24 突き止めちゃったかもな俺
この日の午前中、俺は悪徳おばちゃんシスターに便宜を図ってもらってエドをこの部屋に呼んでもらった。
もちろん彼からの調査報告を聞くためだ。
約一日あれば、修道院の広さ程度エドにとったら余裕だと思う。調査する項目も限定的だしな。有意義な話を期待できそうだ。
こそこそとして修道士姿の彼が俺の部屋に入って来た時、どうしてか銀の猫が俺の足元にピッタリと護衛するみたいにくっ付いてきたから、椅子に座る時に膝に抱き上げてやった。暴れたりしない限りは膝なら何とかセーフなんだよな。猫アレルギーが酷い方じゃなかったのは幸いだった。
「お? アデレイド嬢その猫は?」
「ああ何か迷い猫だって」
「へえ、そうなんですか」
エドは興味深そうに猫を見つめたけど、猫からじろりと睨まれでもしたのか急にハッとして、その後更には何とも言えない顔になって目を逸らした。
え、何今の?
これが犬社会だったら間違いなくエドはにゃんこの下だったよな。こいつ本当は立派な騎士様なのに何か泣けてきたよ俺……。嗚呼、閑話休題。
席に着いた俺たちを見たシスターが気を利かせてお茶の提案をしてくれて、俺は有難く給仕を頼んだ。修道院内の事だし彼女がいても平気だろうって思ったからだ。ここの日常をよく知っているから必要なら証言を求めてもいいしな。
「雨ん中だしハードだったろ。必要な調査とは言え全部任せきりで悪かったなエド。美味い紅茶でも飲んでリラックスしてくれ」
シスターの淹れてくれた紅茶を促せば、エドは俺の労いに恐縮したようにして一口啜ると早速と現段階までで彼の見てきたままを伝えてくれた。……にしても、笑みもぎこちないし、こいつってもっとフレンドリーだったと思ったけど、今日はどうしたんだ?
まあ本音じゃ俺も早く話を聞きたかったから余計な口は挟まない。
俺が知りたかった院内の水回りの状況はほとんど予想通りだった。
ここには井戸もあるけど、街全体と修道院内を通るように整備された上水用の水路からも取水しているそうで、エドが見た時は少し濁っていたらしい。
さすがに上水と下水とは水路系統も分かれているようだけど、水漏れしている所も見受けられて、造りは俺が思っていた以上に軟弱そうだった。
「なあ、生の水持って来てくれた?」
「ああ、はいこちらに」
そう言ってエドが思い出したように懐から三つ程小瓶を取り出した。
「敷地内でも離れた地点の水を汲んできました。雨で濁ったとこもありましたけど、そう言う顕著なのは濁りが取れるまで使わないと思いますよ」
ここはシスターの出番だ。確認すればそうだと頷いた。でも少しくらいの濁りなら濾過すれば見た目は透明になるから問題なく使っているとも言っていた。
「においも別に某的には異常を感じなかったですね。ここの水がどうかしたんですか? 何の変哲もなさげですけど」
「えっと、まさか試しに飲んだとか言わねえよな?」
「いえいえ、ムンム医師の指導に則して某も口にする物には気を付けています。何しろ悪い病気に罹ってアデレイド嬢にまでご迷惑や悪影響が出ては悲しいですから」
エドは俺の膝の上の猫を遠慮がちに見据えた。
「悲しいって、そんなに俺を案じてくれてんの?」
「当然ですよ。……こっちの命もかかってますから」
後半はよく聞き取れなかった。
「エドはマジで良い奴だな。エドならどこにお嫁に行ってもああいや違う違う、エドの嫁になりてえ~って女の子はきっと多いだろ。その服も似合ってんぜ!」
「はは、残念ながら最近は全然ですよ……。この機に出家でもしますかね」
「えーマジ? ははっ出家はともかく、じゃあ俺立候補しちゃおっかな~」
「――某生涯独身を貫く所存でありますからーーーーっ!」
思い切り椅子を蹴立てて直立不動の姿勢を取ったエドは、血相を変えて怖いくらいの切羽詰まった表情で叫んだ。これが漫画とかだと集中線が顔のアップに重なってたよ。
冗談なんだけど通じないようですねー。でもエドって今みたいな冗談通じないくらいに堅物ってか生真面目な奴だっけ? ホント今日は変だな。
「何か男前なのに勿体ねえな~」
「国を護る騎士たる者、婦女子にうつつを抜かしてはいられませんからっ!!」
自身の胸を叩くエドの拳は不自然に震え、何故か慄く目で俺の膝の上の猫を見つめている。
