第二話
「君、未成年でしょ?」
喫煙所の隅、まだ慣れない手つきで火をつけたばかりの煙草をふかしていると、不意に声をかけられた。顔を上げると、二十代前半に見える女性が、静かに煙を吐き出していた。
季節外れの長袖。陽に焼けていない肌。目元には小さなホクロがふたつ、並んでいた。それが彼女の寂しげな横顔を、どこか滑稽で、愛おしく見せていた。
「もう、二十歳は超えてますよ」と返すと、彼女は小さく笑った。
「その顔で? 嘘が下手だね」
図星を刺され、つい目を逸らした。
「しかもハイライトなんて渋いの吸ってるし。つい声かけたくなっちゃった」
彼女はそう言いながら、自分の煙草に火をつけた。
「お姉さんは、何吸ってるんですか?」
「セブンスター。知ってる?」
聞き慣れない銘柄だった。でも名前の響きが妙にかっこよくて、「なんかかっこいいですね」と茶化すように言うと、彼女はくすりと笑った。
「吸ってみる? ほら、口開けて」
彼女は、自分の咥えていた煙草を、やや強引に俺の口元へ押し当てた。甘さの混じった煙が舌をくすぐる。
「……グロス、ついちゃったね。かわいい」
彼女の視線がくすぐったくて、スマホで唇を確かめると、朱色が微かに残っていた。
「じゃあ、お返しに君のハイライト、もらってもいい?」
俺の煙草を奪うように手に取り、彼女は美味しそうに吸い込んだ。
「お父さんがこれ吸ってたの。なんか懐かしくてさ」
そして彼女はぽつりと、こう続けた。
「君、今から予定ある?」
目の奥を覗くようなその問いに、「特にないです」と答えると、彼女は何かを企むような笑みを浮かべた。
「じゃあさ、カフェでも行かない? もちろん、私が奢るから」
躊躇する間もなく、彼女は俺の手を引いて歩き出した。通り過ぎる風が熱をはらんで、二人の影だけが涼しげに延びていた。
「鼻の下、伸びてるよ」
「……生まれつき、こういう顔なんです」
そんな軽口を交わしながら、しばらく歩いたあと、彼女が足を止めた。目の前には、古びた洋館のような店。看板には「ミセス・コーヒー」と書かれていた。
ドアを開けると、風鈴の涼しげな音が店内に広がった。観葉植物、ドライフラワー、微かに漂う珈琲の香り。
「あら、久しぶりね。いらっしゃい」
「こんにちは、マダムさん」
彼女が親しげに声をかけたのは、艶のある黒髪の年齢不詳な女性だった。
「マダムって、あだ名ですか?」
「本名も年齢も誰も知らないの。不思議な人だけど、みんな彼女のことが好きなんだ」
窓際の席に案内され、向かい合って座る。
「この辺って、不思議なことがよく起きるのよ。自然が多いから、いろんな“念”が集まるんだって。……ごめんなさいね、注文は?」とマダムが注文を取りながら言った。
「アメリカンコーヒー二つで」
「かしこまりました」と言ってマダムは去っていった。
五分後、アメリカンコーヒーが二つ、静かにテーブルに並べられた。
「喫煙所で急に話しかけて、ごめんね」
彼女は少しうつむきながら続けた。
「君が煙草吸ってる姿、すごく似てたんだ……お父さんに」
目が少し泳いでいる。何かを隠しているような目だった。
「そうなんですね」と熱いアメリカンをすすりながら答える。
「そういえば、“晦様”って知ってる?」
「ネットで見たことあります、確かこの辺の都市伝説だったような……」
「うん。いきなりだけど、良かったら、散歩がてら探してみない?」
時間はまだあったし、断る理由もなかった。二人で並んで歩きながら、彼女は言った。
「この道、懐かしいな。昔、小学校があってね」
「俺、そこ通ってましたよ。たぶん、後輩ですね」
「そう……じゃあ、当時のこと覚えてる?」
「あんまり。友達も少なかったし」
彼女は寂しげに笑った。
歩いていると、神社が見えてきた。
「神様って、こういうとこにいる気がするよね」
そう言って、彼女は鳥居をくぐった。その後ろ姿に、ふと既視感がよぎる。
「この神社ね、物に願いを書くと叶うんだって」
お賽銭を入れる彼女を見ながら、俺もなんとなく手を合わせた。
何も見つからなかった。晦様も、答えも、すべて。
階段に並んで座って、一服。空は橙色に染まり、夕方のチャイムが遠くで響いていた。
「そろそろ、行かなきゃ」と彼女は言った。
「また会えますか?」
彼女は何も言わず、近づいてきて、そっと唇を重ねた。セブンスターの味がした。
走り去る背中に、夕日が伸びていた。彼女の頬を流れる涙に気づいたときには、もう姿はなかった。
「……グロス、またついちゃったな」
その独り言だけが、橙に染まる空へ、虚しく溶けていった。