3. 幕間 料理講座:つけ麺-3
「それでは試食の時間だ。料理が完成した者から順次前に持ってきてくれ」
講義終了から2時間ほど経った後。
キッチン室では貝塚の講義の受講者たちが料理を作り終えており、ほとんどの者が最後の仕上げに移っていた。
キッチン室の前方には講義を行っていた時と同じように貝塚が立っている。
違う点があるとすれば、どう見てもその辺りを歩いていたような人たちが5人ほど貝塚の隣に立っていることだ。
なんでここにいるんだろうという表情を彼らも浮かべており、場違いと言えば場違いだった。
「師匠、その方たちは?」
「善意の試食者だ。料理人以外の普通の人たちの評価も必要だろ?」
不安そうに尋ねた柿本に対し、貝塚は全く問題ないと言わんばかりに返す。
「そういうことを聞きたいんじゃないんですけど...」
そう呟く柿本を無視し、貝塚は受講者たちが並べた料理をチェックし始めた。
机の上には様々な料理が並んでいる。
麺に粉末状のほうれん草や魚粉を練り込むことで、温度に左右されずに香りや味わいを維持しようとしたつけ麺。
様々な野菜をミキサーですり下ろした後に煮込んでドロドロになるまで水分を飛ばし、ソースに近いスープを作り上げて野菜の甘さとコクで勝負した冷たいつけ麺。
豚の背脂を薄切りにして塩や香辛料を擦り込み燻煙したものをパンに乗せ、これなら常温でも動物性脂肪を美味しく食べられると主張する創作料理。
他にも受講者なりに考えた多種多様な料理が並んでいる。
「麺に素材を練り込んで味をつけるのは良いですね。麺が主体の料理という感じがより強くなります」
「麺の存在感を押し出したいなら、もっと太い麺にした方が良かったんじゃないか?」
「冷麺のように細く硬い麺に仕上げるという手もある」
「砂糖を使わずに様々な野菜を組み合わせて作ったスープの深みは凄いな。隣にある料理は逆に玉ねぎに火を通して出てきたエキスだけでスープを作っているが、こっちはこっちでストレートな旨さがある」
「この玉ねぎスープに塩豚を入れたら、それだけで上等なラーメンが出来上がりそうだ」
「脂肪を燻製した料理は酒が欲しくなるな。度数高めのやつ」
「味は悪くないんだが、40歳を超えた人間にはちょっときつい...」
受講者や善意の試食者たちは気になった料理を順次試していく。
貝塚も同じようにチェックしていくが、その中で目に止まった料理があった。
それはつけ麺ではあるが豚骨などを使っていないせいかスープが透明で澄んでいて、代わりに表面に油のようなものが浮かんでいる。
貝塚がスープを手にとって匂いを嗅ぐと、唐辛子や花山椒などの香りがした。
「これは常温のスープにラー油や花椒油を浮かべたのか?」
「はい。魚や昆布、きのこの出汁を混ぜ合わせた醤油ベースのスープを作り、その上に特製の油を浮かべています。油は唐辛子や花山椒、ニンニクを炒めて作り、そこにごま油を加えました」
貝塚の質問に対し、先程の講義で回答していた髪を後ろで縛っていた女性が答えた。
講義の時の堂々とした態度とは違い、手をもじもじさせて少し恥ずかしそうにしている。
「なるほど。植物油のコクに香りと刺激を上乗せしたのか」
貝塚はそう言いながら料理を試食する。
麺は中太麺で適度に縮れており、サラサラとしたスープでも十分に絡みついていた。
スープは動物性脂肪を使っていないため、旨味がたっぷりとしている割に後口は重くない。
それだけではインパクトに欠けてしまうが、特製油による辛味や痺れ、香りが刺激的なため物足りないという印象にはなっていなかった。
付け合せの具も茹でた小松菜はシャキシャキしているし、スライスされた鶏ハムは生姜ベースの下味が染み込んでいて食べ応えがあるので満足感がある。
貝塚は食材を1つ1つ確かめた後、女性の方を向いて口を開いた。
「この料理を作ろうとした意図を教えて貰えるかな?」
