4. 栃木県日光市の黒瑪瑙鰻-13
貝塚がキッチンからワゴンを押しながら戻ってきたが、すぐに配膳はせず2人に見せつけるようにテーブルに近寄る。
ワゴンの上には料理が盛り付けられた丸い深皿が2つとチーズの塊、茶色のパン粉のようなものが入った容器が乗っていた。
丸皿には三角形を描くように3つの塊が配置されており、その中央には焦げ茶色の丸められた塊が乗っていた。
その盛り付けにフラニスと柿本の視線が引き寄せられたのを見て、貝塚は料理の説明を始める。
「メイン料理の1つ目は黒瑪瑙鰻の赤ワイン煮込みだ。下処理した鰻を開いてから両面をフライパンで焼いて、赤ワインと香味野菜、フォンドボー、ハーブを加えて煮込んだものになる。皿にマッシュポテトを敷いて、中央には焦げ茶色になるまで炒めた玉ねぎを置いた。厚めにカットしてじっくりローストしたズッキーニを玉ねぎの周囲に置いて、それを土台として煮込んだ鰻を乗せている。ソースは残った煮汁を煮詰めて作ったものだ」
説明を続けながら貝塚はおもむろにチーズの塊を手に取る。
そのチーズは淡い黄色をしていて、ずっしりとした重みを感じさせる見た目をしているが、砕けやすいのか端から破片がパラパラと落ちた。
そして皿の上でチーズを擦り下ろした後、ワゴン上の茶色の何かを摘んで振りかけた。
薄く擦り下ろされたチーズは雪のように皿に降り積もり、パラパラと料理に散らばった茶色のものがチーズを上から彩る。
「こうしてチーズをかけた後、砕いたクルトンを散らして完成だ」
貝塚は深皿を2人の前に置く。
白を基調として縁に赤い模様が入った丸い深皿の上では、食材が三角形を意識した配置にされていることに加え、三角形の辺を示すようにソースが若干弧を描きながらかけられていた。
深皿の白、マッシュポテトの薄茶色、ズッキーニの緑、鰻の黒、玉ねぎの焦げ茶色、ソースの赤褐色、チーズの乳白色、クルトンの茶色。
食材の彩りと幾何学模様の盛り付けが相まった美しい料理だった。
フラニスはナイフとフォークを手に取り、鰻とズッキーニを半分に切って口に運ぶ。
ナイフが鰻の表面を切り裂くたび、焼かれたことで生まれた抵抗のある感触が手に伝わり、ズッキーニからはジューシーな汁が染み出した。
そしてよく味わった後に口を開いた。
「ローストしたズッキーニは香ばしさと甘さがあり、とろっとしている。鰻は焼かれたことで表面に香ばしさと歯ごたえが生まれているが、煮込まれたおかげで中はホロリと柔らかい。鰻の脂のコクとズッキーニの甘さがよく合っている。ソースも複雑な味わいかつ深みがあり、鰻につけると良いアクセントになるな」
貝塚は腕を組みながら相槌を打つ。
「煮凝りと違って、一度焼いた後に煮てるから食感も変わってるだろ?」
「チーズのコクと塩辛さ、クルトンの香ばしさと歯ごたえも加わったことで、煮凝りとは別物の味わいになっている。あちらは鰻そのもので勝負している料理だが、こちらは食材の組み合わせや技巧で勝負している。だからメイン料理の扱いなのか」
「そういうことだ。よく分かってるな。クルトンとチーズを最後に散らしたのは、クルトンの歯ごたえを維持し、チーズが溶けすぎないようにするためだ」
そう言って貝塚は満足げに笑うが、今度は柿本から質問が飛んできた。
「マッシュポテトは裏ごしした後、バターや牛乳、生クリーム、塩トリュフを混ぜたんですね。クリーミーさとトリュフの香りが口内で広がります。これは付け合わせとソースを兼ねてるんですね?」
「それも正解だ。ボリュームを増やして満足度を高めつつ、味が一本調子にならないようにしてみた。玉ねぎも同じ理由だ」
「確かに色々組み合わせて食べられるのがいいですね。鰻の煮込みだけだと食べ飽きますし」
柿本の意見を聞いて貝塚は頷く。
「そうなんだよな。脂の強い鰻を煮込んだりタレをつけて焼くと、味が濃いこともあって最初は美味いと感じる。でも、飽きが早いから何かしらの工夫を盛り込まないといけない。特に今回は鰻を使ったフルコースだからなおさらだ」
