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27歳一人の自衛官として

作者: 赤ワニ太郎
掲載日:2025/12/11

この前の「書き殴り」をもう一度、落ち着いて書いたものです。

 

 夜というものは、日中よりも雄弁だと、最近になってようやく思い知った。

 暗闇は物を隠すが、同時に人の心の輪郭だけは露わにする。

 特に、まだ訪れてもいない“その日”――いつか俺が戦場へ向かうであろう日の影が、胸のどこかにじっと居座って離れない夜には、なおさらだ。


 布団の上に横たわりながら、天井の真っ暗な気配をじっと見つめていると、自分の人生がゆっくり生き返ってくるような感覚に陥る。

 今日あったことでも、昨日のことでもなく、もっと遠い過去と、もっと遠い未来の匂いが同時に漂ってくる。


 俺はいま、戦争のただ中にいるわけではない。

 銃声も爆音も、まだ耳を震わせてはいない。

 だが、それらは俺の未来の一部として、確実に俺の内部に根を張り始めている。

 生温い風のように、気づかぬうちに、皮膚の奥にまで沁み込んでくる。


 ――いつか戦争は起きる。

 その確信めいた予感が、近年、俺から“今”を軽々と奪い続けている。


 だが誤解しないでほしい。

 俺は自分の選択を後悔していない。

 むしろ誇りですらある。

 国のために、家族のために、そして自分自身が選び取ってしまった道のために、俺は戦う覚悟を持っている。


 けれど、その覚悟が、俺という人間の形をどれほど変えてしまったのか――

 その変化の深さだけが、俺には恐ろしくてたまらない。


 小学生の頃、俺の夢は獣医だった。

 動物が好きで、彼らの命を救うための職業がこの世にあることを知ったとき、世界にはなんて優しい仕事があるんだと胸が躍った。

 俺は本気でそうなれると思っていた。

 だが現実は、少年の熱意ほど甘くはなかった。

 俺の頭は良くなかった。勉強が決定的にできなかった。


 夢を諦めることに、泣きはしなかった。

 子供ながらに、「向いていない」という言葉が理屈として理解できたからだ。

 だが、胸のどこかで何かが微かに剝がれ落ちる音はした。


 その次に見つけた夢が、小説家だった。

 これは本当に長かった。

 大学三年までの約七年間、ずっと追い続けた。


 きっかけは、文化祭の劇で書いた脚本が金賞を取ったことだった。

 周囲が褒めてくれた。「すごい」「才能がある」――そんな言葉を鵜呑みにして、俺は七年間も夢を見続けた。

 今思えば、あれは“たまたま”にすぎない。

 けれど、たまたまが人生を狂わせるほどの力を持つこともある。


 大学では文学を学び、ノートを何冊も潰し、自尊心も何度も潰した。

 だが、いくら書いても俺の文章は深みに欠けていた。うまくやろうとすればするほど、何も書けなくなった。


 “井の中の蛙”。

 俺は大学で、その四文字を骨の髄まで思い知らされた。


 出版社も、新聞社も、広告代理店も受けなかった。

 受けたところで受かりはしなかったと思う。

 だけど、それ以上に俺は逃げた。夢から逃げ、自分から逃げ、現実から逃げた。


 そして選んだのが、自衛隊だった。

「大学まで出て自衛隊かよ」

 そんな言葉を何度か浴びた。

 俺自身も苦笑するしかなかった。

 決して安くはない学費を払った四年間の結末が、士官ですらない一兵士だなんて。

 失敗作のように思えた。


 だが皮肉なことに、銃を撃つ才能だけはあった。

 的に吸い込まれていく弾丸の軌跡は、俺の人生で初めて「向いている」という言葉をくれた。


 教育を終えた俺は、最前線の部隊に配属された。

 日夜訓練に明け暮れた。人を撃つ方法、人を刺す方法、人を無力化する方法を叩き込まれた。


 だからといって別に俺は、迷いなく人を殺すようになった訳じゃない。

 人を殺したいなどと思ったことは、ただの一度もない。そんな衝動は俺のなかには最初から存在しない。


 ただもし、そうしなきゃいけない場面が来るのなら。

 もし、俺の後ろに守るべき何かがあって、前に立つ相手がそれを奪おうとするのなら。

 そのときは銃爪を引く覚悟だけは、確かにある。


 覚悟という言葉は、自分で使うとどこか欺瞞めいて聞こえるが、それでもいい。俺は俺自身に嘘だけはつきたくない。


 それでも俺は、今こうして文章を打っているこの指で、人を殺す準備をしてきたことに変わりはない。

 その事実の滑稽さと冷酷さが、時に胸に重く沈む。


 

