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「コクリコ荘ものがたり」(From up on Poppy-house):陽奈×智流

#記念日にショートショートをNo.70『コクリコ荘ものがたり5』(From up on Poppy-house5)

作者: しおね ゆこ

2023/10/5(木)音楽芸術の日 公開

【URL】

▶︎(https://ncode.syosetu.com/n2566il/)

▶︎(https://note.com/amioritumugi/n/n79e0b69070cc)

【関連作品】

「コクリコ荘ものがたり」シリーズ




 最後の一音を弾き終える。


 静寂。


 あれから、葵と百合が家事を手伝ってくれるようになり、練習に割くことが出来る時間が増えたおかげで、ミスなく伴奏を弾ききることが出来た。ほっ、と息を吐く。一瞬の間を置いて、万雷の拍手がホールに響いた。脱力し顔を上げると、隣りに座る吉田くんが、膝の上に下ろした私の手を握った。自ずと、視線が絡む。やり切ったという吉田くんの表情に、胸が熱くなる。頬に熱を感じた。鳴り止まない万雷の拍手の中、吉田くんと並んで立ち上がる。吉田くんに手を引かれながら前に歩み出、一緒に頭を下げる。呼吸、表情、仕草、感情。彼のすべてが、手に取るように感じられた。いまなら、彼のすべてが分かる気がした。顔を上げると、一瞬彼と目が合った。クラスメイトが織り成す長い列の最後尾に連なり、舞台袖へと歩く。私の後ろに彼が並んだ。

「ありがとう。」

彼が小声で囁いた。

「私こそ。」

 舞台袖に引き上げると、クラスメイトたちが充実感に満ち溢れた表情を浮かべながらお互いを見渡していた。声を抑えた喜びが狭い密閉された空間に満ちる。

「本番が一番上手かったよ、陽奈!」

「お疲れ、吉田。」

「今日が一番良かった!!」

客席に漏れないようにと抑えめにした声量で、クラスメイトたちが最後に歩いて来た私と吉田くんを労う。

「うん、みんなありがとう。こんな不甲斐ない私について来てくれて。➖木更津くんも、急遽指揮をお願いすることになっちゃったのに、引き受けてくれてありがとう。本当に助かったよ。」

隅に置かれたドラムの上に腰を下ろしていた木更津くんが何でもないことのように私に言葉を返す。

「うん〜全然?智流のただ無茶なだけの頼みなら簡単には聞かないけど、陽奈ちゃん絡みの頼みなら全力でサポートするよ。」

木更津くんが私に微笑む。

「おい瑛太、」

と、吉田くんがくっと木更津くんの肩を引いた。

「うん、どうした?」

「お前、……っ」

吉田くんが何かを言いかけ、それをこらえるように下を向いた。木更津くんが私の肩に手を置く。

「陽奈ちゃんのピアノ、丁寧で優しいけど芯があって、指揮やったことない俺でも合わせやすかったよ。ピアノを弾いている陽奈ちゃん、素敵だった。」

「ううん、そんなことない。結局、ひとりじゃやり切れなかったもの。木更津くんが指揮を引き受けてくれたから、本番直前に伴奏者を変更することなく、吉田くんとピアノに専念することが出来たの。ありがとう。」

木更津くんに頭を下げる。「うん。」と木更津くんが微笑む。「吉田くん」と、私と木更津くんの間に立つ吉田くんに向き直る。吉田くんを見る。吉田くんが私を見つめ返す。一歩、彼の方に歩み寄る。

「私が体調悪いのに気付いて心配してくれて、怪我をした時も支えてくれて、おうちとアルバイトも手伝ってくれて、たくさん助けてくれて、」

「それなのに、怠けちゃだめだからって、私が家事も全部やらなきゃだめだからって、体調悪くても休んだら迷惑をかけちゃうからって、分かったフリして本当は何も分かっていなくて。➖私、吉田くんのことをちゃんと受け入れられていなかったんだね。吉田くんは、ずっとちゃんと、私のことを見てくれていたのに。」

