女装癖のある御曹司④
日曜日の今日。
明け方近くから雪がちらつき始め、直希が布団から這い出てカーテンを開けた昼過ぎにはうっすら積もっていた。
時計は13時を指していて、直希はしばらく布団をかぶったまま、ぼーっと外を眺めていたが、気合を入れるとお昼ご飯を用意すべく立ち上がった。
白いご飯の上に目玉焼きを乗っけて戻ってくると、テレビをつけて長座布団に腰を下ろす。
地元のニュースを取り上げるローカル番組はクリスマス一色で、学生服を着た幸せそうなカップルがインタビューを受けている。
直希は勤労学生である。
本来なら恋やら青春やら心弾むようなイベントがあっていいようなものだが、そんな余裕は微塵もない。
マフィア狩りをしているから他のバイトよりかは稼ぎはいいと思われがちだが、直希は勉学の方を優先する約束を学校側としているため、集中してFの仕事をこなすのは長期休暇やのっぴきならない内容の依頼が舞い込んだ時だ。
あとは土日祝日に猫探ししたり、脱走犬を捕獲したり、マフィア狩りの手伝いをしたりで学費と生活費を稼ぐ。
昨日もそうだった。
マフィア狩りの手伝いをしながら、犬や猫を捕まえて飼い主に返還したり、例によって例のごとく多発する麻薬取り締まりに追われて、気がついたら夜中。
六畳一間の低家賃アパートによろよろになって帰り、隙間風に震えながら布団にもぐりこんだのは空も白み始めた頃だった。
目玉焼きを頬張りながら直希は鳶色の目を閉じて、深い溜息をついた。
なぜ自分はこんなにわびしい思いを青春真っ只中にしているのだろう。
いや、クリスマスやバレンタインなど浮いたイベントに盛り上がるような性格はしていないが、こんな生活を三年続けていれば、さすがに気が滅入る。
まだ十九歳。いろいろ欲はある。
スマホ欲しい。大きいお風呂のある家に住みたい。キャッホイしたい。
しかし現在、彼女にそれはできない。
三年前、奴に関わってしまったせいで。
奴に……。
「はぁ……」
二度目の深くて大きい溜息をつく。
隠れるようにして日々を送る直希は、多大なるストレスを抱えていた。
元来、じゃじゃ馬気質であると自分で自分を理解している。かつてはFとして日本で派手に活動していた。それが今やどうだ。
細々と、ひっそりと息を潜めて、地味に捕り物を続けている。
何かをすると奴に見つかるかもしれない恐怖。
自分に興味なんてもうないかもしれないが、それを確認する術もない。
右に行くのも左に行くのも戦々恐々で、匍匐前進をしながらじりじり進む、この三年間はストレス以外のなにものでもない。
「退屈に押しつぶされそう」
涙出る。
奴め……。
「次に会うことがあったら絶対にシメる」
次会う機会があっても絶対に会いたくないけど。
いやだ、本当に会いたくない。
直希は頭を抱え、茶碗をテーブルの端に追いやると、テレビからイチャイチャペチャペチャと聞こえてくるカップルの声に重なるように、ドアが叩かれた。
「開いてますよー」
そう返事をすれば呆れた顔で中に入ってきたのは春一だった。
黒縁メガネの奥の目は若干吊っていて理性的に見えるが、その実、特攻肉弾戦を好む武闘派である。
「鍵は閉めときましょうよ。変な人が入ってきたらどうするんですか」
「フルボッコ」
春一は返り討ちに遭う変質者たちを哀れに思いながら苦笑して、直希に差し入れの昼食とデザートを渡す。それは春一が台所から玄米茶を入れて持ってきてくれる間に、彼女の胃袋の中に消えた。
「直希さん、昨日…というか今日未明に大型オークションがあったそうです」
「俺達がバタついてる間に?」
「はい。駅前の羽田グループが経営しているアミューズメント施設です。大規模な闇オークションだったそうで、さっき佐伯から連絡が入りました」
熱い茶をすすりながら直希は眉間にしわを寄せる。
ちょうど今、テレビに映っている特集の噴水広場が春一の言うそれだ。経営者の一人息子の名前からとってMI-TIと呼ばれる大型娯楽施設だ。
子供も気安く出入りするような場所で、なんとも不穏な話である。
「あの施設、見取り図にはない地下があったそうです。経営者の羽田と協力関係の犯罪組織を急ぎ慎一さんと佐伯で目星をつけてます」
買ってきたタピオカミルクティーを袋から取り出すと、春一はここ数日で何度か目にした、タピオカを狙い吸う行為を無意識に行いだした。
「どこかな、いたらんことする奴らは」
直希の呟きに、春一は視線をあげて液晶画面へと向けた。
腕を組み幸せそうに巨大な自動ドアに吸い込まれていく恋人たち、川の字で手を繋いで楽しそうに夕飯の献立を口にする家族連れ、腕時計を見ながらノートパソコン片手に急ぐスーツの男性。
争いごとの影なんてない。
平和で普通なごくごくありきたりな光景である。
これを不当に乱すモノが、地下にいる。
「今回のオークション、財界や政界の有力権力者に、海外の人気モデル、議員まで招待客が幅広かったそうです。巨額を動かせる大物がいますね」
「そっちでつぶせなさそうなら、俺も出る。いい加減籠ってるのも飽きたし」
直希の目線の先には白いマフィア狩り制服。
Fの代名詞、今は埃をかぶる最強の象徴である。
髑髏を踏む猫の金章が襟首で鈍く光る。
「大丈夫ですか? 海のはるか向こうとはいえ、やっこさんの情報網は未知数すぎて三年経っても安全とは言えませんよ?」
直希の顔は一瞬苦虫をつぶしたような表情になったが、そうも言っていられないと、溜め息混じりに呟いた。
「俺が狩りを引退しただの、死んだだのと噂も多い。三年間、俺がのらくらしているうちに日本でマフィア共の頭が高くなったなら、それはまた盛大に踏みつけてやらんとな」
それに、と彼女は続けた。
「引越しして、大きなお風呂にはいりたい」
そう切実に言えば、春一は大笑いして膝を叩いた。