4 ハインツとお茶する俺
一頻り驚いて感情を落ち着けたのか、ムンム医師は一つの場所を口にした。
「――女子修道院?」
「はい。そこで人知れず産み落とすのです。あそこならば皇帝も勝手に介入できません。皇帝の力が極力及ばない場所なのです」
「なるほど」
そう言えば地球の歴史上でもそう言った皇帝と教会の対立みたいなのがあったっけ。
この世界でも似たような構図になってるのか。
女子修道院なら貴族令嬢が一定期間滞在しても不思議じゃない。
規則正しい時間割かつ禁欲的な生活と清貧を重んじる場所なので、それは大抵は何かをやらかしての罰だったりするようだけど、外部への情報もほとんど遮断されている場所だし期間を決めて籠るには最適だ。
「妊婦でも大丈夫なのか?」
「大半が未婚ですが、一部はワケありで逃げ込んできた既婚者やアデレイドお嬢様のような世間に公表出来ない事情をお持ちのレディ方もおられます」
そうなのか。まあ人生色々あるのはどの世界も変わらずってとこか。
「よし、じゃあその案で行こう。お腹が大きくなる前に修道院に入らないといけないよな。屋敷の誰かに知られたらその時点でアウトだろ。俺もドクタームンムもさ」
「ええ、左様ですとも。何か相応の理由を持ち出して籠るのがベストでしょう」
「相応の理由、ね。じゃあ皇帝陛下のおんために祈りを捧げたいとかは?」
「ご許可が降りればそれも可能でしょう」
「じゃあとりあえずそれでいくよ。親身になってくれてどうもありがとなドクタームンム!」
からりと笑むと、彼はやっぱりちょっと目を丸くした。
そういえば本物のアデレイドはおしとやかで柔らかな笑みを浮かべるタイプだっけ。まあいいか。今は生き延びるのが優先だしな。
さて何から始めようかとアデレイドの記憶を元に思案していた俺は、ここで何か重要な予定を失念していたのに気付いた。
「ところで今日の俺の予定って確か……」
「はい、存じております。午後からはハインツ陛下に城に招かれてのお茶の時間となっておりますね」
どうして屋敷医がそこまで令嬢の予定を知っているのかはともかく、俺の顔からさっと血の気が引く。
アデレイドになってその日のうちに例の残酷皇帝とのご対面とか、俺ってば何って運のない……っ!
それにどうしてかアデレイドとハインツは、二人が関係を持っちゃった日以来、一度も会っていなかった。
体調が優れないって理由で彼女が社交界に顔を出さなくなってしまったのが大きい。薬を盛られての失態に合わせる顔がなかったのか、殺されるかもって怖がって避けたのかはわからない。だけど今度は余りにも連続して体調不良で社交場に出ないってんで、皇帝の方が気分転換にお茶会に来ないかって誘ってきたって次第だ。
誘うなんて聞こえはいいけど、要は城に来いって君主命令だよな。
断ったらお前どうなるかわかってるよなってやつな。おお怖っ。
でもこんな微妙な空白期間を置いて急に音沙汰があるなんて、もしかしたら皇帝はアデレイドが妊娠してないかどうか確認するために呼び付けたのかもしれない。
そう考えたら、背筋が冷えた。
「お嬢様、くれぐれもお気を付け下さいね。万が一にでもバレれば……」
「あ、ああわかってる。俺だって死にたくないよ」
我が事でもあるムンム医師が処刑の光景を想像したのかぶるりと震えた。
ここから彼とは一蓮托生だ。ああでもこの人が伯爵令嬢の秘密を握って金銭を脅し取ろうとするような悪辣な人間じゃなくて良かった。
診察台から降りた俺はよろよろとした足取りで廊下に出る。皇帝のお膝元、皇都にある伯爵家のタウンハウスの構造は頭に入っている。
部屋に戻ったら急いで仕度をして、その浮いた時間分馬車をゆっくりと走らせてその中で少しでも休めばいいかとこの先の行動を計画立てていると、廊下にはムンム医師から出ているように言われた侍女が待機していて、出てきた俺の顔色を見るなり心配そうにした。
「お嬢様、先よりも酷い顔色をなさっていますわ。今日はもう全てのご予定をキャンセルしてお休みになりますか?」
ああそうだった、アデレイドの記憶を読み取れば彼女はいつも侍女と行動を共にしていた。だけどこの先、修道院に入る際には俺一人じゃないと駄目だよな。秘密を知る人間は少ない方がいい。彼女にもそのうち別の仕事を割り振ってやらないといけない。
「いや、皇帝陛下に招かれてるんだし、キャンセルなんてしたら明日の命があるかどうか……」
それも尤もだと思ったのか侍女は彼女まで顔色を青くするだけで何も言わなかった。
そんなわけで、俺は準備を整えるとお招きに与って大魔王ハインツ様の住まう城へと向かう馬車に乗り込むのだった。
綺麗な花の飾られた白いテーブルクロスの上にはサンドイッチやスコーンの乗った三段のケーキスタンドが、その他にも平皿のお菓子の数々、白磁のカップに注がれる黄金色の紅茶、贅沢品だろう角砂糖を入れて掻き混ぜるのは銀のティースプーン……なーんて言った優雅な演出のアフタヌーンティーを俺は想像していた。
しかし、実際に足を運んだお茶会は庭先ではなく屋内の一室で、分厚いカーテンが下ろされ窓は閉め切られ、昼間なのにキャンドル……いやキャンドルって言うと何となくロマンチックなイメージだから蝋燭にしよう、そのある種悪魔の儀式のように灯された何本もの蝋燭明かりを頼りに手元の物を認識すると言った様相を呈していた。
ここは遊園地の中の残酷領主のホラーハウスか何かなのか? え?
