の天使が、血相を変えてこちらに走ってきた。手には一つの巻物を握りしめている。
「エリシア様! 大変です、これを見てください!」
エリシア(とかいう名前の女神神)は、眉をひそめてその巻物に目を落とした。そして、そこに書かれた内容を読み上げる。
『本日の報告によれば、魔王はすでに討伐されました。というか、なんか平和的かつ間抜けな理由で勝手に死にました。世界滅亡の危機は回避されたので、すべての召喚作戦を中止してください……』
エリシアはスクロールを睨みつけ、それまでの慈愛に満ちた女神の演技をかなぐり捨てた。本性を現した彼女は、怒りに震えながら叫ぶ。
「クソ魔王め……! よりによって、こんなゴミを召喚するために私の貴重な魔力を使わせるなんて! おい、お前よ、カケル! あんたのせいで私の魔力タンクが空っぽになったのよ! あんたみたいな粗大ゴミに使う魔力なんて一滴もないわ!」
俺は完全にショック状態だった。
アニメの異世界で最強のはずの魔王が、まさかの「手違い」で死ぬなんて。俺、異世界に来て早々、無職になったの……?
呆然とする俺に、エリシアは氷のように冷たい視線を向けた。
「カケル・ミシュクノ。この世界において、あなたはただの『余剰物』よ。追放するしかないわね。この世界を壊されないように、与えるはずだった恩恵も全部没収。……さあ、泥水でもすすって生き延びなさい」
彼女が右腕を伸ばし、指をパチンと鳴らした。
パチリと瞬きをした次の瞬間、俺は最悪な場所にいた。
深い森の地面に激しく叩きつけられる。衝撃で丸眼鏡が吹き飛んだが、幸いにも壊れてはいなかった。服の袖でさっと汚れを拭き取る。
……あの裏切り。あの瞬間。
胸の奥から、惨めさが込み上げてくる。学校のクラスメイトたちに「お前って本当に使えないゴミだな」と笑われていたあの感覚。エリシアが言った通り、俺はただの粗大ゴミなのか。
(どうしてだ? なんで俺なんだ? 他の奴らにあって、俺にないものって何なんだよ……)
トボトボと森を歩きながら、悔しさが涙になって溢れそうになる。
(クソクラエだ。もし俺が英雄になれないなら、アイツの言う通り『アノマリー(異常物)』として生きてやる。とりあえず、生き延びてやる……)
しばらく歩くと、人の気配がした。いくつかの物資が置かれたキャンプを見つける。生き延びるために何か拝借しようと近づいた瞬間、背後に二人の大男が現れた。
男たちは俺を見るなり、下品な大笑いを浮かべる。
「ガハハハ! おいクライン、見ろよ! 俺たちに比べたら、まるで小人じゃねえか! どうしたボウズ、迷子にでもなったのか?」
兄貴分らしき大男がからかうように言い、クラインと呼ばれた弟もニヤニヤと俺を見下ろしている。この二人、グランダー兄弟は見るからに強そうで、威圧感が半端ない。
何か抵抗しようとしたが、俺はあっさりと突き飛ばされ、地面の泥水に顔から突っ込んだ。
(惨めだ……最悪だ……)
逆らうこともできず、彼らの「玩具」にされた挙句、俺は何も手に入れられないまま、文字通り手ぶらで追い出された。
泥だらけの体を引きずりながら森を抜けると、ようやく小さな街に辿り着いた。ここなら身を隠せるかもしれない。
行き交う人々、立ち並ぶ露店。呆然と立ち尽くしていると、頭にバンダナを巻き、茶色の革ベストを着たハゲ親父が声をかけてきた。
「おい、そこの坊主。こんな場所で何突っ立ってるんだ? 目的もなくこの辺りをうろつくのは危ねえぞ」
どこかも分からない世界で一人きり。俺はひどく落ち込んだ顔で、消え入りそうな声を絞り出した。
「あ……すみません、俺、一人で……何も持ってなくて。これからどうすればいいか、分からなくて……」
俺の様子を見た親父は、何かを察したように、ポンと俺の肩に手を置いた。
「気にするな、若者よ。人生そう悪いことばかりじゃねえさ。もし生き延びたいなら、俺の店に来い。リンゴの売り子だがな。役に立ってくれたら、ちゃんと銀貨を握らせてやるよ」
親父が指差した先には、いたって普通のリンゴの露店があった。
俺は昔から器用な人間じゃなかった。でも、やるしかない。
店に入り、必死にお客さんの相手をした。
「リンゴを1キロちょうだい」
茶色の長い髪をしたおばちゃんに言われ、不器用ながらもリンゴを袋に詰めて手渡す。その後も、次々とやってくる客の対応に追われ、気づけば夜になっていた。
他の露店が片付けを終える頃、俺は親父の前に立っていた。彼の名前はカイン。本当にいい人だった。
カインは「よく頑張ったな」と、俺の手のひらに数枚のブロンズコイン(青銅貨)を乗せてくれた。決して多くはなかったが、俺がこの世界で初めて稼いだ価値あるお金だ。
その後、カインは俺を自宅の裏にある厩舎(馬小屋)へと案内してくれた。
「まあ、大したもてなしはできねえが、ここで良ければ使ってくれ。必要なら毛布とか持ってきてやるからよ」
カインは少し照れくさそうに頬を掻きながら言い、俺が何度もお礼を言うと、優しく笑って戻っていった。
俺は干し草の積まれた床に、どさりと腰を下ろした。
静まり返った馬小屋で、今日起きた信じられない悲劇の数々を思い出す。
(はぁ……最悪だ。異世界がこんなにシビアなんて思わなかったな。女神にはゴミ扱いされて追放され、大男には泥水にぶち込まれて屈辱を味わうなんて。……でも、最悪だけど、とりあえず雨風をしのげる屋根と、明日の仕事は手に入ったんだ)
フッと小さなため息をつき、俺は泥のように深い眠りに落ちていった。




