056 『ありがとう』は魔法の言葉で【前編】
誠さんのスマホ
『胡蝶の夢』アプリのカウントダウンは正確に時を刻んでいる。現在時刻は午後3時半を少し過ぎたばかりだから、このカウントダウンがゼロになるのは明後日6月6日(月)の午前0時か。
ゼロになった時、異世界の誠さんの身に何が起きるか……想像したくない……。
百合香さんもこのカウントダウンの意味は……理解出来ているようだ。それでも力強く頷き、QRコードからアプリをダウンロードする。桃ちゃんの分も。
「主人は……3月末から入院して……コロナ禍でお見舞いも出来ず、又感染していたので……通夜も告別式も出来ませんでした。だからせめて……せめて……」
とめどなく流れ落ちる涙をそのままに、それでも桃ちゃんを抱きしめ、頭を優しく撫でながら
「小学1年生になった桃に会わせてあげたい……それが一瞬だったとしても。そして……」
遺影の誠さんへ微笑みながら
「例え夢でも……異世界だとしても、会って主人と話したい。」
悲しくても前を向いて……百合香さんは強い人だ。
『それではまた後ほど異世界で』と退出を告げ、もらい泣きしている母ちゃんと共にアパートを後にした。
バスに揺られ川越の駅前に戻って来たのだが、俺も母ちゃんもずっと押し黙ったまま。
しばらく駅前ロータリーのベンチで休んでいたが、結局駅前のホテルに1泊する事にした。
ツインルームに入り、それぞれベットに腰掛けた時
「ごめんね。丸山さん一家が……重なって見えて」
俺達一家と重なったか……無理もないよね……
こんなに力無く呟く母ちゃんは初めて見た気がするし。
「夢でも……異世界だとしても……か」
……とりあえず樹に電話して経過を報告。
もちろんカウントダウンの件も含めて。
『桃ちゃんの格好だけど、俺に考えがある。』
自信満々な樹。こういう時の樹は非常に頼りになる。
2022年 6月 4日(土)〜 5日(日)異世界サイド〜
朝食を食べ終え誠さんの家へ向かう俺達4人。
イディ親子は久々に獲得できた討伐クエスト(ボア)に行くので別行動だ。ミディちゃん……張り切っているけど大丈夫?
出迎えた誠さんは……左頬を赤く腫らして、頭髪もぐしゃぐしゃだ。
「何かあったのですか?」
「百合香と桃が、いきなりベットに現れて……」
あ……出現場所を百合香さんに話すの忘れてたわ。
頭がぐしゃぐしゃなのは、カツラと疑われ……引っ張って毟られたって誠さん不憫すぎるよ……
やっぱり百合香さんは強いな……。精神的にも行動的にも。
部屋の中には現実世界そのままの桃ちゃん。
恥ずかしそうにぺこりとお辞儀して
「おはようございます!」
と元気に挨拶してくる。
「百合香なら、買い出しに出ました。すぐに戻ってくるかと」
部屋を見回して……うん。男の一人暮らしだなぁーって思う。食事も毎回冒険者ギルドに併設してある食堂で食べてたっけ。
綺麗に片付けられた台所は……百合香さんだな。
「ほらーパパはそうじサボらないの!」
監督役に桃ちゃんか。
カウントダウンの事もあり、重苦しい雰囲気かと思ったけど……元気そうでなによりだ。
しかし……誠さん……ふさふさだと別人に見えますね。
ほんの一瞬、あるお笑い芸人を連想してしまった。
みんなで掃除を手伝い、
程なくして百合香さんも大量の荷物を抱えて帰って来た。
「あ!神代さん!昨日はありがとうございました。」
俺たちが居ると知るや慌てて駆け出して来る。
うわ……百合香さん……すっごく若々しくなってて…
(女性って美と年齢を気にする人が多いなー)
『記録』されるからこれ以上は語るまい。
お互いが紹介した後すぐさま樹が
「はじめまして桃ちゃん。プレゼントがあるんだけど、受け取ってもらえるかな?」
そういいながらアイテムボックスから取り出したのは
ミディちゃんとお揃いの赤くて四角いリュックサック。
「そこに、ジャーン!」
さらにアイテムボックスから黄色いカバー布と黄色いチューリップハット。
現実世界で話していた『考え』ってこれの事か。
赤いリュックサックに黄色いカバーをかけて、チューリップハットを被れば……
「新1年生セットか」
ランドセルカバーは気がつかなかった。
歓声をあげる俺達と照れる桃ちゃん。
「桃。クルッと回ってみて」
誠さんも感慨深げだ。入院していて写真や動画でしか見れなかったのだからしょうがない。
誠さんのリクエスト通りにクルッとその場で1回転する桃ちゃん。しかし樹は本当……器用に色々作るよなー。
満面の笑みを浮かべて桃ちゃんの両脇を抱き上げ持ち上げる誠さん。
「やったー!パパだっこだー!」
桃ちゃんも……誠さんもすっごくニコニコしている。
……
………
あれ?……百合香さん?
「あまりに楽しそうな主人だったので……」
カウントダウンの事は伝えてないって……
誠さんは現実世界で亡くなっているから、異世界に転生した……と思っているそうだ。
……そうだよね。普通はそう思うよね。
俺だってあのカウントダウンを見なければ
『夢だけど家族3人会えて楽しく暮らせる』
って考えるよ。
『水を差すようで言い出しずらかった……』って百合香さんは小声で言うけど、時間が経つにつれてどんどん言い出しづらくなりますよ?
ゴーン……ゴーン……ゴーン……ゴーン……
町の中心部から正午を知らせる鐘が響く。
この町のでは1日に2回……正午と夕方6時に鳴り響く
正午は朝取れた水産品の市場での販売開始合図。
夕方6時は町の門を閉める合図。
この世界に昼食という概念は無いから何気なく聞き過ごしていたけど、桃ちゃんが繋いでいる誠さんの手を見ながら
「あれ?パパ……薄くなってる……」
慌てて頭頂部を確認……ホッとしている誠さんだけど、
違う。そうじゃない。
確かに……正午の鐘の前後で……こう……なんていうか
誠さん自体の色素が薄くなって……透過している?
「おそらく残り24時間って所なんだろうな」
樹の冷静な分析は俺達全員の思考を代弁していて
……百合香さんは唇を強く噛み締めていた。




