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アンデッド・ビューティー ~死体令嬢は腐りたくないので、魔法とメイクで社交界の華になる~  作者: 伝福 翠人


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第9話:咀嚼の魔術(袖へのシュート)

 大食堂の長テーブルには、ヴェルデ公爵家の富を象徴するような豪奢な料理が並べられていた。


 


 メインディッシュとして、リリアーナの目の前に極上のローストビーフが運ばれてくる。


 赤ワインとフォンドボーを煮詰めた濃厚なソースの香りが、湯気と共に鼻腔をくすぐる。生きた人間であれば、胃袋を刺激され生唾を飲み込む場面だろう。


 


 だが、リリアーナにとってそれは「いずれ激しく腐る有機物の塊」でしかなかった。


 


 彼女は優雅な所作でナイフとフォークを操り、肉を小さく切り分けると、ゆっくりと口に運んだ。


 


 ――気持ち悪い。


 


 舌の上に転がったのは、生温かく、ぶよぶよとしたひどく不快な異物。


 味覚はとうの昔に死滅しているため、肉の旨味などは一切感じない。ただ、冷え切った口内に他者の体温に近いものが侵入してきたという、生理的な嫌悪感だけがこみ上げてくる。


 


 しかし、表情には微塵も出さない。


 リリアーナは、側から見れば美味しそうに食事を味わっているように、顎をゆっくりと動かし始めた。


 


 咀嚼の魔術(物理)の、開演である。


 


 歯で肉を噛み砕くふりをしながら、実際には舌先の巧みな運動だけで肉片を丸め、唾液(そもそも分泌されないが)でソースが周囲に広がらないようコーティングする。


 そして、扇子を手に取り、バサァッという派手な音と共に口元を覆い隠した。


 


「まぁ……お父様、今日のローストビーフは格別ですわね」


 


 扇子の裏側に隠された一瞬の死角。


 その間に、彼女は口を半開きにし、丸めた肉片を膝の上に敷いた厚手のレースナプキンへと音もなく落下させる。


 


 さらに、テーブルの下。


 ナプキンに落ちた肉片を、左手の指先を使って巧みに転がし、コルセットの隙間――先ほど自らの腹の皮に縫い付けた「隠し袋」の開口部へと滑り込ませた。


 


 ポスッ。


 


 見事なシュートだった。流れるような無駄のない所作。


 正面に座る父の目には、愛娘が上品に扇子で口元を隠しながら、食事と会話を楽しんでいるようにしか見えていない。


 


 袋の容量を計算しながら、リリアーナは順調に肉や付け合わせの野菜をシュートし続けた。


 この調子なら、何事もなくディナーを乗り切れる。


 


 そう確信した時だった。


 


「そういえばリリアーナ。お前が寝込んでいる間、あの気難しい宰相殿が階段で滑って、カツラを噴水に落としてしまってな!」


 


 ワインで上機嫌になった父が、突如として社交界の滑稽な失敗談を語り始めたのだ。


 


 淑女たるもの、父のジョークには優雅な微笑みで応えなければならない。


 リリアーナは無意識に、口角を上げようと頬の筋肉を動かした。


 


 ピキッ。


 


 右頬のパテが限界を訴え、微かな亀裂の音を立てる。


 その恐怖に一瞬意識を持っていかれた隙に、舌の上のコントロールが乱れた。


 


 ズルンッ。


 


 丸めていた肉片が、重力に従って、死んで機能の止まった食道の奥へと滑り落ちかけたのだ。


 


 ――落ちる。


 


 もしこのまま胃袋(のあった空洞)へ落下すれば、二度と回収はできない。確実に体内から腐敗ガスが発生し、明日の朝には体が内側から破裂する。


 


 パテが割れる恐怖と、体内腐敗の恐怖。


 絶体絶命のダブルパンチの中、リリアーナは扇子で顔の上半分までを完全に覆い隠し、わざとらしく肩を震わせた。


 


「ケホッ、コホッ……す、少し、むせてしまいましたわ」


 


「おお、大丈夫かリリアーナ!? 水を!」


 


 慌てる父の視線を扇子で遮りながら、リリアーナは喉元での決死のサルベージを開始した。


 


 肺が動かないため、生者のように空気の圧力で咳き込んで異物を吐き出すことはできない。


 彼女は、硬直した喉の筋肉を物理的に波打たせ、食道の壁に張り付いた肉片を、下から上へと無理やり押し上げるという荒業に出た。


 


 ゴキリッ。


 


 首の頸椎から、致命的な摩擦音が鳴る。


 同時に、首筋を覆っていたパテに微細なヒビが入るのを感じた。


 


 だが、その代償と引き換えに、肉片は再び舌の上へと押し戻された。


 


 リリアーナは震える指先でそれをナプキンへ吐き出し、そのまま腹部の隠し袋へと強引にねじ込んだ。


 


「……ご心配をおかけしました、お父様。もう大丈夫ですわ」


 


 呼吸を(しているふりを)整え、扇子をゆっくりと下ろす。


 どうにか危機は去り、皿の上の料理も(すべて腹の袋に収まったことで)見事に平らげられていた。


 


「おお、よく食べたな! 顔色もすっかり良さそうだ」


 


 満足げに頷く父を見て、リリアーナは内心で勝利のガッツポーズをした。


 関節とパテに多少のダメージは負ったが、これで「食事問題」もクリアしたのだ。


 


「それではお父様、わたくしは部屋に戻り――」


 


 優雅に一礼し、立ち上がろうと腰を浮かせた、その瞬間だった。


 


 ブチッ。


 


 静かな食堂に、硬い糸が切れる不吉な音が響いた。


 


 ――重い。


 


 水袋の中に詰め込まれた、大量の肉と野菜、そして濃厚なソース。


 その物理的な「重量」を、リリアーナは完全に計算に入れ忘れていた。


 


 自らの皮膚と袋を繋ぎ止めていた太い絹糸が、中身の重さに耐えきれず、腹部の肉をちぎりながら悲鳴を上げている。


 このまま立ち上がれば、ドレスの下で隠し袋が完全に崩落し、大量のローストビーフが床にぶちまけられるだろう。


 


 リリアーナの背筋が、これまでにないほど強烈に凍りついた。

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