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アンデッド・ビューティー ~死体令嬢は腐りたくないので、魔法とメイクで社交界の華になる~  作者: 伝福 翠人


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第7話:扇子に込める覚悟

 シュワシュワ……。


 


 耳の奥で鳴り続けるその微かな音は、リリアーナにとって世界が終わるカウントダウンに等しかった。


 


 部屋を埋め尽くす「太陽の白百合」から放たれる、浄化の魔力を帯びた芳香。


 それが彼女の顔面に触れるたび、防腐魔法が揮発し、緻密に塗り重ねた油彩と石粉パテがカサカサと粉を吹き始めている。


 


 このままでは、あと数分ですっぴん(青白くひび割れた死体)にされてしまう。


 


 リリアーナは決死の覚悟でベッドから身を乗り出し、サイドテーブルにあった孔雀の羽根飾りの扇子を引っ掴んだ。


 そして、己の顔面に向けて、手首の筋がちぎれんばかりの勢いで猛烈に風を起こし始めた。


 


 バサァッ! バサァッ!


 


 狙いは一つ。


 迫りくる花の香り(浄化の魔力)が顔に付着する前に、物理的な風圧で吹き飛ばす「防空圏」の構築である。


 


 腕を振るたびに、先ほど応急処置をしたばかりの肩の関節がギリギリと悲鳴を上げる。痛覚はないが、骨の削れる不快な振動が直接頭蓋を揺らした。


 それでも、彼女は扇ぐ手を止めない。


 関節の摩耗など、美容の完全崩壊という恐怖に比べれば些末な問題だ。


 


「リリアーナ!? すごい風の音がするが……」


 


 そこへ、騒ぎを聞きつけたのか、ヴェルデ公爵が再び部屋へ飛び込んできた。


 


 リリアーナは即座に扇子の軌道を変え、すでにパテが崩れかけて粉を吹いている右頬から口元までを、扇子で完全に覆い隠した。


 そして、残された目元だけで、極限まで憂いを帯びた表情を作り上げる。


 


「お父様……」


 


「ど、どうしたのだ! そんなに激しく扇を仰いで。やはり体調が……」


 


「違いますわ。わたくし、恐れ多くて震えているのです」


 


 扇子で口の動きを隠したまま、喉の奥から空気を絞り出して腹話術のように喋る。


 


「この太陽の白百合は……あまりにも高貴すぎます。わたくし一人の寝室でこの香りを独占するなど、神に対して不敬というもの。どうかこの花はすべて大広間に移し、皆様でこの祝福を分かち合ってくださいませ」


 


 ――お願いだから一秒でも早くこの暴力的なクレンジングフラワーを撤去して。


 


 内心の悲鳴とは裏腹に、言葉の表面だけはどこまでも慈悲深く、自己犠牲に満ちた聖女のものである。


 父は、ハッと息を呑んだ。


 


「おお……リリアーナ! 自分が苦しい時でも、神への感謝と他者への思いやりを忘れないとは! なんという慈悲深い娘だ!」


 


 公爵の目から、またしても感動の涙が滝のように溢れ出す。


 


「すぐだ! すぐに使用人を呼び、大広間に移させよう! お前の美しい心遣いに、神もさぞお喜びだろう!」


 


 数分後。


 数十鉢の白百合は慌ただしく運び出され、寝室には再び、安心と信頼の防腐液の匂いが戻ってきた。


 


 命拾いをしたリリアーナは、ベッドに腰掛けたまま、手の中の扇子をじっと見つめた。


 


 ――この扇子、もはやただの小道具ではないわ。


 


 彼女は、これを「死体令嬢の必須装備」として再定義した。


 


 バサァッ! と勢いよく開く派手な音は、強張った関節が動く際の「ギチギチ」という摩擦音を見事にかき消してくれる。


 口元を隠せば、口を大きく動かさずに喋ることができ、頬のパテが割れるリスクを最小限に抑えられる。


 さらに、扇子の華麗な動きで相手の視線を誘導すれば、まったく呼吸をしていない己の硬直した胴体から目を逸らさせる「ミスディレクション」も可能になる。


 


 完璧だ。


 リリアーナは鏡の前に立ち、関節の軋む音と扇子の開閉音を同調させるための、ストイックなトレーニングを開始した。


 


 バサァッ(ギチッ)。


 パタン(ゴリッ)。


 


 徹底した反復練習。


 そこへ、花の撤去を終えた父が戻ってきた。


 


 父は、鏡の前で扇子を操るリリアーナの姿を目撃し、その場で感涙にむせんだ。


 


「ああ、リリアーナ……。無駄のない、極限まで洗練された淑女の所作だ。死の淵から戻り、お前はさらに美しく、気高くなった……!」


 


 死体のボロ隠しのための物理的なカバーリング技術が、父の目には最高峰の洗練されたマナーとして映っているらしい。


 バレていないどころか、好感度すら上がっている。


 リリアーナは、扇子の絶大な効果に完全なる確信を持った。これさえあれば、社交界のいかなる困難も(物理的に)乗り切れるだろう。


 


 しかし、勝利の喜びに浸る彼女に、父は無慈悲な宣告を下した。


 


「ところでリリアーナ。そろそろ家族揃っての夕食会ディナーの時間だが、体調は平気か?」


 


 ――夕食会。


 


 それは、扇子ではどうにも隠すことのできない「食事」という名の生存証明。


 胃腸の止まった死体にとって、食物は体内から腐敗を招く猛毒の異物でしかない。


 


 リリアーナの背骨のあたりで、絶望のあまりにパキリと嫌な音が鳴った。

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