第三話
ふと、目が覚めた。いつの間にか昼寝をしていたらしい。学校から帰ってすぐ、布団に潜り込んだはずが、気がつけば部屋の灯りもつけぬまま、窓の外はすっかり夜だった。
鏡を見ると、目は赤く、頬には涙の跡が残っていた。懐かしい夢を見た気がするが、内容はどうしても思い出せない。何かを大事にしていたような、そんな気配だけが胸に残っていた。
時計は二十三時三十分を指していた。晩御飯を作る気力もなく、戸棚からカップうどんを取り出す。湯を沸かし、三分待つ間、なんとなくつけたテレビには、初詣の参拝客で賑わう神社の様子が映っていた。
「……もう神社はこりごりだな」
思わず口に出してしまう。そして湯が染みた麺を無心ですする。
食後、台所に移り、煙草を取り出した。今日、桜史郎に貰ったハイライト。ライターで火を点けた瞬間、どこか遠くで、除夜の鐘が鳴る音が聞こえた。
不思議だった。このあたりに鐘を鳴らすような寺や神社はなかったはずだ。
その時だった。
──インターホンが鳴った。
こんな時間に誰だ? 一気に背筋が冷たくなる。恐る恐る玄関のドアスコープを覗くと、そこには一人の女性が立っていた。
その顔に見覚えがあった。
薄幸そうな顔。目元の左側に、特徴的に並んだ二つのホクロ。
喜びよりも、まず戸惑いが先に立つ。現実感がない。呼吸を整え、意を決してドアを開ける。
──しかし、そこには誰もいなかった。
安堵と不安が入り混じる中、足元に目を落とすと、小さな箱がひとつ、そっと置かれていた。拾い上げると、上部には「キキョウ」と筆文字で書かれていた。まるで普通の煙草のようだが、どこか異様な雰囲気を纏っている。
蓋の裏には、次のような注意書きがあった。
《キキョウ煙草 使用上の注意》
• 用法・容量を守る限り、あなたに幸福が訪れます。
• ただし、規則を破る者には罪が与えられます。
• 罪を背負う者には、やがて罰が訪れます。
【使用条件】
1. 一日三本まで。
2. 効果は火を点けた瞬間に現れます。
3. 日付が変わると、吸った分が補充されます。
4. 願いは現実的な範囲で叶えられます。
……悪い冗談か、もしくは新手の薬物か。
しかし中を開けると、そこには四本の煙草が整然と並んでいた。見た目は普通のハイライト。妙な匂いもない。
半信半疑で、一本を取り出し火を点けてみる。
──何も起こらない。ただの煙草だった。
落胆しかけたその時、ふと視界の隅に違和感を覚える。
灰皿の隣に、見覚えのないペットボトルのお茶が置いてあった。
買った覚えはない。冷蔵庫にもなかったはずだ。
次に、冗談半分でこう願ってみる。
「プリン、食べたいな」
煙を吸い込み、台所の冷蔵庫を開ける。
──そこには、ひとつのプリンが鎮座していた。コンビニでよく見る、まさに自分の好みのやつだった。
背筋が凍る。
──これは、本物だ。
得体の知れない不気味さよりも、どこまでできるのか、という興味のほうが勝っていた。気がつくと身体中に汗をかいていた。気持ちを切り替えるために風呂を溜め始めた。ふと、石鹸が切れていたことを思い出し、また一本、煙草に火を点ける。
「石鹸、欲しい」
瞬きをすると、風呂のふちに新品の石鹸が現れていた。
──便利すぎる。
もうこれは、手放せない。そう確信した。
この煙草は、何かを叶える代わりに、きっと何かを削っている。だが、それが何なのかはまだわからない。
──後は残り一本。
翌日詳しく確かめるために早めに就寝することにした。