何だってんだよ。さっきから猫を気にし過ぎだろ。
猫が好きなのかって一瞬思ったけど、どう見ても猫可愛い大好き~って感じで向ける目じゃねえし。
それはさておき、俺はエドがテーブルに置いた小瓶を一つ開けて鼻先に近付ける。
「アデレイド嬢っ」
「にゃあっ」
「アデレイド様っ」
エドと猫とシスターがほぼ同時に制止の声を上げたから、俺は小瓶を離して思わず微苦笑を浮かべちゃったよ。猫のはたぶん偶然だろうけど。
「大丈夫だって、飲んだりとか、そんな間抜けな真似しねえって」
言いつつ自然と眉根の寄っていた俺は他二つの水も嗅いでみた。
「エドはこれに何も感じなかったんだよな?」
「はい」
彼は俺の問いに不思議そうにしてから、何か間違いでもあったのかと思い至ってか表情を少し曇らせる。
「シスターはこれ、どう感じます?」
おばちゃんシスターはこっちの意図を的確に理解してくれて三つの瓶ともに鼻を近付ける。そして困ったように首を傾げた。
「私にも特にこれと言って異常は感じられませんが……」
「そっか、ありがと」
やっぱりそうか。
――俺はこの水が「臭う」と思った。
鼻を抓みたくなるって強烈さはないけど、まんま飲みたくねえ~ってレベルで。
俺の嗅覚がおかしいわけじゃないと思う。
おそらく、この世界の住人たちは多少臭くても飲み水、生活水としての許容範囲なんだ。
俺の世界みたいに塩素消毒なんてしない自然のままの水を使っているし、公害になるような化学物質が飲み水に流れ込むなんて悲劇も経験していないから、そこまで危機意識がないんだろ。
それにこの世界には世にも不思議な祈り魔法があって、それで病が緩和されたり快癒したりする。物理的な怪我は治癒魔法が効くしな。薬は一般的に浸透しているけど、俺の世界程優秀じゃないし重要な位置づけでもない。
日本の都会に暮らして塩素臭くて不味い水を知ってる俺だけど、さすがにこれを飲むなら塩素臭い水の方がマシだ。
水に対しては衛生面からとても潔癖な暮らしに慣れている俺だからこそ、この水に問題があるって言える。
或いは、妊娠中の身だから余計に臭いには敏感になっているせいもあるだろう。
「エド、調べてきてくれてありがとな。結論から言って、修道院の水は駄目だ。水路が繋がってる街中の方も同じだと思う」
「それは、つまりは……」
エドは俺の答えを察したものの、まだどこか確信が持てないような声で先を促した。
「ああ、病気の原因はこの水だろうな」
エドもシスターも絶句した。
かつてのロンドンじゃあ、下水設備が不十分だったせいで路上に捨てられた汚水から病気が蔓延したって歴史がある。この街はその時のロンドン程汚物に疎いわけじゃねえけど、稀に見る長雨がそれに近付けた。
「この水を沸かさずそのまま飲み続けたせいで、皆は病気になったんだと思う。あとはよく水に触る仕事だとかでそのままの手で物を食べる頻度が高かったとか」
水仕事担当だって聞いた男の子の母親はもしかしたらそうやって具合を悪くしたんじゃないかって思う。結局あの子の体調不良は単に風邪だったらしいけど、罹患しなかったのは運が良かった。母親が仕事の間、シスターたちから可愛がられてお菓子やミルクなんかをもらっていたからだろうな。正規の食事にしても、これは本当は宜しくないけどお菓子でお腹一杯で余り手を付けなかったって話だ。まあそれが周知されたこれからは好き嫌いは許しまへんでーって見張られるだろうけど。ああもうシスターたちから教育されてるかもな。
おばちゃんシスターやその他の女子修道院の人間は、おばちゃんシスターに倣って水も沸かした物を飲んだり食事も火を通した物を食べていた人が多かったから、患者が少なかったんだろう。
ぶっちゃけ、おばちゃんシスター様様じゃねえのこれ。悪徳なのに……。
「エドもシスターも俺と違ってこの程度の臭いなら差し障りないみたいだし、他の人も同じだったから誰も気付かなかったんだよ」
はー、ここに日本で売られてる美味しい飲料水なんて持ってきて飲ませた日にゃ、お茶会ならぬ水会が開かれそうだよ。まあここでも野山に行けば美味しく綺麗な天然水はあるだろうが、それはまた別の話だ。
「ですが、今まで問題なく使っていましたのに、どうしてここの水が駄目な水になったのでしょう?」
ふむ、シスターそれは尤もな疑問ですな!
