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25 エド、きっとあんたを忘れねえよ…と心で泣いた俺

「只今陛下は遠出なされていて不在です。しばらくお帰りにはなりません」


 皇帝の執務室の扉前でそう告げるのは、数日見ない間に随分やつれたけどどうしたっと周囲に心配されもした大雑把騎士ロベールだ。彼の扉を挟んで反対横には優面の騎士フィリップが姿勢良く立っている。彼の方は至っていつも通りだ。少なくとも外見上は。

 彼らは報告や奏上で他の者が訪ねてきたらそう言って追い返すよう、ハインツから命を受けていた。

 ハインツの用件としては思い切り私的な色合いが強いが、緊急案件での現地視察という名分は立っている。

 対策を講じ準備や手配を完了させて出掛けたので不手際はないが、向こうで彼の身に齎される結果の善し悪しでこの先の自分たちの命運も決まるかもしれないと思えば、ロベールもフィリップも「どうか陛下にとびきりの恋愛運を」と内心で天に願い続けていた。

 自分たちの上官たるエドゥアールのように、必要とあれば人ではない物に変えられてしまうかもという底知れない恐怖を抱きつつも……。扉一枚隔てた向こうにはエドゥアールの銀甲冑が主人不在で沈黙している。果たして持ち主はいつ、いやそれ以前に無事に帰還できるのかがとても懸念されていた。


「いつ帰ってくるのかわからないのか?」

「はい、ただ信じて待つしか……。申し訳ありません宰相閣下!」


 見るからに人当たりの良さそうな騎士フィリップの極めて深刻な様子に、ハインツが有能過ぎてお飾りと言われるただ年齢だけは食っている宰相は、ちょっとたじろいだ。下手に邪魔をしたり首を突っ込めば老い先短い命を不用意に散らす羽目になると感じたのかもしれない。


「こほん、まっ全く、教会側との折衝案の相談をせねばならんのに、陛下はどこをほっつき歩いているのやら。仕方がない日を改めよう」


 しかし虚勢なのか不機嫌顔で踵を返して廊下を戻って行く。本人に自覚があるのかは不明だが、口が悪いのは毎度の事で時々ハインツとも口論になりかける怖い物知らずのジジイとも陰で言われていたりする宰相だ。

 矍鑠(かくしゃく)とした足取りで老人が去ると、ロベールとフィリップは偉い宰相の次は誰が来るだろう、大臣辺りだろうかと、精神的疲労の滲む目で互いを見やるのだった。





 一方、件の皇帝陛下はと言うと、人任せはよくないと修道院に出向いていた。

 いや、出向くと言うとあたかも公式訪問のような印象を与えるが、実際は全然違う。正確には茂みで隠れるようにして開いていた外壁の穴から無断で侵入した。露見すれば不法侵入の罪に問われても文句は言えない。


 つまりは、やらかしていた。


 この無謀皇帝は知らなかったが、その穴は公園で倒れていた子供がこっそり抜け出した時に使ったのと同じ場所でもあった。


 加えて言えば、ハインツは誰か人に見られても即座に見咎められないよう、魔法で事前に姿を変えていた。


 院内では魔法云々というエド林檎の屁理屈と一緒だ。

 しかも何と、既に一晩過ごしてもいた。


 ――銀色長毛赤眼の猫の姿で。


 容姿変化魔法で特に動物に変化している間は感情の制御が難しくなる。


 変化先の生態というか本能に引っ張られてしまうのだ。実際使ってみてわかったが彼の予想を遥かに超えていた。

 だから彼は猫姿で修道院に侵入した目的を忘れないよう再三苦労していたし、関係のない人間に捕まらないように細心の注意を払って女子修道院まで移動した。入口で追い払われたりとやや難儀はしたが、最終的には無事にアデレイドとの対面が叶いホッとした。女子修道院近くの茂みの中で魔法を使わずどう中に入ろうかと思案していた時に、たまたま雨の夜にアデレイドと共に正門まで来ていたシスターを見つけ、彼女がアデレイドを世話する者だろうと考え進んで姿を見せたのは正解だった。

 シスターの機転とも言える判断で奇しくもアデレイドの部屋の住人になったのは全くの幸運で、彼自身そこまで状況に期待してはいなかったが、そうなった自分たちはやはり一緒になる星の下にあるのだろうと妙な自信を得たりもした。