「日本料理だけに拘ると、調味料も似通ったものになりますしね。チーズやバターを使うことで料理の方向性が一変して、鰻続きでも気になりませんでした」
貝塚は料理の感想を聞くと「次の料理を持ってくる」と言い残し、キッチンへと向かった。
そして、2人が料理を食べ終わって一息ついた頃に、キッチンからワゴンを押して戻ってきた。
ワゴンの上には大ぶりの茶碗や急須が乗っており、貝塚は茶碗を2人の前に置く。
大きめの茶碗は青い模様が入っていて、中にはタレをつけて焼かれた黒瑪瑙鰻の蒲焼と白いご飯が乗っている。
茶碗の青い模様が照明の光を浴びて柔らかく輝いていた。
貝塚は刻み海苔とあられが乗った小鉢を添えながら料理の説明を始めた。
「さて、メイン料理の2つ目は分かりやすく鰻丼にしてみた。鰻とご飯のセットは2段になっている。上のご飯は普通の白米だが、下のご飯は刻んで水にさらしたネギと炒った胡麻を混ぜ込んでいる。上半分を食べたら、出汁をかけてお茶漬けにして食べてもらうから言ってくれ」
貝塚の説明を聞いてから柿本は鰻丼を一口食べ、その味わいに満足気に笑みを浮かべた。
鰻の表面はタレで艷やかに輝き、箸で持ち上げると焦げ目の香りが一気に広がった。
「甘辛いタレと鰻の脂のコクが合わさって美味しいですね。あと、タレが焦げた香りがたまりません。やっぱり鰻丼ってこの香りがあってこそですね」
柿本の言葉にフラニスも続く。
「さっきの煮込みはソースを焦がしてないから、香りの違いがよく分かるな。ズッキーニをローストしていたが、流石にそれだけだと蒲焼ほどの香りはしない。煮込む前に鰻を焼いていたとはいえ、やはり表面がパリッとしているかどうかでもだいぶ違う。そのあたりを含めての鰻丼ということか」
料理の感想を述べながらフラニスと柿本は料理を食べ進める。
2人が鰻丼の上段を食べ終わるのを待ってから、貝塚は急須を手に取った。
「じゃあ、そろそろお茶漬けにしようか。このスープは鰻の骨で取った出汁とほうじ茶を合わせたものになる」
貝塚の説明を聞いて柿本が疑問を抱く。
「鰻の骨の出汁にした理由はあるんですか?煮干しとかの選択肢もあったと思いますけど」
「煮干しなどを使わないのは余計な苦みを出さないためだ。蒲焼が焦げているから、これ以上苦みはいらない。出汁を取る時にも骨を炙ってないぞ。ほうじ茶を使っているのも、苦みや渋みが煎茶などより少なく、蒲焼とは違った香ばしさを加えるためだ。また、匂い消しとして出汁に香味野菜を使わない代わりに、ご飯にネギと炒った胡麻を混ぜている」
そう言いながら貝塚は、2人の茶碗に透明な茶色のスープをご飯が被るまで注ぎ、茶碗の横にレンゲを置いた。
スープが鰻とご飯に染み込み、タレと鰻の焦げた香りが身を潜める。
代わりに茶碗から出汁の香りとほうじ茶の香ばしさが立ち上り、2人の鼻をくすぐった。
貝塚はその上に薬味の刻み海苔とあられを散らした。
海苔は黒々とした光沢を放ちながら、あられは小さな粒が軽やかに跳ねるように茶碗に落ちた。
「適当にかき混ぜて食べてくれ」
上下をご飯に挟まれて蒸されたことで柔らかくなった鰻とスープが浸ったご飯は、レンゲでつつけば簡単に崩れていく。
その過程の中でスープの香りが更に広がり、嫌でも食欲を呼び起こそうとする。
ネギと胡麻も自然と混ざっていき、あっという間に鰻丼とは異なる料理ができあがった。
フラニスはお茶漬けを一口食べる。
レンゲが口に触れると、鰻丼とは違ったスープの暖かさが唇に伝わり、スープと薬味の香りが鼻腔を満たした。
先程までのタレと鰻を前面に出した鰻丼とは違い、スープや様々な薬味の食感と香りが主張する複雑な味わいが生まれていた。
時に鰻丼はタレでご飯を食べているようなものと言われるが、そのタレが骨の出汁とほうじ茶に混ざったことで、より深みのあるスープが出来上がっていた。
そこに爽やかなネギの香りとシャキシャキとした歯ごたえ、あられのカリッとした砕けるような食感が加わって不味いはずがなかった。
