1 美少女になった俺
「ふう~、今日はもう午後は講義もないしバイトもないし遊ぶ予定もないし、とりあえず寝るか。寝る子は育つって言うしな~」
午前中だけだった大学の授業を終えて帰宅した俺は、おかんが用意してくれた昼飯を食べて自分の部屋に戻ると、特にする事も思い付かずにベッドにごろ寝した。部屋の窓から覗く空は青く清く朗らかで、つまりは頗る陽気が良い。
寝転んだまま眺めていたらウトウトとしてきて、いつの間にか俺はそのまま午睡タイムに突入した。
――お、ちょうど良い所に暇な魂見っけ! ねえ君ちょっとだけ女の子の世話を頼むよ。
声変わり時期の少年みたいな声が聞こえて、覚醒と眠りとのまさに境目にいた俺の意識はそれが誰か、或いは何かを突き詰めて考える余裕はなかった。
「……女の子の世話? よくわからないけど、いいよ」
ほとんど意識が睡眠に没入していて、だから呂律もろくに回らない俺はそう答えてしまった。
――やった。じゃあよろしく。名前はアデレイド・ロジェって子だから。
ふーん、アデレイド・ロジェ。
外国人女性の名前みたいだなー。
そんな思考を最後に俺の意識はとうとう一度暗転した。
「――様、アデレイド様っ、しっかりなさって下さい! 気を確かにお持ちになって下さいアデレイド様!」
頬をぺちぺちと叩かれ、五月蠅いくらいの大声で耳の傍でがなり立てられて、俺はおちおち昼寝もできないじゃないかとイラッとしつつ薄らと目を開けた。
一体誰が俺の部屋に勝手に入って来たんだよ。おかんが入れたのか?
それにしては聞き覚えのない声だ。
視界に入ったのは案の定見知らぬ白髪の老人だった。
俺を覗き込んでいて涙ぐんでいる。白衣だから医師かその手の職業の人間なんだろう。
え、まさか俺ってば知らないうちに病院に担ぎ込まれたのか?
そんな疑問を抱いていると、俺の覚醒に気付いたその老人が安堵したような声を上げた。
「おおっアデレイド様ようやくお目覚めに! ようございました! いくらあの極悪皇帝の子を身籠ったとは言え絶望するのはまだ早いですよ。要はバレなければよろしいのですから! 私はアデレイドお嬢様の命を見捨てるなど決して致しません!」
「アデレイド? どこかで聞いた気が……」
そう言った声はアニメのヒロインの声みたいに可愛らしい高い声だった。
ん? 今俺が何か言う前に誰か喋ったのか?
内心首を傾げてもう一度声を発する。
「あのー俺今どんな状況なんですか?」
これも今と同じ女性の声だった。また誰かが俺の言いたかった言葉を言ってくれている。横にベッドでもあって喋ったのはそこの人か?
「あははそうそう俺も同じ事が訊きたくて……え?」
奇遇だよなーなんて内心軽く笑いつつも、確かに俺の声帯は振動して声を発していた。
今さっきと全く同じ声を。
「何だこれ……? 何で俺こんな声に!?」
俺も俺で確かに自分の咽から出た声だって認識できたから、余計に唖然とした。
だってどうして声変わりしているはずの俺の声がソプラノボイスになってるんだって話だろ。
「まさか俺、急に声が変わる奇病にでも掛かったのか? だから病院に?」
そう思って縋るように目の前の医師だろう老人を見つめると、彼は患者を安心させようとしてか「大丈夫ですから」と努めて穏やかな声を出した。
「子供は要らないと明言しておられた皇帝陛下に知られればおそらくは母子共に死刑は免れないでしょう。これまでもあの方は何人もの人間を処刑してきましたからね。しかしどうかご安心を。知られる前にお子を堕ろしてしまいましょう。さすればきっとアデレイドお嬢様のお命は守られます!」
「え? は? 何? さっきから人をアデレイドアデレイドって、だから誰だよそれ?」
何やら不穏な言葉を羅列して訴えかけてくる目の前の男が本当に医師なのかわからなくなってくる。
いやそれ以前にどうも俺の事をどこぞのアデレイドお嬢様だと思って話しかけて来る不可解さがどうしようもなく俺に焦りを齎した。
ん、でもアデレイド? ちょっと待てよ。
確か、夢で誰かにアデレイドって子の世話を頼まれた。なのにどうして俺をそう呼ぶんだ?
「俺のどこをどう見ればお嬢様ってやつに見えるんですか?」
「ア、アデレイドお嬢様……?」
ゆっくりとベッドか何かの上に身を起こした俺は、自分が寝かされていたのは病院の診察台なんだとわかった。白衣の老医師の困惑した姿が目に飛び込んでくる。
そしてちょうど良く診察室に置かれた縦長の鏡も。
診察台に起き上がった俺は、全く知らない少女を鏡の中に見ていた。演劇の最中にでも倒れて運ばれたのかドレス着の子を。
加えてバッチリその子と目が合っている。
しっとりしたブルネットに肌理の細かい白い肌、アーモンド形のパッチリした瞳は榛色。
ただ、顔色が悪いせいで一層色白に見えるし、唇も同様でいまいち健康的とは言えない精彩を欠いた色をしている。
うっわでもそれを差し引いたって凄く俺好みの可愛い子じゃん!
向こうも俺も互いをジッと見つめたまま視線を外さない。俺はちょっと緊張して視線を固定したまま、どうして彼女は熱心に俺の顔を見てくるのかと次第に疑問が湧いた。そのうち何だか恥ずかしくもなってきて視線を逸らして頭を掻く。
すると視界の端で少女も同じ仕種をした。
たまたまタイミングが合ったのかとは思いながらも、やや訝しく思って少女の方をまた見据えると、ばっちり目が合った。
違和感を抱かずにはいられなかった。
一連の動きはどう見ても俺を鏡合せにトレースしているようにしか見えない。
試しに腕を上げてみれば向こうもそうした。
猫だって個体によっちゃ鏡の自分を認識するんだから、人間の俺がそう出来ないわけがない。
大体にして、映り込む角度からしても最初から俺以外にはあり得なかった。ただ俺自身が非科学的過ぎて無意識にそうだと認めなかっただけだ。
だって、何で、嘘だろ、有り得ない。
どうして俺がその可愛い子になってるんだ!?