 長期演習で訪れた演習地は、世界の終わりみたいな場所だった。

 光もなく、人もなく、風すら音を立てない。

 文明の影が一切届かない、むき出しの大地が広がっていた。


 その夜の星空を、俺は一生忘れない。

 空が、まるごと降ってくるようだった。

 星があまりに多く、あまりに近く、あまりに強く光っていた。

 天の川を川としてではなく、巨大な火の粉の群れとして感じたのは、あの夜が初めてだった。


 息が止まり、胸が締め付けられ、そしてふと、ありえない言葉が心の底から浮かんだ。


 ――こんな景色の下なら、死んでもいい。


 創作の世界で聞きかじっただけの台詞だったはずなのに、その瞬間、それは俺自身のものになっていた。

 俺は、自分がぞっとするほど変わってしまったと悟った。


 俺は四年前、家族に遺書を書いた。

 強制されて書いたものではない。

 誰に求められたわけでもない。

 ただ、書かずにはいられなかった。


 戦争の影が、まだ輪郭すらボヤケていた頃だ。

 だが、死という概念が初めて“現実の距離”まで近づいてきた時期だった。

 その時、俺は自分が死ぬ可能性を、ほんの少しだけ想像できるようになってしまった。


 遺書は三枚ある。

 一枚目は母へ。

 育ててもらった恩をどう言葉にしていいかわからず、書き直しては破り、破っては書き直し、最終的に中身の薄い、不格好な文になった。

 本当はもっと色々書きたかった。「ありがとう」をもっと書きたかった。「ごめん」をもっと書きたかった。

 母の手を握って伝えたかった言葉は山ほどあったのに、便箋の前に座ると指が震えて書けなかった。


 二枚目は父へ。

 厳しい人だった。

 だが、その厳しさの裏にある不器用な愛情を、私は大人になってからようやく理解した。

 それを書こうとしても、胸が締めつけられて、一行書くごとに息が止まりそうになった。


  三枚目は弟へ。

 この家で一番若く、一番未来がある。

 だからこそ何を残せばいいのか分からず、困り果てた。

 結局、「お前は自分の人生を生きろ」「父と母を頼む」と、短い言葉にしてしまった。本当はもっと話したいことがあった。もっと、兄として伝えるべき言葉があった。

 書いておくべきことは、あのとき山ほどあったのだ。


 いま読み返すと、あれは本当に拙い。

 文章は粗く、思考はまとまらず、感情ばかりが暴れている。

 大学で文学にかじりついていた頃の俺が見れば、顔を覆いたくなるような代物だ。


 だが――俺は書き直さない。


 書き直せない。


 あの時が、一番俺が俺らしく、自分の想いを言葉にできた瞬間だったからだ。


 技巧も整合性もなかった。

 文学的な比喩も、洗練された語彙もなかった。

 ただただ、震える手で、俺は自分の心の形を紙に押しつけた。

 涙が落ちた痕が、インクを少し滲ませている頁もある。


 もし今書き直したら、もっと上手く書けるかもしれない。

 けれど、それは「あの時の俺」が書いたものではなくなってしまう。

 俺の言葉ではあっても、俺の言葉ではなくなる。


 だから俺は、あの拙い遺書をそのまま引き出しの奥にしまっている。

 あの紙に宿った俺は、あの瞬間にしか存在しない。 

 死ぬまで、きっと書き直しはしない。


 窓の外には、細く頼りない星がひとつ見える。

 演習地で見た星空とは比べものにならない。

 けれどその一粒の光だけで、あの夜の風のざらつきが蘇る。


 いつか、俺はまた“あの景色”の下へ行くのだろう。

 戦場かもしれないし、違う場所かもしれない。

 だがそれがどこであれ、俺はもう後には戻れない。


 星空の下で「死んでもいい」と思ってしまった俺を、もう引き返させることはできない。


 誇りと恐怖と覚悟と後悔のない迷いが、温かい血のように、ゆっくりと胸をめぐっている。


 俺は、変わってしまった。

 少年ではなく、夢追い人でもなく、

 ただ祖国と家族と、そして自分の選んだ道に責任を負うひとりの男として。


 戦争はまだ来ていない。

 けれど、俺の中ではもう始まっている。


 だから今夜も、静かに目を閉じる。

 まだ訪れていない未来の音が、遠くで微かに響くのを感じながら。


一人称を私でも僕でもなく俺にしたのは、普段ほとんど使わないそんな言葉に自分を見つけられなかったからです。

文章としては、私や僕の方が落ち着いて読めると思ったんですが、敢えてそこはいつも通りにさせて貰いました。

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