「それはさ、この街ってほとんど石畳だろ、普段ならそれでも雨水は少しずつ地中に染みたり表面から自然と乾くけど、ここ最近の長雨はその浸透限界を超しちゃってたんだと思う。上水にしろ下水にしろ各所の水路もキャパオーバーしてるみたいだし、大雨で溢れた下水がどこかで上水に、つまり飲み水に混ざったんだろうな」
「下水が……なるほど。あんな汚い水なんて入ったら当然お腹を下しますね。しかもそれを知らずに毎日使っていたら本格的に病気にもなりそうですし、一度回復しても水が変わらないのならまた病気がぶり返すのも道理ですねえ……。薬も祈り魔法もその場しのぎにしかならなかったのも頷けます」
理解が早いシスターは小瓶の中の水を睨むように見つめた。彼女にもこの場に居てもらって良かったって改めて思う。きっと早いうちに院内で水の一時使用中止もしくは煮沸の徹底を呼び掛けてくれるだろう。そうすれば処方されている症状緩和の薬で回復は容易になる。
今度はエドがピンときた顔になる。
「じゃあ、街中でも低い土地に患者が集中していたのも、丘の上の方の水が流れ下ってきて余計に水が集まったせいで溢れて混ざったんですね。しかも複数の水路でそれが起こったと」
「ああ、そう考えるのが妥当だよ。反対に街の郊外の耕作地にほぼ患者がいないのは、地面が石じゃなく土だからだろう。雨水は地下に浸透していくから」
「ぬかるんで大変だろうなあ」
「まあ、石が敷かれた主要路まで馬車を出すのは苦労しそうだよな」
俺はティーカップを片手で持ち上げてその中身をくるくると揺らすと、男らしく一気に飲み干した。話し込んだせいで冷めてたからな。沸騰させてしかも紅茶の香りの付いている水からは、俺の鼻じゃもう生の水に感じた不快な臭いは感じ取れない。動物なら或いはって思うけど。
何とはなしに膝の上の猫に頓着して撫でながら、こっちを見上げて来たその紅い目と目を合わせる。
「とにかく、俺の見立てだと原因は飲み水の汚染だから」
自分に話し掛けられてると思った猫が「にゃあ」って鳴いたのに、思わずふっと相好を崩す。
この世界じゃ大腸菌とかそういう菌類の科学があるのかはわからない。
でも下水が入れば体に悪いってのはわかってるみたいだから研究してたりもするのかもしれない。アデレイドの記憶にはそこまでの知識はないから詳しくはわからないけど。
俺は顔を上げてエドとシスターを交互に見た。
「でもこれはまだ俺の素人考えだから、専門の人間にも意見を仰いで結論を出したい。だからエド、この街に来てるってムンムを急いで呼んできてくれないか?」
彼は医療方面に関しちゃ信頼のおける男だ。
「わかりました。大急ぎで行って来ますよ!」
現状打開の明るい道筋が見えてきてやる気を出したエドが元気に了解してくれる。
そんなわけで俺はシスターに頼んでエドをこっそり院の外に出してもらったけど、意外にも彼女はこの時ばかりは賄賂を受け取らなかった。きっと悪徳シスターな彼女の中にも金品を得て良い悪いの一線みたいなのがあるんだろう。
シスターもまだ仮とは言え納得できて同意する部分が大きい俺の意見に従って、飲み水の処理を院内の各所に急ぎ伝えに行った。
室内は猫と俺だけになる。
「これで皆良くなってくれて、雨も晴れれば万々歳だよな」
片付けを後回しにするよう指示したのもあって、お茶の一式が残されたテーブルを前に、俺は依然として行儀良く膝の上にいる猫の小さな頭を両手で包み込むようにすると、指先でふにゃふにゃと顔マッサージしてやった。大人しくされるがままのにゃんこの顔にこれまた和む。
「ぷは、面白え顔。こういうのもブサカワってやつに入んのかね、ぷははっ」
この猫とは昨日初めて会ったのに、俺にすげえ懐いてくれて俺もすぐにこいつを気に入った。
もう十年も自分の飼い猫だったみたいな愛着さえ感じるし、人でも動物でもフィーリングがここまで合う相手ってのは中々いねえもんだよなー。今後出産して修道院から出て行く時はこいつも一緒にロジェ家に連れてくか。
「なあ、俺がここを出る時には一緒に来るか?」
その時に黙って連れてくのも悪い気がして、自己満足だけど何となく訊いていた。
猫はイエスって言うように鳴いた。
だけどそれでもいつか俺は元の世界に帰るから、その時はきっと寂しいだろうな。
「にゃんこ、ごめんな。お前にだけは言っとくと、たぶん俺はずっと一緒には居られない」
俺は手を止めて、俺たち以外誰もいない部屋で密やかな囁きを落とす。
「俺は本物のアデレイドじゃねえからな。魂だけ別もんなの」
猫はさすがに何を言われているのか理解できなくて不思議がっているのか、必死に目を丸くして俺を見つめてくる。
それとも猫には人に見えないモノが見えているって言うし、独自の感覚で俺の何かを察知したのかもしれない。
「まっ、でも本当のアデレイドが戻るまでは、――男同士仲良くやろうぜ。本物のアデレイドが戻ったら戻ったで彼女とも仲良くしてやってくれよ。ぶっちゃけ体は同じだからさ」
猫にだから言える大きな秘密。
「ん? どうしたよにゃんこ?」
あれえ~変だな、こいつ、思いっ切り固まっちゃったよ。




