鬼交渉官との体裁婚のはずが何かが違う 〜私がチョロい訳がない〜
私は宮廷官吏として仕事に生きる女、エルゼート。職場で鉄の女と陰口を叩かれるのは構わない。内務局会計部の激務は生き甲斐だ。
ただ、親に結婚を催促されたり、妹に人生充実マウントを取られたりするのが、甚だ面倒にはなってきた。
このところ、気になる都市伝説を耳にした。宮廷官吏の間では、テンミニッツ・ネゴシエーションなる交渉会があるというのだ。仕事に生きる宮廷官吏の男女が、10分で体裁婚を交渉するための裏制度ということらしい。
それでは、単なる事務的な見合いだ。非常に合理的ではないか。是非とも利用したい。内務局の窓口はどこにある? え? 私と適合性の高い相手がいる? まさか、実在するとはな。面白い。
という訳で、宮廷外務局統括部庁舎、ロビー簡易ブースに来た。一般人はおろか、官吏ですら入場が限られたこの場所が交渉の場だ。今日の二人の予定なら、最も効率的な時間と場所だ。これまた合理的で素晴らしい。
「ギルバンクと申します。仕事で何度かご一緒してますね。ここでの会話は口外厳禁でお願いします」
目の前に座る男が、淀みのない口調で言った。外務局の鬼の交渉官として有名な人物だ。いくつもの外交武勇伝があり、仕事一筋で女に興味がないと噂に聞いていたが、まさか体裁婚を希望しているとは。
いずれにしても、宮廷官吏でも精鋭のエリートが集まる外務局の人間だ。胸を借りるつもりで交渉させてもらおう。
「承知しております。エルゼートと申します。早速本題に入ります。結婚に関する周囲の圧を処理するのが負荷になっているので、体裁婚で対処したいと考えています。基本的に相互無関心で構いませんが、侵食厳禁のものがあります。私の癒しはモフモフ全般です」
お気に入りの幼ワイバーンのモフぬいをテーブルに置いた。十八番の冷淡なドヤ顔で決めゼリフを刺す。
「モフぬいは最高です」
「は?」
完璧だ。エリート集団外務局内でも更に指折り、鬼の交渉官ともあろう者が、この程度で狼狽するのか? 交渉は不成立か?
「ふむ……では、実際に癒されてもらっても良いですか?」
この男、何を言って……鬼の交渉術というやつか? それとも偏執狂か何かか? 内務局で格下と思って舐めてもらっては困る。受けて立とう。
「行きますね」
遠慮なく、いつものように顔をうずめて深く息を吸う。癒される。あぁ、控え目に言って最の高。
フフフ……どうした? これが本物の癒しだぞ? かかってこい、偏執狂。
「わかりました。結婚してください」
「へ?」
「私の癒しは愛でる女性です。心臓鷲掴みとはなかなかやりますね。胸がキュっとなりました」
「いや、何を言って」
待って待って、何なのこの人? 変人?
「あなたのような優れた女性が愛でる姿は最高です。凛々しさに滲む慈しみは、上品で極上の美であり可憐さそのものです」
ちょ、押しすぎじゃない? 何なの?
「日頃の決断力と交渉力がモフぬいで引き立ちます。エルゼートさんは、外務局、内務局予算統括部、財務局、これら宮廷三巨頭に対して物怖じせずに立ち振る舞い、引くべきところは礼節をもって引きます。会計部は板挟みの調整役という、弱い立場になりがちなのに、エルゼートさんは強くあって宮廷行政に大いに寄与されています」
何か近くない? ねぇ、離れてるのに何か近いって!(意味不明)
「そんな魅力的な方が、モフぬいとのコントラストで見せる融合は、至高という概念そのものです。癒されます。あなたもモフぬいも最高です。私の語彙力が及ばないことが残念至極です。エルゼートさんのことが、ずっと気になっていましたが、自分の気持ちがはっきりとわかりました」
ぐいぐい来すぎ! 運命の人とか陳腐なことを言うな!(言ってない)
「空想は空想と割り切って、仕事一筋で体裁婚をするつもりでした。それなのに、たった今、エルゼートさんという理想に辿り着きました。結婚してください」
「え? はぁっ!? いや、だって、ここは交渉の場であって、そういう」
おかしい、おかしいよ、この人!
「エルゼートさんにとって、仕事は誇りではないのですか?」
「あ、え、はい、仕事は、私の人生のほとんど、です……」
今度は急に何!?
「私は、その本質をよく理解しているつもりです。あらゆる方向への計算と配慮、そしてしっかりとした所作、それはもう宮廷の、いや、王国の至宝です。それがモフぬいで癒されたら、私には崇高そのものと言ってもいい。エルゼートさんの大きな部分が、私にとってそうなのです。もちろん他の面もあるでしょう。それも是非とも見せてください」
「え、いや、だから、相互無関心で」
ありえない、ありえないから!(ありえない)
「エルゼートさん、好きです。人生全振りします。結婚してください」
「う、あ、その、はい、結婚しましょう」
うわー、なんだこれは、交渉どこいった? 即席非常食の準備だってもう少しかかるぞ、おい!
あ……れ? 私は押し、弱すぎ? もしかしてチョロいってやつなのか? いやいや、鬼の交渉術が凄すぎるんだ、そうに違いない、うん。私がチョロい訳がない。
これは体裁婚なんだ。もともとそういう予定だったんだ。お互いに何の問題もないじゃないか。でも……まあ……嫌じゃない……
鬼が鉄をトロトロに溶かす重工業もかくやの熱量、それがここにある。