 皇帝たる者、感情の赴くままに動いてはならないと自分に何度も言い聞かせてはみたものの、自然体のアデレイドと同じ部屋で過ごしていると思えばめちゃテンションが上がって、されるがままに撫で撫でをしてもらったり、自分からすりすりまでしてしまう始末だった。


 このアデレイドと離れたくないという強い情が彼をそんな行動に駆り立てていたのだ。


 更には至福の時、一晩一緒のベッドタイムも味わった。

 ちょっとはしゃぎ過ぎてくしゃみが出るからと悲しくも遠ざけられたりしながらも、ハインツはとても楽しかった。人間姿だったら決してこうはならないだろう無邪気さも魔法の影響だろうが、とにかく幸せだった。

 破廉恥エドゥアールには殺気立ったりもしたが、そこはアデレイドの助けになっている功績に免じて見逃してやって、彼がムンム医師を連れて戻るまで待っているつもりだった。

 アデレイドの膝の上で大人しく、猫らしく。


 しかし、


 ――俺は本物のアデレイドじゃねえからな。魂だけ別もんなの。

 ――男同士仲良くやろうぜ。


 彼女の口から飛び出したとんでもない真実に、彼は文字通り、魂消(たまげ)た。





 いきなりにゃんこがフリーズした。


 まるで呆然自失として意識がここに在らずって感じで死んだような目になっている。


 何度呼び掛けても触っても反応がない。

 何で、どうして、急にこんな風になったんだ?

 迷い猫だって言ってたし、こいつも生の水を飲んで病気になったのか?

 腹を下したり吐いたりはしてねえけど、症状が重いとこんな状態になるのかもしれない。


「獣医を呼んでもらうべきか?」


 果たしてこの世界に犬猫に詳しい獣医がいるのかはわからない。軍馬は結構いるから馬に詳しい人間ならいるだろうけど。

 今はムンムの到着を待っているから下手にこの部屋を出てもいけない。そもそも勝手に出たら途中で見咎められて部屋に戻されるだろうしな。


「ムンムが診てくれるかもしれないから、それまで辛抱してくれな?」


 リラックスした顔のお前を俺にまた見せてくれ。

 規則的に呼吸はしてるし瞬きだってしている。でも無反応だから心配だ。

 そうして俺はしばらく猫から目を離さずにヤキモキとして待ち人の訪れを待った。


 ノックの後におばちゃんシスターと共に入ってきたのはエドだった。


 猫を抱っこして椅子から立った俺は、やっとムンムが来たって喜んで彼らの方に自分から歩み寄って行ったけど、二人の後には誰も入って来なかったから俺は素直に困惑の色を浮かべた。


「あれ? ムンムは?」

「それが、臨時で患者を診ていまして彼らの診察が終わり次第こちらを訪れるそうなので、少々遅れて来ます。しかし急ぎでしたので先にアデレイド嬢の見解だけは伝えて意見を仰ぎました。アデレイド嬢からの新たな見方もあって、ムンム医師も同様の結論を持たれましたよ」

「マジで!? そっか~先に聞いといてくれて良かった~。ありがとなエド」


 エドはドア近くに立ったまま、ムンム本人を連れて来れなくてちょっと申し訳なさそうにしている。気に病む必要なんてねえのに。こう言うとこは真面目なエドらしいって思って薄く苦笑が浮かんだ。ぶっちゃけ甲冑着てねえ方が甲冑に関する無駄な思考も減って判断もキレて有能なんじゃねえのこの人。

 シスターはムンムが来たらすぐにここに連れて来れるよう正門の方で待つからと早々に退室した。俺、この先悪徳シスターの定義を変えようかな。


「ところで、その結論をこの街の偉い人とかには伝えられそうか?」

「はい、偉いかどうかは別として、街には既に騎士たちも多数派遣されているので某が全員に通達するよう指示を出しておきましたし、騎士たちが地元の各区長の元などを回るので住民たちにも話が迅速に伝わるかと。ムンム医師も直接この街の医師たちに呼び掛けると言っていましたよ」