染みを目立たなくしたかったのかテーブルクロスは暗色で、辛うじて磁器だろうティーカップは白かったけど、心なし紅茶の色は赤く濃く見えた。
銀の皿には美味しそうな凝ったお茶菓子が出されているものの、どうにもこうにも部屋の雰囲気が食べたいと思わせてくれない。
それ以前に、席に着いた俺はもう胃の辺りがムカムカとしていて吐きそうなのを必死こいて堪えていた。
普通だったら食欲をそそるだろう香ばしい焼き菓子の香りが駄目だった。室内に入った時からそれは始まっていて、しかし迂闊にそんな様子を表に出そうものならきっとその日のうちに首が飛ぶ。
だってどう見てもつわりだろって思われる。
耐えろ俺、耐えるんだ。
向かいの席には堂々たる様子で二十代と若きハインツ皇帝陛下が腰かけて、さぞや血染めの似合うだろう銀の髪を一部後ろに撫でつけ形の良い額を出し、ザ・皇帝陛下って感じの仕立ての豪華な衣装に身を包んでいる。
まあさすがにマントは外して壁のマント掛けに掛けてあった。
肩幅もあってあんた絶対シックスパックだろって感じに鍛えられているのがわかるけど、ムキムキマッチョには見えない。まあ着痩せするタイプなのかもな。
そして何と只今彼は、じっとりとした視線で俺の身に何か咎がないかどうかを見定めるかのようにこっちを見ていた。
獰悪な魔王みたいな紅い目が、これから俺が流すかもしれない血の色のようで生きた心地がしない。
男同士だし当然イケメンにときめいたりはしないけど、元の俺はここまでのハイスペックじゃないからちょっと羨ましかった。
どっちかって言うと俺は女性に憧れられるって言うよりは可愛がられるタイプだからな。不本意だけどさ。背だって決して低くないってのにさ。
まあそこは今嘆いても意味がないし、ここで死んだらその生涯ごと無に帰す。
この部屋には俺とハインツ兄貴の二人きり。
だからもしも彼がブチ切れて人知れず俺を殺しても、俺が彼の不興を買ったとか適当な理由で済まされそうだ。
だって、目撃者が誰もいない。
皇帝陛下の独壇場だ。
バッサリと良く切れる剣で俺を殺った後に、
――さっさとこの汚物を運び出せ。
とか冷たい目で言いそうだよ。
恐怖のドキドキがだけが増していく。生憎吊り橋効果なんてものは微塵も生じない。
冗談抜きにここで粗相はできない。さあ気合い入れてこッ!
……ってうっぷ吐きそうだよ。
密室同然だから菓子類の匂いが籠ってしまってかなり辛い。
「あ、あのー陛下、ちょっと窓を開けても宜しいですか?」
ここではさすがに男口調のままってわけにもいかず、俺は丁寧な口調たろうと努めた。
「駄目だ。良くないものが入ってくる」
よくないもの?
善くない者――刺客!?
そうか窓から来るかもしれないのか。こいつは人を殺しまくってて恨みだって買っているはずで、暗殺者を差し向けられたり暗器が飛んできても全然不思議じゃないもんな。だからカーテンは暗器を防げるように分厚いのかも。
「どうした? 焼き菓子は食べないのか? 今までなら喜んで手を伸ばしただろうに」
「き、今日はちょっと食欲がなくて……」
「何?」
ひいーッ睨んできた睨んできた睨んできた!
オレ様の持て成しを受けられないのかって目が言ってるよ~ッ。
だけどここで一口でも口にしたら最後、絶対に吐く。体調不良って思われるならまだいいけど、城の医師に診察でもされたら人生から一発退場だ。
「へ、陛下の方こそ如何です?」
俺は傍の焼き菓子を手に取ってハインツの方に差し出した。
彼が意外そうに両目を少し瞠った所でハタと我に返る。
皇帝陛下相手に手でどうぞなんて何やっとんじゃい俺は!
レディとしてレースの手袋はしてるけどそれでも相手が相手だし失礼だろ。
「…………もらおう」
「え?」
気付けばハインツは手を伸ばして受け取って、そのまま口に放り込んだ。
セ、セーフ……!
ああ良かった。怒らなくてマジ良かった。命拾いした心地で俺は密かに胸を撫で下ろした。きっと好物の菓子だったんだな。