「先程の講義でざるそばの話がありました。常々思っていたことですが、ラーメンやつけ麺は味が濃いものや脂肪を多く使うものが多く、毎日食べるのにはあまり向いていません。そこで、ざるそばのようにあっさりとした味わいをしながら、それでいて十分なインパクトのある料理にしたいと考えました。美味しすぎないつけ麺と言えばいいのかもしれません」
「言いたいことは分かる。植物油を使ってはいるが量は控えめだから、これなら毎日食べても飽きないだろう。特製油に使う香辛料を変えれば、それこそ毎日でも食べられる。具材も冷やして美味いものに仕上がっている。なかなかレベルが高いな」
「ありがとうございます!」
貝塚に褒められた女性は拳を握り、飛び上がらんばかりに喜ぶ。
他の受講者たちも試食しているが評価が高いようで、これなら店で出せば固定客がつきそうだ、うちの店でも出してみようと言い合っている。
脂肪をたっぷり振りかけたラーメンのように、インパクトやアクの強いメニューは熱心なファンを生む一方で、経営が軌道に乗るまでの安定した客数を確保するのが難しい。
その点、この料理は見た目も整っていて味も人を選ばないため、万人受けするメニューとしてどこの店にも置きたいのだろう。
その後、貝塚は料理を作った女性と香辛料の種類などについて話をしていたが、そこに柿本が料理を持って割って入ってきた。
「師匠、料理ができましたので確認して頂けますか?」
そう言って柿本は微笑みながら貝塚の前に皿を置いた。
置かれた皿は大きめの楕円皿で、麺や具材が盛られたまぜ麺だった。
特徴としては、赤いゼリー状のものや砕いたナッツが麺の上に散りばめられていること、そして何よりアイスクリームのような丸い乳白色の固まりが乗っていることが目を引く。
麺をモンブランの絞り出しクリームに置き換えれば完全にスイーツにしか見えないそれは、見栄えという意味では並んでいる他の料理と一線を画していた。
「これは...タレをアイスクリームにしたのか?」
「はい。講義の中で氷は駄目、冷やすと動物性脂肪を取り除かないといけないという話でした。なので、豆乳と生クリームをベースとしたタレを作り、それをアイスクリーム状に仕上げました。麺にも下味はついていますが、よく混ぜてから召し上がってください」
そう言って柿本は女性の方にも笑顔で料理を勧めた。
冷えた脂肪は不味い。
それなら凍らせても美味しい脂肪料理を作ればいい。
タレをアイスクリーム状にすれば当然料理を冷やすことができる上、溶けたとしても味が薄まることはない。
豆乳と生クリームなら凍らせても脂肪は気にならない。
加えて、アイスクリーム状にすることで空気を含み口当たりも良くなる。
先程の特製油を使ったつけ麺が賢く問題を回避しているのに比べ、こちらは問題そのものを力技で突破するようなアプローチだった。
「甘くないアイスクリームって、食べてると頭がおかしくなりそう...。そういうものだと最初に言われてれば心の準備ができるけど」
「あー、思ってたのと違う味がして認識がバグるやつね。わかるわー」
「麺には醤油ベースのタレが和えられているから、味と匂いでスイーツじゃないってのは分かるんだけど、なまじ見た目が綺麗なだけにな...」
善意の試食者たちも柿本の料理を試食するが、味を評価する以前に見た目と味の差に戸惑っている。
ただ、そうと分かっていれば純粋に味を評価することは難しいことではない。
「赤いのはトマトジュースをゼラチンで固めたジュレか。色合いが良くなるし、適度に酸味と旨味が加わって美味い!麺やタレが冷たいからジュレは固まったままだが、口に入れれば溶けるよう計算されているのか」
「ナッツもボリボリとした食感が良いな。麺は当然冷たいから歯ごたえがあるが、ナッツの硬い食感はアクセントとしてちょうどいい。汁なし担々麺もピーナッツが入ってるだけで美味く感じるからなー」
