旅の同行者と帰りを待つ者
『やー! シテ、行く、やー!』
大泣きしながらキリテにしがみつくのは、クッキーのお代わりをおねだりしに来たルルだ。
キリテが暫く旅に出ると伝えた数秒後、森中に響くのではないかと言う大声で泣き始めた。
「こうなったちびは長い……」
遠い目をしながらもルルの背中を撫でるキリテに、シュレリアとカテナはどうすれば良いのかと狼狽えている。
「ルルも連れて行けば?」
精霊は基本的に住まいを選ばない。
グリンツのように守るべき場所がある場合は別だけど。
ルルはどう見ても何かを守っているような精霊ではない。むしろ幼すぎて、守らせた場合不安しかない。
『ルルも……?』
ぐすぐすと泣きながらにあげてくるルルに頷くと、キリテは渋面になった。
「ルルも精霊でしょう? なら自分の身ぐらい自分で守れるはずよ」
どんなに幼くても、精霊は人に負けるほど弱くない。
モーラだってまだ若い精霊だけど、お貴族様の護衛に負けたことはない。
「……ルルは精霊じゃない」
「え?」
なのに、まず前提をひっくり返された。
「ルルは、死にかけていた子猫を俺が命と魔力を分け与えることで助けた。だからこんな姿をしていても本質は子猫だ」
死にかけの動物に術者の魔力を分け与えて使い魔とする魔女はいる。だけどそこに術者自身の命も分け与える者はいない。
そんなことをすれば使い魔の寿命は術者と同じだけに伸びるけど、術者自身の寿命が縮まるから。
だけどキリテは聖域を守る守護者だ。
人と同じような寿命であるはずがなく、多少分け与えた所で問題ないのかもしれない。
「……ルル、俺のいう事守れるか?」
『ん』
ぐすぐすと鼻をすすりながらルルが頷く。
「旅の間、クルリと離れ離れだけどそれでも良いのか?」
『っ! ……でも、シテ、行く、やだぁ!』
止まりかけた涙がまたあふれ出す。
ルルの涙と鼻水でキリテの服は一部がびしょ濡れだ。
「分かった分かった。連れて行くからもう泣くな」
ぽんぽんと背中で軽く叩くと、ルルはキリテの服に顔を押し付けた。
きっとあの服、後でカピカピになるんだろうな。
「ルルも連れて行くけど構わないよな?」
「えぇ、わたくしは大丈夫です。可愛らしいルル様がご一緒なら、旅も賑やかになりますね」
嬉しそうに笑うシュレリアに、どう反応すれば良いのか戸惑うカテナ。
きっと彼らの旅は辛いばかりではなく、楽しいことも多くなるだろう。
ここでお別れの私だけど、彼らの旅が無事終わることを祈るぐらいは良いだろうか。
「すぐに出発するの?」
「いや、少し準備時間がいる。荷物の準備もしないといけないし、引き継ぎや連絡も必要だからな」
守護者が守るものから離れるのだ。準備は簡単ではないのかもしれない。
「とりあえず、キリテはフード付きのマント用意したほうが良いよ。羽もだけど、顔も隠せ」
羽は論外だけど、キリテは顔も隠したほうが良い。
例えどれだけ口が悪くて、美少女に見えても男だとしても、まず顔だけで人を惹きつける。
その上羽がばれた時にはどうなるのか想像するだけでも恐ろしい。
「何でだよ」
自分の顔の良さを理解していないのかキリテは不服そうだけど、シュレリアとカテナは頷いている。
「キリテ様はとてもお綺麗で、人の目を集めてしまいます。天族という事を隠しておかなければ危険なのに、目立てば天族であることを隠すのが難しくなります」
「だな。ただでさえ目立つんだから、少しでも目立たないようにする工夫は必要だ」
同意してくれるのは良いけど、カテナの口調はかなり砕けた。
道中カテナから話しかけてくることはなかったけど、やっぱりそれが素の口調か。お堅い口調より話しかけやすくて良いけど。
「分かったよ」
二人にも言われて渋々フード付きマントを用意することになったキリテは、しがみつくルルを抱いたまま奥へと向かった。
葉と似た色合いの緑の布で気が付かなかったけれど、奥にもスペースがあって、そちらは生活環があった。
火を使わないミニキッチンにクッションの敷き詰められた一角もあったが、キリテはそこを抜けて更に奥に向かった。
太い枝を伝って奥に進むと、先ほどよりは小さめのスペースに、ままごと遊びに使うような小さな家具が置いてあった。
『クルリ! クルリ!』