「そっか。ならきっともう安心だな」


 徐々に状況は好転するはずだ。


「と、ところでその猫は一体どうしたんですか? 何か魂抜けたみたいに目が虚ろですけど。まさか具合悪いんですか!?」


 猫の異変に気付いたエドが何だか俺以上に慌てたようにして様子を確かめる。俺もあっと思い出してその話題に食い付いた。


「そうなんだよエド。この猫急にこんなんなっちゃって。でもきちんと呼吸はしてるから原因がよくわかんなくて、とりあえずムンムに診てもらおうと思ってたんだけど……。何か大きなショックを受けたみたいな感じだけど、ショックを与えるような乱暴な真似はしてねえし、ホントどうしちゃったんだよこいつ」


 エドはしばし思案するように猫を見下ろした。


「アデレイド嬢、つかぬ事をお訊きしますが、猫相手だからと陛下への不満や愚痴を言ったりは?」

「へ? ハインツの? あはっ言うわけねえじゃん。それ所じゃなかったし」


 変な質問だな全く。何で今あいつの名前が出てくんだよ。


「はは、確かに」


 エドはどこか安堵したように頭を掻いたけど、何だったんだよ、おかしな奴だな。

 内心首を傾げたものの、俺は不安な目で猫を見下ろした。


「ムンムが来てくれるまで待ってた方がいいと思うか? それとも早めに別の医者に連れてくべき?」

「あー……ええとどうでしょう。某が思うにこれは身体的不調ではなくて精神的なものじゃないのかと」

「でもショックの原因なんて思い当たらねえよ? ――あ、まさか昨日ミルク塗れにしちゃった後遺症とか?」

「ミルク塗れ?」

「ああ、執拗に纏わり付かれてさ、ミルクやろうとした時に皿引っ繰り返してびしょびしょにしちゃったんだよな」

「へえ、執拗に……」

「洗って拭いてやったけど、それが原因とか? すげー気持ち良さそうにしてたんだけど」

「それは絶対に関係ないですね!」


 エドはこんな話題なのに溌剌とした輝くイケメンの笑みで言った。


「え、そう思う?」

「はい、甲冑に誓って」

「すげえ言い切るな!」


 エドは猫のフリーズした目を覗き込むと、


「うーん、一晩とは言え限界というか、潮時なのかもなあ……」


 なんて俺にはよくわからない独り言を零した。

 猫に視線を固定するエドは考える時の癖なのか顎を摩っていたけど、何かを思い切るように顎からその手を離すと、怪訝顔の俺へと真面目な目を向けてくる。


「アデレイド嬢、一つ頼み事をしても?」

「頼み事? いいけど、何? 今の俺に出来る事は少ねえよ?」

「ああいえ、それほど難しいものではないですよ。単刀直入に言いますと、――この猫を吸ってやって下さい」

「…………えーと、悪いもう一回言ってくれ」

「この猫を吸ってやって下さい」

「…………」


 これは俗に言う猫好きのやる猫吸いってやつを言ってんのか?


「顔を埋めてにおいを嗅げって?」

「まあ、そんな感じです」

「えっと俺、軽い猫アレルギーなんだけど」

「ああでは息を止めて、ちょんっと少し顔を埋めるだけでも結構です」

「は?」


 エドの言いように猜疑心が湧く。だってなあ、明らかに怪しいだろ。それじゃ猫吸いって言わねえし。


「ええと、それは何で?」


 警戒心も露わに一歩退がると、エドは何を思ったのか手を伸ばして俺から猫を取り上げると両手で脇を持ってぶら下げた。猫はやっぱりこれと言った反応も見せず、暴れもしないでぶら下げられている。


「とにかくお願いします、アデレイド嬢」


 エドは明確な理由を告げてはくれずに猫を俺に押し出すようにして近付けてくる。何で無理やりな感じでこっち寄せてくんの?

