女装癖のある御曹司②
3013年、日本において世界初の対凶悪組織専属取締と名を冠した民間企業が十波和重によって創設された。
今ではマフィア狩りと称されて、同様の商売は世界各国に広まっているが、それはマフィア大戦以降、巷に横行するマフィア組織の蛮行に対して警察のように対抗する一勢力であり、日本マフィア狩りの有り様とは一線を画している。
海外のマフィア狩りは総じて巨大組織に対抗しうる勢力であらんと大所帯で、国家公安との結びつきも強く、常に連携がとれるよう協力体制を敷いている。多数の最新武器を所持し、一見すればマフィアと大差ない様相であるのに対し、日本マフィア狩りはシンプルを貫いていた。
国家機関の依頼要請は受けるが一切の協力連携は求めず、身を守り敵を撃破する武器は各々得意な業物一つ。単騎を好む彼らは組んでも三人。機動力に優れ短期戦で片をつける。
国お抱えの凶悪犯罪対抗の課もあるにはあるが、腰が重く役所ゆえのしがらみで事務処理が面倒くさい上、安価ではあるが相談料延長料金違約金等々が発生する。しかし払うものを払ったところで必ずしも依頼が完遂されるわけではない。
一方マフィア狩りといえばお手紙一枚電話一本メール一通、通りすがりにお声がけがキャッチフレーズで、直近コンタクトを取ってくる。民間事業サービスなので高額だが、依頼達成をしないと全額は決してもらわない。早い確実親切をモットーに世界津々浦々を東奔西走する彼らに人気が偏るのは当然で、自然双方の仲は国家側のひがみで良好ではない。
が、このモットーが現在彼ら自身の首を絞めていた。
対凶悪組織専属取締株式会社の社員は全七名。うち二名は非戦闘員。たった五人で今急増中の麻薬売買問題に立ち向かうには無理があった。
直希は曇った窓ガラスに不死身の名を欲しいままにする扁形動物門ウズムシ網ウズムシ目ウズムシ亜目に属する、つぶらな目をしたぬるっと平たい生物を描く。
それに日本と名前をつけて体を両断する線をいくつも入れた彼女はけらけら笑う。
「とかげのしっぽというよりかは、プラナリアだな」
「無限増殖は手に負えないです、直希さん。すでに忙殺されてるのに」
疲労困憊と言った顔でリビングを埋める勢いの押収品を見る春一は、げっそりしていた。
たれこみ、摘発。通りかかる、摘発。買い物、摘発。電話、摘発、と何かをしようものなら麻薬売買という棒に引っかかるのが、ここ二か月続いている。
しかも全てが摘発依頼ではない。たまたま通りかかったら見つけたとか、あれって多分そうじゃない?、のような曖昧なリークもある。そういったものは金にはならないが、リークされたらマフィアの危険性があるならば動かねばならないのだ。精神と体力をガリガリとすり減らす毎日が続いて、ゆっくりお風呂につかる暇もない。そんな状況でも日本攻防の要である直希を、一つ一つはどうというほどでもない案件で動かすわけにはいかない。
唯一救いと言えば、麻薬取り締まりの協力感謝という体でお国が雀の涙的な駄賃をくれるが、働き盛り、男七人所帯の日本マフィア狩りである。焼肉すれば吹いて飛ぶ。
「純度がもっと高ければましな金額がもらえるだろうになぁ。どれもこれも粗悪の一級品だ。逆に扱いに困る」
日本マフィア狩り創設者、十波の親友にして運営を一手に引き受ける慎一がジップロックに入った白い粉を手に取り困り顔だ。
夕飯を買いにコンビニに行っただけの春一がたまたまビルの間の暗がりで見つけた怪しげな青年二人に声をかけたところ青い顔で脱兎し、落としていったそうだ。
「先月国も対策に打って出たでしょ。税関取締の強化やら、暴力組織一斉調査とか。あれ効果なかったみたいですね」