「これだけ冷たければ多少ぬるくなったところで気にはならん。こういう解決策があったか...」
他の受講者たちもいつの間にか料理を試食しているが、アプローチの斬新さと料理を支える細かな工夫に感心させられていた。
柿本に料理を勧められた貝塚も料理を口にするが、食べながら納得するように頷く。
「アイスクリーム状の固まりは豆乳に生クリーム、すり胡麻、砕いた鰹節に昆布、鶏ガラの顆粒出汁を混ぜ込んでいるな。醤油や酢で味をつけた麺はさっぱりとしているのに対し、このタレは植物性脂肪や様々な旨味が重なっていてコクがある。麺とタレを混ぜることで味が変化していくのが面白い。味だけではなく見た目も華やかで目を引く。やるじゃないか恵」
「ありがとうございます」
貝塚の称賛に対し、柿本は両手を組んで満面の笑みで喜ぶ。
そんな柿本とは対照的に、貝塚の隣に立っていた女性は悔しそうな表情を浮かべていた。
冷たいタレはコクの深さや脂肪分の多さの割に口当たりが軽い。
タレをただ凍らせただけならこうはならないが、アイスクリーム状にしたことで空気をたっぷりと含んでおり、脂肪分の味わいとさっぱりとした味わいが両立していた。
彼女は味の濃さや脂肪の重さを排除するというアプローチを取ったわけだが、その代償としてどうしても濃厚さやコクなどの味わいが弱くなっている。
あっさりとした味わいを目指したという意味では問題ないし、実際に試食した者たちからも高い評価を得ている。
しかし柿本が彼女とは全く逆のアプローチで、濃厚さやコクを残したままさっぱりと食べられるようにしたのを見て、料理人として負けたと感じているのだろう。
彼女は柿本の方を睨みながら次は負けないと呟き、その姿を見て厄介事に巻き込まれたくないと判断した者たちは彼女から距離を取る。
剣呑な空気が部屋に漂い始めた中、遠くから甲高いサイレンの音が響き、徐々に貝塚らが居る建物へと近づいてくる。
何か事件でも起きたのかと受講者らが訝しんでいると、サイレンを鳴らしていたパトカーは建物の目の前で止まり、パトカーから出てきた警察官たちが建物へと入ってきた。
「責任者はいるか!?」
ドカドカという大きな足音を響かせ、部屋に入って来た警察官たちが叫ぶ。
「俺が責任者だ。部屋を間違えてないか?俺たちは料理講座を開いているだけだぞ」
貝塚が警察官の前に進んで堂々と答える。
探られて腹の痛いことなど全く無いという態度がにじみ出ていた。
他の受講者たちも悪事など働いた覚えが無いため首を傾げているが、唯一柿本だけが顔に手を当てて天を仰いでいた。
貝塚の顔を見た警察官は苦々しげに表情を歪ませる。
警察官は怒りを堪えるように拳を握りしめながら、貝塚の後ろの方に立っている人たちを指さす。
「......そこに立っている人たちは何だ?」
「あれのことか?善意の試食者たちだ」
「どうやって集めた?」
「建物の前を歩いてたところを勧誘した」
「無理矢理連れ込んでいったと通報があったんだよ!何も知らない人間からすれば拉致監禁だ!この前も通行人に無理矢理料理を食べさせて問題になっただろうが!」
「あれは新しいモンスター料理の素晴らしさを知って貰うために...」
警察官は貝塚の言い訳を最後まで聞こうとせず、貝塚の手を取って問答無用で手錠をかけた。
「いいから来い!今日という今日こそは反省するまで返さんぞ!」
そう叫んだ後、警察官たちは貝塚を両脇から抱えて連行していった。
嵐のように警察官たちが去った後、残された受講者と試食者たちは呆然と佇んでいた。
そんな中、パンッと大きな音がし、我に返った者たちが音のした方向を見るとそこには柿本が立っていた。
周囲の注目を集めた柿本は全体を見渡しながら周囲に告げる。
「それでは皆さん後片付けを始めましょう。師匠のことは...まあいつものことなので気にしないで下さい」