「一緒に弾いてくれて、ありがとう。」

みっともない姿を晒したりしながら、練習時間があまり取れなかったりしながら、不安で、不安で、仕方なかった。ようやくいま、緊張とプレッシャーから解放された。

吉田くんが一瞬大きく目を見開き、それから眉を横に伸ばし、そして柔らかく微笑んだ。

「うん、こちらこそ。遠坂と一緒に弾けて、遠坂を支えられて、良かった。ありがとう。」

労いの言葉が、荒んだ心に響く。吉田くんの言葉に、涙が滲んだ。

「もう〜陽奈、泣くの早いよ〜!」

伊泉が私の肩を抱く。涙を拭おうと両の手の甲を目元に寄せる。

「遠坂」

吉田くんの声がした。目元から手を外す。吉田くんが微笑み、私に右手を差し出した。

「お疲れ、遠坂。」

視線を落とす。筋張った腕が、私に向けられていた。その手を握る。吉田くんが、力強く私の手を握った。

「ありがとう」

吉田くんの声が、静寂を挟み、しっとりと耳に届いた。目元に留まっていた涙の水泡が震え、破る(わる)。嗚咽が喉をせり上がった。

「えっ、陽奈!?」

伊泉がびっくりしたように声を上げる。声を抑えて、しゃくり上げる。身体が引き寄せられる。吉田くんの匂いがした。吉田くんが、しっかりと私を抱きしめる。クラスメイトが、熱に浮かされたようにどよめく。力強く、抱きしめられる。吉田くんを肩越しに感じる。吉田くんが、ポンポンと私の背中をやさしく叩いた。あの夏の微熱が、まだそこにあった。




 帰り道。

吉田くんと並んで、ゆっくりと道を歩く。何も話をしていなくても、不思議と心地が良く感じられた。吉田くんが押す自転車の車輪が、キーコ,キーコ,とBGMを奏でる。

「遠坂」

ふと、吉田くんが口を開いた。

「➖瑛太のこと、どう思う?」

「…えっ?」

耳に届いた言葉に顔を上げる。ただそれだけの言葉なのに、震えているような重みを感じた。視線がぶつかり合う前に、吉田くんが私から目を逸らす。

「➖いや、何でもない」

「あっ、うん……」

取り消されてしまった言葉に、まだ纏まる前だった言葉が、行くべき先を失い、シュッと影を窄める。

 しばらく、無言の刻が流れる。同じ道で、同じ沈黙のはずなのに、ややめいた心地の悪さを感じる。時折触れ合っていたはずの腕も、ぎりぎりで当たることを避けているかのように、今は何故か、掠ることさえしない。

「陽奈」

吉田くんが呟く。吉田くんの口から出て来た私の下の名前に、心臓がきゅっと震える。

「➖あの時の言葉、嘘じゃないから」

「……っ!」

ほとんど真上から聞こえたその言葉に驚いて顔を上げる。満月が吉田くんの頬の色を映すよりも早く、身体が引き寄せられる。彼の心臓の音を認識したのも束の間、すぐに吉田くんが私を離した。

「じゃあ」

そして私を見ることなく、彼が自転車で坂を下りていく。

''トクン'',''トクン'',''トクン'',''トクン''…………

耳に残る名残が、身体の内側から聞こえる震えと重なる。坂の曲線が彼の後ろ姿を見えなくしてしまうまで、私はぼーっと、肌に蘇る夏の微熱を感じていた。

【登場人物】

○遠坂 陽奈(とおさか ひな/Hina Toosaka):高校2年生

●吉田 智流(よしだ さとる/Satoru Yoshida):高校2年生


○林 和泉(はやし いずみ/Izumi Hayashi):高校2年生/陽奈・吉田くんのクラスメイト

●木更津 瑛太(きさらづ えいた/Eita Kisarazu):高校2年生/陽奈・吉田くんのクラスメイト


*名前だけ登場

○遠坂 葵(とおさか あおい/Aoi Toosaka):中学3年生/陽奈の妹

○遠坂 百合(とおさか ゆり/Yuri Toosaka):中学1年生/陽奈の妹



【バックグラウンドイメージ】

◎宮崎 吾朗 監督/ジブリ『コクリコ坂から』(From Up On Poppy Hill)



【補足】

〜陽奈の1日〜

5:00 起床

-5:15 身支度・ストレッチ

-6:00 勉強

-6:20 洗濯機を回す・お弁当準備おかず

-6:40 犬(梅太郎)の散歩

-7:00 朝食の準備・掃除

-7:05 洗濯物を干す・お弁当にご飯を詰める

-7:10 朝食・ニュース

-7:20 食器洗い(フライパン,釜等)

-7:35 食器洗い(皿,コップ等)・歯磨き等

7:35 登校

7:42-8:15頃 バス通学

8:30-17:00頃 高校

17:00頃 帰宅

-18:00 夕飯の支度

-18:30 夕飯

-18:45 食器洗い・洗濯物の取り込み

19:00 出勤(-19:15)

19:30-22:30 アルバイト

22:45 退勤(-23:00)

-23:15 洗濯物を畳む

-23:45 入浴

24:15頃 就寝



【原案誕生時期】 2023年2月中旬

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