2 妊婦になった俺
「ア、アデレイド様、よもや余りのショックで気が触れて……?」
何気に失礼な老医師の言葉にハッと我に返った俺は、恐る恐る彼を見やった。
「あの、アデレイドお嬢様?」
「ええと……アデレイド・ロジェ?」
自分を指差して確認する。
「はい、そうでございますよ。アデレイド・ロジェ伯爵令嬢にございます。ご自身のお名前をご確認されるなんておかしな事をなさいますね。やはりお気が触れて…」
「ねえよ! お嬢様に向かって礼を失し過ぎだろあんた」
「も、申し訳ありません! 本音は隠せない質でして……」
「へえ……まあいいよ」
この医師は口を滑らせるタイプらしいな。
まあそこはどうでもいいとして、やはり俺がアデレイドってお嬢様らしい。
じゃあこれは昼寝の延長。夢。きっとそうだ。
しかも女の子の世話をするって俺自身がその彼女になるって意味だったのかよ。
何て厄介な夢だ……。
まだ醒めそうにないし、この明晰夢にもう少し付き合ってみるか。
そう気を取り直して男性医師に目を向ける。
「それで今はどんな状況? どうして俺は診察台に寝てた?」
「ええ、はい、お嬢様はご気分が優れないとこちらに来られての診察の結果、ご懐妊されているとお知りになり、卒倒されたのでございます」
「へえ、ご懐妊……」
「まだ初期の段階ですので全くお腹も目立ちませんし、この件はまだこの私しか知りません。ですので今なら隠蔽が可能でお嬢様も助かります!」
「へ? 助かるってどう言う事? 普通妊娠したらおめでたいんじゃないのか?」
「お相手が現皇帝陛下ハインツ・デスカ様でなければ、そうでしたでしょう」
「……そのハインツ・デスカ皇帝陛下だとどうしておめでたくないんだ?」
「お嬢様、本当にどこもおかしくなってはおられないのですよね?」
この人マジで失礼な問いを連発してくるな。
「どうしてなどと、それは皇帝陛下に殺されてしまうからに決まっているではありませんか!」
「……え? 殺……?」
「ハインツ皇帝陛下は冷酷非道、特にご自身のお子を望まれてはおられず、手を付けられて懐妊した女性たちはことごとく皆が皆今は冷たい土の下におられるとか」
「ななな何でそんな酷い事を?」
「彼の不遇の生い立ち故でしょう。お嬢様もご存知のはずですが……」
「気を失ったせいで一時的にど忘れしてるみたいだなあ~」
「そうですか。ではご説明致しましょう。贅沢三昧だった先の皇帝の妻、つまりは先の皇后は城の下女だったハインツ陛下の生母に辛く当りました」
「はは~あ、先の皇帝にお手付きにされちゃったってわけか」
「ええ、はい。城でも美人と評判の下女でしたから。妃の末席に加わったそうです。しかも先帝には他にも妃が多く、その妃たちも我が子を持ち上げようと躍起になって平気で人を蹴落としたとか。立場の弱かったハインツ陛下たち母子は鬱憤晴らしのいい的にされていたと聞き及んでおります。そのせいかハインツ陛下の母君は辛さの余り心を病み、その矛先は陛下へと……。いつしか憎むようにして我が子を罵倒するようになったとか」
あー、うーん、人間必ずしも自分の負の感情を制御できるとは限らないもんな。
人間生まれだって選べない。
「陛下の生母には元々想いを寄せていたという許嫁がおりまして、当然それも破談になりましたし、どうにもこうにも耐え切れなかったのでしょう」
え、何てこった。婚約者がいたのにお手付きにされちゃったのかよ……。
好きでもない男の子供のせいで自分も酷い目に遭わされたその母親には同情する。ハインツ陛下とやらにしたって何の泥沼小説だよってくらいに完全不幸な子供時代じゃねえのそれ!
「だから子供は要らないって? 同じ思いをさせるかもだし、皇位継承争いも避けたいから」
「そう言われております。因みにハインツ陛下の継承争いは、さくっと陛下が他の皇子様方を自らの手に掛けてしまわれてそれで滞りなく……」
「へ、へえ~…………で、俺はよりにもよってその陛下の子を身籠っちゃったってわけだ」
「左様です」
いくら夢でもこれはないと思う。
残酷な君主はよくある設定と考えても、何で妊婦?
男なんだけど俺!!
どうしてこうなったって憤ったら、頭に血が昇り過ぎたのかくらっときた。
「アデレイドお嬢様! お気を確かにいいいっ!」
遠くで老医師の声がこだました。
ああ変な夢だった、目が覚めたらきっと現実に戻っているはずだよな、と思った俺が目覚めたのはどことも知れない世界だった。
白い。とにかく周りが白い。
「あれ? こっちに魂が戻っちゃった?」
そんな声が響いて出所を探ったけど、相手の影も形も見当たらない。
しかも今の声、昼寝に落ちる直前で聞いた声じゃね?
隠しスピーカーでもあるのか?
訝しんでいると、また声が聞こえてきた。
「ダイスケ君さ、悪いけどさ、当分アデレイドの体でそっちで過ごしてくれない?」
何だよ俺の名前を知ってるのか。
「そもそも誰だよあんた?」
「何を隠そう転生業務を担ってる天使!」
「何を隠そうって思い切り声以外隠してんじゃん! しかも転生業務? 天使? 冗談も休み休み言えってんだ」
「まあまあ話を聞いてよ。本当ならすぐに君には自分の体に戻ってもらえたんだけど、予想外の事態が発生しちゃってねー……ふう」
予想外? 何だか嫌な予感。
「アデレイドってば妊娠を知っておっ魂消た際に、魂が文字通りどこかに飛んでって姿を消してしまったんだ。このままじゃ抜け殻になって体は死んでしまうから、食事を摂ったりするために体を動かしてくれる臨時の代行者が必要になったってわけ。彼女はまだ寿命じゃないから死なせられなくてさ」
「だから俺の魂を入れたって?」
「その通り!」
声からすると少年天使っぽい相手は、理解が早いね~と称賛もくれたけど微塵も嬉しくない。これはあれか、よく言う異世界転生ってやつか。でも転生ってなあ……。
「ところで重要な質問なんだけど、俺まだ死んでないよな?」
「無論生きてるよ。君の本体は昼寝中さ」
「良かった……」
それを聞いて安心した。取り乱さなかったのは、異世界転生とか転移の小説を読みまくっていたおかげか、その手の不思議にちょっとはメンタルが鍛えられていたからだろう。
「え、でも俺がアデレイドの体に居る間俺の空っぽの体は? アデレイドの二の舞になるんじゃ……?」
「ああそれは平気。君の世界は魔法がないから容易に時間を止められるんだ。だから晴れて君が元の体に戻る時は昼寝の続きからって感じだから何の支障もないよ」
「その言い方だと、アデレイドの世界は魔法があるのか?」
「そうだよ。普通に魔法使いのいる魔法の世界」
「マジ物のファンタジー世界じゃんそれ……」
「ちょっと楽しみでしょう?」
「いや、こんな状況下に置かれてる時点で面倒臭い、早く昼寝に戻りたい」
「あははッ」
天使は意味なく笑った。完全他人事って考えてるのが透けて見えて腹立つな。
「大体どうして俺なんだよ? しかも男だし。普通女の体には女の魂選ばねえ?」
「ああそれねー……超暇そうだったから?」
「そりゃあね! 昼寝してましたけど!」
ホント嘘だろ、選定基準が暇度?
ああくそー寝ないで真面目に予習復習でもしてれば良かった。