減るどころか、むしろ増えてるし。
直希がプラナリアを飛行機に乗せる絵を描くのを、疲れて落ちくぼんだ目でしばらく眺めて、春一はテレビをつけた。
今何かと話題なニュースキャスターが急増する麻薬問題についてコメンテーター複数人を交えて言及している。
国の対応や世界の反応、なぜかマフィア狩りの活動批判までされていて、第一線で働く身としては不快になったのか、春一はすぐにテレビを消してクッションを親の仇のように抱きつぶしソファに寝転がってしまった。
現状巷は麻薬への関心が良くも悪くも高い。啓蒙活動や根絶を謳う団体の活発化でメディアは沸いて、一方で流行に乗っかるような軽いモチベーションで手を出す輩も続出している。直希の通う大学でも普通にいる。学食や廊下、講堂でも鼻高々にどこそこで買っただの、いくらだっただの、語る阿呆がいる。
安かろうが物が最悪に悪かろうが麻薬は麻薬。害悪の極みであるということに間違いはないというのに、自分の死と引き換えにファッションのように取り入れることを、直希は理解できない。
「水際対策で数が減らないから、国外からのものじゃなくて日本国内に大元がいる線が高いのは高いだろうが…。暴力団一斉調査は見事に悪手だったなあ」
慎一が覚醒剤を公安に提出する用のケースにしまいながら、テーブルの上に広げられている新聞の一面に苦笑する。
日本暴力団全組織沈黙、と明朝体でバカでかい文字が躍っている。
国がとった措置は、日本中のマフィアや極道を含め、大小様々な暴力団組織を怒らせた。
こんな粗悪品を誰が売りさばくかと、彼らの矜持をいたく傷つけたのだ。
高校生のお小遣いでも買えるような末端価格のそれは、元来商品として彼らが扱えるような代物ではなくゴミ同然で、プロの彼らがそんなものを扱っていると海外の大勢力にでも知られれば、信用がた落ちな上、いい笑いものである。それですめばまだいいが、最悪取引でもしようものなら、消される可能性も否めない。彼らのしていることは非道であっても、非道は非道なりに筋を立てているものであって、筋を間違えると己の首が飛ぶのだ。必死である。
それに国がいらぬ油を注ぐから、火がついた。ついたというか噴火した。
「お上がいらんことしてくれたせいで、仕事がまさにプラナリア状態です」
スマホ画面を無気力に叩きながら春一がぼやく。
遠くに出向している誰かからのメッセージに返事をしているのだろう。
「奴らが働いてくれてた時のほうがなんぼか楽だったわ」
自分達のシマでこんな粗悪品が流行ってしまっては沽券にかかわると、比較的穏便に売買の目を潰してくれていたのだ。それを国が彼らの神経を逆なでするように、立ち入り調査の強制なんてするから、切れた彼らは現在いらぬ疑いをかけられぬよう一切の活動を休止している。
結果凶悪犯罪は影を潜めたものの、活動休止した犯罪組織に難癖をつけることもままならず、どこを調べて回ればいいのか分からなくなって、議論ばかりが机上を舞う体たらくだ。
ガラスに映る春一がコンビニの袋からタピオカミルクティーを取り出して太めのストローでタピオカを狙いうちする遊びを無の境地であるかのような虚無的な目で始めた。
けたたましく鳴った電話に出る慎一も連続する似たり寄ったりの依頼内容に辟易している様子だ。いつも絶えない微笑にどことなく陰りが見える。
開きっぱなしのパソコンのメール画面も受信の件名がほぼ麻薬や薬物といった字面が並ぶ。
直希は鳶色の瞳に暗雲を映しながら、曇りガラスに描いたプラナリアを見た。
このままではいけないな、とプラナリアを手の平で消し去り、クリスマスの気配が近づいてくる夕暮れの住宅街の賑わいを見据えた。