キリテに降ろされたルルが走って行った先には、ルルと似たような身長の、こちらは光の加減で虹色に煌めく翅を持つ妖精のような子どもだった。
『お客人。珍しい』
若葉色の目でぱちぱちと瞬きを繰り返すと、クルリは空色の髪を揺らしながらその場でくるりと一回転した。
『私はクルリ。珍しいお客人は歓迎しよう』
『しようー!』
踊るように礼をするクルリに合わせるように、ルルも楽しそうにくるくる回る。
小さい子が楽しそうに遊んでいるのは見ていて和む。
例えそれが猫耳猫尻尾の生えた少女と、虹色に煌めく翅を持つ少女であっても。
ルルがキリテが魔力と命を分け与えた使い魔なら、クルリも同じなのだろうか。
「もう良いか?」
楽しそうに回っていた二人だが、キリテが声をかけるとくるくる回りながらキリテに抱き着いた。
『くるくるー!』
『満足!』
はしゃぎすぎてうとうとし始めたルルの隣で楽しそうに笑うクルリだったが、ルルを見て何度か頷くとキリテを見上げた。
『キリテとルルは旅に出るのだろう? 私は留守番。分かっている』
少し寂しそうに笑いながら言うクルリに、キリテはそっとクルリを撫でた。
「悪い」
『キリテが謝ることではない。守護者は聖域を、世界を守るために存在している。今回はキリテが動くのが適任と言うだけ。キリテは世界を守って、私はキリテの帰る場所を守る。だから大丈夫』
にっこり笑うクルリは、小さいのにとても大きく見えた。
『でも約束して欲しい。ルルと一緒に、元気に帰ってくると』
「あぁ、約束だ」
クルリが差し出した小さな指に小指の先を当てると、クルリは満足そうに笑った。
ルルが眠っている間に準備をと思ったが、キリテの持つ服はどれも森に紛れるような色合いの実用性重視のデザインばかりで、このまま旅に出るには不安があった。
「……町に出て買った方が良いと思うわ」
「わたくしもそう思います……」
「流石にこれは、森の外では目立つな……」
「お前ら好き勝手言いすぎだろう」
頷き合う三人の隣でキリテは憤るが、聖域に引きこもっている人がそのまま外に出てどんな目で見られるか。
特にキリテは目立たないことが重要なのに、どう考えても悪い意味で目立ってしまう。
「取り合えずキリテはカテナの服でも借りて。で、そこそこ大きな町に行ったら服を買って」
カテナとキリテでは身長差も体格差もあるから色々見苦しくなるかも知れないが、今の服のままよりはいい。見苦しい部分はマントで誤魔化せる。
とは言え、キリテがどんな旅装束になっても私は見ることがない。
私は聖域までの案内人。この後は暗き森に戻って今までの生活に戻るだけ。
誰かと触れ合う生活は久しぶりで楽しかったけど、ここから先、私と彼らの道は分かれるから。
「そうですね。魔女様、町で行ったら一緒にショッピングと言うものをしませんか?」
「へ?」
なのに私が同行するのが当然のように言われて、思わず変な声が出た。
「わたくし、孤児院から教会に入ったので町で女性たちがするショッピングと言うものをしたことがないのです。教会では聖女は他の方と一線を引かれていますし、聖女同士もわたくしが孤児院育ちだからと仲良くしてくださる方がいなくて……」
恥ずかしそうに目線を逸らせながら言葉を紡ぐ姿は可愛いけど、ここで流されて頷いてはいけない。
「ちょっと待って。その前に、私森に帰りますよ……?」
そう、私はただの聖域までの案内人。ここから先は同行しない。
それなのに、なんでみんなして変な顔してるの?
「そんな……! 魔女様もご一緒して下さるとばかり……!」
シュレリアは泣きそうになっている。いや、そんなことで泣かないでよ。
「魔女も一緒に行くんだろう? キリテも連れてだと、以前のように神殿頼りは危険なんだ」
カテナも狼狽えるな。
「お前……俺にこの世間知らずの面倒見ろと? 俺はルルの面倒見るので手一杯なんだけど」
お前も十分世間知らずだ。と言うかお前が一番の世間知らずだ。
思わず頭を抱えて髪を乱すと、グリンツが好々爺のような笑みを浮かべた。
『暗き森の魔女。お主も同行せい』
そして朗らかに同行命令。
「嘘でしょ!?」
でも私たち魔女は精霊には逆らえない。何故なら私たち魔女は、精霊によって生かされているから。