女装癖のある御曹司
「アジアの島国一つ獲れんとは…。由々しき問題だ」
大きな窓が開放的なモダンスタイルの白を基調にした二階建ての家のリビングで、鴉毀が高圧的に言い放つ。
二人掛けの革のソファに長い脚を組んで座り、日本語で書かれている書類を粗雑に扱う様子を見るに相当苛立っている。
カルフォルニアには凍えるような冬は来ないはずなのに、室内の体感温度は摂氏零度を下回るようだ。
不機嫌な王様に同調しているのか、はたまた従っているのか、ロングビーチ自慢のサンペドロ湾の美しい青があいにくの雨模様で昏い鈍色をしている。
日本で活動する構成員からの今年の収益概算の報告書を見たとたんのお小言である。一緒に目を通していた三人の幹部も王様の急激な機嫌の変化に困り顔で、壁にもたれながらコーヒーを飲み、同じく書類を眺めていた双子の弟、五十嵐だけが無表情を崩さない。
「大戦以降平和続きで、脳に蛆でもわいたか」
アジア勢は邪魔者を排除し淘汰する術を無くしたようだと、見る価値もなくした紙切れを床に放り捨てた鴉毀は添付されていた少女の写真を踏みつけた。
日本最強と名高い少女の写真。
そう。少女。少女なのだ。
まだ二十歳にもならない、稚ささえ残る小柄な少女。いい大人が揃いも揃って笑顔無邪気な少女一人に手こずって成果を上げられないでいる。なんとも不甲斐ない現実が、鴉毀の癇に障る。
『F』と囁かれるマフィア界最凶の敵が、まさか女にもなりきれていない小娘だとは。
腕の中に閉じ込めるだけで抵抗すらできなくなりそうな華奢な風貌からは、並み居る屈強な男達を倒し、弾雨を駆け抜ける有様は到底想像できない。
「我々が弱いのか、小娘が強いのか。愚問だ」
鴉毀に踏みつけられる少女の写真を見た五十嵐は、書類でおもむろに口元を隠し、血の色が透けてみえる紅い目を細めた。
同時に屈辱の滲む鴉毀の赤と青のオッドアイが言葉なく肩をすくめる部下達を映す。
「最強は我々でなくてはならない」
強制的な同意を求める覇王の声に、幹部達は無言で頭を下げた。その様子を他人事のように眺めていた五十嵐の隠れる口元が、狂気に駆られたように歪んだことに気づいた者は誰一人としていなかった。