第8話:夕食会の招集状
父が満面の笑みで部屋を去った後、リリアーナはベッドの縁に力なく沈み込んだ。
――夕食会。
公爵家恒例の家族ディナー。病み上がりであろうと、領主である父が主催する以上、欠席は許されない。もしここで姿を見せなければ、「奇跡の生還」そのものが疑われてしまうだろう。
だが、リリアーナにとって「食事」とは、完全なる自殺行為に他ならなかった。
胃腸の働きが完全に停止している死体の腹に、有機物である食物を入れる。
それはつまり、体内に腐敗の温床となるゴミを直に放り込むということだ。消化されることのない肉や野菜は、彼女の腹の中で凄まじい速度で腐り、内側からガスと異臭を発生させ、やがて美しい表皮を突き破ってウジ虫をわかせるだろう。
想像しただけで、空っぽの腹部を虫が這い回るような強烈な錯覚に襲われ、背骨の関節が恐怖でガチガチと鳴った。
食べずに乗り切るか? いや、父の監視の目でそれは不可能だ。
食べて、腐るか? 論外である。
絶望的な二択の前で、リリアーナの冷え切った脳髄が、ひとつの狂気的な閃きに到達した。
――体内(胃)に入らなければ腐らない。ならば、胃の代わりに食べ物を収容する『別の空間』を外付けしてしまえばいいのよ。
彼女は硬直した足を引きずり、衣装箪笥の奥からいくつかの道具を引っ張り出した。
野営用の、防水と防臭に優れた「魔獣の革で作られた水袋」。
医療用の太く湾曲した縫い針と、強靭な絹糸。
そして、先ほども使った高粘度の石粉パテ。
ガウンを脱ぎ捨て、青白く変色した自身の腹部を見下ろす。
ちょうどコルセットで隠れる位置。ここに、この水袋を「隠し袋」として物理的に接続するのだ。
リリアーナは針に糸を通し、何の躊躇いもなく、自らの冷たい皮膚に鋭い切っ先を突き立てた。
ブチッ。
分厚い布地を貫くような、鈍い音が寝室に響く。
痛覚は、まったくない。
血も一滴すら流れない。ただ、針が肉を引き裂き、糸が通っていく摩擦の振動だけが、指先を通じて脳に伝わってくる。
ブツッ、ギュッ。
水袋の縁と、自分の腹部の皮を直接縫い合わせていく。
傍から見れば、狂気に満ちた猟奇的な自傷行為にしか見えないだろう。だが、今のリリアーナにとって、これは「ドレスの仕立て直し」と何ら変わらない感覚だった。
――もう少し、右のラインを引き締めた方がコルセットの邪魔にならないわね。
そんなことを考えながら、淡々と、しかし緻密に縫合を進める。
袋の口が完全に上を向くように固定し、皮膚との接合部には石粉パテを厚く塗り込んで隙間を塞ぐ。仕上げに防腐魔法の魔力を流し込み、完璧な強度を持たせた。
かくして、アンデッド専用の「外付けの胃袋」が完成した。
リリアーナは、その上からコルセットを巻き付け、侍女の力を借りずとも限界まで紐を締め上げた。肺が潰れる心配などないため、生前よりも遥かに細く、完璧な砂時計型のシルエットが再構築される。
上から豪奢なイブニングドレスを纏えば、腹部に袋が縫い付けられているなど、誰一人として気づかないだろう。
完璧だ。
リリアーナは必須装備となった羽根飾りの扇子を手に取り、優雅な足取りで自室を出た。
目指すは、邸宅の1階にある大食堂。
外見の準備は整った。だが、本当の戦いはこれからだ。今夜のミッションは「食べたものを決して喉の奥へ落とさず、気付かれずに腹部の隠し袋へと誘導する」ことである。
重厚な食堂の扉の前で立ち止まる。
隙間から、極上の肉が焼ける匂いと、濃厚なソースの香りが漂ってきた。
かつての彼女なら喜んだであろうその匂いは、今の彼女にとっては、ただの「いずれ腐る汚物の匂い」でしかない。
「……さあ、命懸けのディナーショーの始まりよ」
リリアーナは扇子をバサァッ!と開き、関節の軋みをかき消しながら、覚悟と共に扉を開け放った。




