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アンデッド・ビューティー ~死体令嬢は腐りたくないので、魔法とメイクで社交界の華になる~  作者: 伝福 翠人


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第4話:父、ヴェルデ公爵の慟哭

「リリアーナ! おお、私の愛しい娘よ、無事だったのか!」


 


 扉を乱暴に開け放ち、ヴェルデ公爵が巨大な熊のような勢いで突進してくる。


 その目には大粒の涙が浮かび、両腕は娘を強く抱きしめるべく大きく広げられていた。


 


 生きた人間であれば、感動的な親子の再会シーンである。


 しかし、今のリリアーナにとって、それは破滅をもたらす巨大な温熱源の襲来に他ならなかった。


 


 あの太い腕で力任せに抱きしめられれば、父の体温で顔のパテが緩み、衝撃で全身の関節が外れかねない。


 逃げなければ。


 だが、硬直した足は素早い回避行動を許さなかった。


 


 リリアーナは咄嗟の判断で、右手に握っていた手鏡と自身の左腕を胸の前に交差させ、クッションの役割を持たせた。


 そして、父の分厚い胸板に「顔を埋めて泣き崩れるふり」をすることで、顔面への直接的な接触をギリギリで回避する。


 


「おお、リリアーナ……っ! 神よ、感謝いたします!」


 


 ドンッ、と重い衝撃が左腕を襲う。


 その瞬間、接触した腕の関節から、ギチギチと古い木造船が軋むような悲鳴が鳴った。


 だがそれ以上に彼女を苛んだのは、父の体から放たれる圧倒的な「熱」だった。


 


 三十六度強の平熱。


 それは、すでに絶対的な冷たさに支配されているリリアーナの皮膚にとって、熱湯を浴びせられるかのような不快感だった。


 触れられた部分から、己の輪郭がドロドロと溶け出していくような錯覚に陥る。


 


「本当に、本当によかった……っ!」


 


 父の慟哭が頭上から降り注ぐ。


 と同時に、リリアーナの背筋(実際には神経など通っていないはずの脊髄)に強烈な悪寒が走った。


 


 ポタ、ポタッ。


 


 父の目から零れ落ちた巨大な涙の雫が、リリアーナの頭のすぐ横を掠めて床に落ちたのだ。


 


 ――水分と塩分。


 


 それは、油彩絵具と石粉パテで構築された彼女の「完璧な美」を破壊する、最悪の兵器である。


 もし一滴でも頬に落ちれば、緻密に計算された血色のグラデーションが致命的なシミとなって崩落する。


 


 リリアーナは声を出せないまま、極限の集中力で首の角度をミリ単位で調整し始めた。


 右へ三ミリ、左へ五ミリ。


 頭上から不規則に降り注ぐ涙の弾道を予測し、油彩の施された肌への直撃をすれすれで回避していく。


 


 傍から見れば、娘が父の胸で震えているようにしか見えないだろう。


 だが実際には、彼女は己の顔面を防衛するための、血の滲むような(血は一滴も出ないが)死闘を繰り広げていた。


 


「……ああっ、リリアーナ。なんてことだ」


 


 不意に、父がリリアーナの肩を強く掴み、少しだけ体を離した。


 


 バレたか。


 関節の軋み音を聞かれたか。


 


 リリアーナの指先が、絶望に微かに震える。


 しかし、父の口から出たのは、予想だにしない言葉だった。


 


「おお……死の淵を彷徨った恐怖で、こんなにも氷のように冷え切ってしまって……!」


 


 父は、娘の死体特有の冷たさと硬直を、極度のショック状態によるものだと勝手に解釈したのだ。


 さらに父は、鼻をひくつかせながら周囲を見渡す。


 


「この強い匂い……。治療のために、ひどく強い薬を使ったのだな。可哀想に……よくぞ耐えてくれた」


 


 部屋に充満する防腐液の匂いすらも、手厚い治療の証として肯定的に受け取って咽び泣いている。


 


 父の海よりも深い愛情。


 それは理解できたが、今のリリアーナの頭の中は別の焦燥感で埋め尽くされていた。


 


 ――お願いだから、感動してないで早く離れて。さっきから体温のせいで、右頬のファンデーションが浮き始めているのよ。


 


 早くベッドに寝かせてくれと念じるが、父はひとしきり泣いた後、大きく深呼吸をして涙を拭った。


 そして、両手でリリアーナの肩を真っ直ぐに掴み直す。


 


 ようやく解放される。


 そう思った直後、父の表情からふっと感動の色が消え去り、代わりに鋭い怪訝さが浮かび上がった。


 


「……だが、リリアーナ。お前……」


 


 父の視線が、リリアーナの顔から、ゆっくりと下へ向かう。


 そこにあるのは、豪奢なナイトガウンに包まれた胸元。


 


 微塵も、上下していない胸元。


 


 父の瞳が、驚愕に見開かれる。


 最大の味方であるはずの彼が、最も決定的な「死の証明」――呼吸の不在に気づいてしまった瞬間だった。

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