そして何より、料理を食べた後口の軽さに驚かされた。
「タレと脂による力強い味わいから、薬味とスープを加えたことでさっぱりとした味わいに変わったな。スープに鰻のタレが溶け出しているから、これまで出てきた骨の出汁とも違う味が楽しめる。ネギの歯ごたえと爽やかさに加えて、ほうじ茶が脂を流してくれているのも良い。鰻丼の脂で重くなった口がすっきりとした。コースの締めに相応しい料理だ」
そう言ってフラニスはお茶漬けをさらさらと喉の奥に流し込んでいく。
コースの最後ということもあって鰻の脂に重さを感じてもおかしくはないが、お茶漬けになったことでその重さは消えてしまっていた。
フラニスの後に柿本も口を開くが、こちらは香りと食感の方が気になったようだ。
「ほうじ茶とあられは鰻とは違った香ばしさがあります。ネギとあられの少し硬い歯ごたえや、胡麻のプチプチとした食感も鰻丼にはないアクセントになってますね。そこに海苔の香りと旨味が加わって、全体をまとめています。お茶漬けになって鰻とご飯の食感が隠れた分、新たに加わった歯ごたえの強さが目立ちますね」
「蒲焼も焦がしてるとはいえ、歯ごたえはそこまで強くないからな。食べ続ければどうしても飽きてくるし、適度に食感や味付けを変えていった方がいい」
「そうですね。あと、やっぱり食べている途中で料理が変わっていくのもいいですね。ライブ感って言えばいいんでしょうか。目の前でサラダとかを作ってくれる店がありますけど、そういうのは見てて楽しいですし」
「そういう面もあるな。目の前で仕上げるのは味や食感のためだったりもするが、ショーを見て気分が盛り上がれば料理も美味く感じる。スモークの煙で皿を満たしたり、注射器を料理に差して出す料理はあるが、意外と馬鹿にできるものじゃない。他にも、お好み焼きや焼肉は自分でやるからこその美味しさがある。お前も色々と試してみろ」
貝塚は急須や空になった薬味の小鉢をワゴンへと戻す。
その動作は無駄がなく、ワゴンに置かれた食器が軽くカチャリと音を立てた。
「じゃあ、最後のデザートを準備してくる」
そう言って貝塚はワゴンを押しながらキッチンへと向かった。
残された2人はお茶漬けを食べ終わった後、大人しく待っていた。
だが、フラニスがあることに気がつき呟く。
「鰻でどうやってデザートを作るつもりだ?」
その声には僅かな困惑と好奇心が混じり、眉が微かに吊り上がっていた。
前回のコースでは貝塚は全ての料理でメイン食材を用いた。
しかし、鰻を使ったデザートといわれても想像がつかない。
抽出した鰻のエキスを焼き菓子に使う事例は存在する。
ただ、それを最後に出すくらいであれば、コースの途中で出された甘辛い骨煎餅をデザートに出した方がいいだろう。
鰻の身を使うということは、身の旨味と脂のコクをデザートに落とし込む必要がある。
だが、それではデザートというよりは食事に近い一品にしかならない。
甘い味付けにしたところで、軽食としてコースの途中に出す方が合っている。
それが分からない貝塚ではないだろう。
フラニスは柿本に視線を向けるが、柿本は頬をかいて苦笑しながら答えた。
「なんといいますか、若干反則な気がするメニューです......」
その言葉とともに、柿本の指先が緊張で僅かに震えていた。
「反則?」
フラニスは首をかしげて話の続きを促そうとするが、柿本はそれ以上何も言わない。
代わりに笑って誤魔化そうとする。
「黙っているよう言い含められてますので...」
「気に入らんな。今回のメニューは意表を突こうとするものばかりだ。最後まであいつの良いようにされるのは癪だ」
フラニスは腕を組んだ後に鼻を鳴らして言い放つ。
睨むような鋭い視線が柿本を貫き、部屋の空気が一瞬重くなった。
それだけで柿本の背中に見えない重しのような圧力がかかり、自然と呼吸が乱れて冷や汗が流れ出す。
柿本は神の機嫌を損ねる意味を改めて思い出すが、ちょうど貝塚が戻ってきたことでなんとか一息つくことができた。