 不可解に過ぎてまた退がれば、その分エドも詰めてくる。

 退がって詰めて退がって詰めて退がって詰めて…………。


「おいなあエド! どうして付いてくるんだよ!」

「あなたが逃げるからじゃないですか!」


 いつしか俺とエド+猫は、テーブルを中心にぐるぐると追いかけっこをしていた。


「はあ、はあ、はあっ、良い運動になった――って違え、ホンット何なんだ! 俺にそいつとちゅーでもしろってのか!?」

「そうですっ!」

「何でッ!? そんッなにそいつが好きならあんたがしてやればいいだろ。猫吸いでも何でもしたらいいだろ!」

「……某、まだ死にたくはないので」

「死!? ままままさかそそそそいつにちゅーしたら死ぬのか? 魔のにゃんこなのか!? あんたは俺に死ねって言うのか!?」

「いえそれは誤解です。アデレイド嬢は絶対的に大丈夫です、甲冑に誓って」

「根拠は!?」


 俺たちはまだテーブルの回りをぐるぐるしてたけど、卑怯にもエドが騎士たる身体能力でテーブルを飛び越えて来た。だから俺はとうとう壁際に追い詰められてしまった。

 それにこの猫もこの猫だよ。さっきから荷物よろしく結構酷い扱いなのに覚醒もしないってやっぱどう見てもおかしいだろ。猫にもエドにも一体全体何が起きてるんだ。


「さあ、アデレイド嬢、後生ですから!」

「嫌だ! その猫はもしかしなくても普通の猫じゃねえんだろ!」

「ぎくっ!」


 口で言った、ぎくって口で言ったよこいつ!

 その動揺っぷり、冗談抜きに化け猫だったりすんの!?

 んで以てエドはエドで実は俺への怒りの治まらないハインツから俺の暗殺の密命を受けてやって来た刺客だったとしたら?


「ああああんた、その化け猫にガブリと俺を食わせる気なんだな!」

「何の事ですか。とにかくいきますよアデレイド嬢!」

「まっ待て早まるなエド!」


 最早背中は壁にピッタリくっ付いてこれ以上は下がれねえっ。

 エドによってぶら下げられた猫の顔が徐々に近付いてくる。魂が抜けて死んだみたいな目をした猫の顔が。


「ひいぃ~~ッ、や、やだっつってんだろーーーー!」


 俺はもう無我夢中だった。

 己の唇を死守せんと、決死の覚悟で猫を掴んでエドに突き返すように前に出した。


「んぐふッ!?」


 エドの変なくぐもった声が上がっての次の一時、俺が見たものは、猫とエドとの奇跡のキスショット。


 稀に見る奇跡の光景が創造された。


 非・絶景やわ~……なんて思った刹那、何と猫が人に変わった。


 エド林檎に倣ったように、一糸纏わぬ青年の姿に。


 俺の位置からだとさらりと揺れる銀髪の後頭部しか見えないから、どんな顔をしてんのかはわからない。

 けどそいつはタイミング良く覚醒したのか猛烈に憤ったようにして、信じらんねえ事に、何とまあ、容赦なくエドの股間を膝蹴りした。


 エドオオオオオーーーーッッ!


 俺が齧った時の比じゃない野太い悲鳴を上げてエドは身を丸めて床の上をのた打ち回る。

 あれは痛えっ、蹴られた本人でもない俺まで心で悲鳴を上げちゃったぜ……っ。


 凶手は間違いなく、ハインツ・デスカ皇帝陛下だ。


 だけど男同士で喧嘩してもそこは勘弁って慈悲深さで避ける場所なのに、マジかよハインツ・デスカ……何て鬼畜ッ。


 泣きそうになった俺はうっかり自分の股間を押さえそうになったけど、今はアデレイドだって思い出して何とか思い留まった。

 恐る恐る覗き込んだ横顔は、どこまでも冷たく配下を見下ろしている。

 伸びた首筋から至る綺麗な鎖骨に堂々たる胸筋にその下の腹筋、そして背筋の伸びた威容はまあさすがに皇帝陛下様様って惚れ惚れするだろうな…………きちんと下を穿いてれば。


 ったく、お前もか、ハインツ……ッ。


 ホント主従揃って何なんだよ……。


 薄ら浮いた眼尻の涙を拭った俺は腹立たしくも呆れてしまった。そしてひしひしと湧き上がる思いがある。こんなのおばちゃんシスターに見られたら俺にはイケメンで変態の知り合いが多いって思われる。最悪だ……。

 隠そうにも、彼女に賄賂を渡して服を調達する必要があるから知られるのは避けられない。

 俺はもう猫がどうしてハインツに変わったのかとかハインツの怒りがどうとか彼への恐怖がどうとか、エドの不運がどうとかを考えるのも面倒になって、二人に背を向けるとベッドに寄った。


「……とにかく、早く隠せ……」


 深い嘆息と共にある物を差し出してやる。


 ハイ、今日も俺のシーツは貸し出し中になりましたー。


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