旅の始まり
気が向いたら更新。気長に待ってください。
「・・・ロ!!クロ!・・・クロ!!」
誰かの呼びかけで僕は目を覚ます。
あくびを一つして、声の方を見ると、目の前には真っ黒な衣装に身を包んだ師匠が心なしか怒った顔でこっちを見ていた。
「・・・うん?まだ暗い・・・早くないですか、師匠?」
「君、まだ寝ぼけているな?今日から旅に出るんだと言ったじゃないか」
「あれ、今日からでしたっけ・・・あはは、時間の感覚薄くって」
「はあ、まったく・・・まあ、気持ちはわかるけどな」
すぐに支度を始める。今さら師匠の前で服を脱ぐことに抵抗はない。もう覚えていないくらい一緒に居るんだから、お互いに裸なんて見慣れている。
一応ポーズとして僕から目を背けて師匠が言う。
「どうした?随分とうなされていたが」
「・・・ああ。うなされてましたか。ちょっと・・・あの日の夢を見ていまして」
僕はいつまでもサイズの変わらない服に着替えながら、師匠の言葉に答える。師匠は少しぴくりと反応を見せーーー気まずそうに「そうか」と漏らした。
「師匠。僕はーーー」
「わかっている。恨んじゃいないんだろう?あの時のぼくの選択を」
「わかってるんならいいです」
「・・・随分と師匠に向かって舐めた口をきくようになったな」
着替えて、少ない荷物をまとめて箱に入れ、少しだけ呪文を唱えて手をかざす。すると箱は僕の手の中に吸い込まれ、刺青のような模様が手のひらに生まれた。
「これくらいはできるようになりましたから」
「って、基礎の基礎じゃないか」
「もうちょっとはマシになりましたよ。・・・まあいいじゃないですか。時間はたっぷりあるんだから」
旅の準備はたった十分程度で済んでしまった。どうせ必要なものなんてそうそう無いんだから。それにーーーそもそも持っていく物は手荷物くらいだ。
「終わったか?」
「はい。行きましょうか」
「うん。じゃ、さっさと出てくれ」
「はーい」
おざなりに返事をし、靴を履いて扉から出る。師匠も無造作に家を出て、家の方に振り向いた。
「忘れ物は無いか?」
「はい」
「ま、あっても後で持ち出せばいいか・・・」
師匠は軽い調子で家に手をかざす。すると、つい十分前まで中で寝ていた二階建ての木造建築は師匠の手の中に吸い込まれた。
詠唱もない。刺青も現れない。僕と違って完璧な魔法だ。
これが、『災害魔女(ディザスター}』ヒスイの力だ。
「・・・ま、これくらいはできるようになってもらわないとな」
「無茶言いますね・・・それができる魔女がどれくらい居ると思ってるんですか」
「さあな。ま、百年後には二人になってるさ」
肩をすくめてそんなことを嘯く。相変わらず掴みどころのない人だ。
「・・・ん?」
一瞬の殺気。瞬間、僕は反射的に手を頭の前にかざした。若干の痛みの後、その手には一本の矢が突き刺さっていた。
「魔女め!!ついに見つけたぞ!!」
全身鎧に身を包んだ男が弓を持って立っている。どうやらこの男が僕を撃ったようだ。
僕は穴の開いた手を見ながら舌打ちする。
「ったく・・・何年経っても沸いて出ますねこいつらは。ゴキブリかっての」
「すまない。『認識阻害』もかけずにあんな魔法を使ったぼくの落ち度だ」
「や、それ言ったらまず僕が『認識阻害』使えないのが悪いんで・・・」
「どうだ魔女の弟子よ!!いかな貴様ら異教徒であろうとそこまでの傷を負っては痛手にもなろう!!」
男が喜びを隠そうともせず僕に矢を撃ち続ける。僕は呪文を詠唱し、風を起こして矢を流した。が、矢は僕の頬を掠める。
「私の使命はひとつ!!貴様らにほんの少しでも手傷を負わせることだッ!!ひとえに神のためッ!!」
「・・・うるさいなあ」
流石にぎゃあぎゃあうるさいので、ほんの少しだけ威圧してやる。男は動きを止め、震え始める。
「君の使命はひとつかもしれないけれど、こっちは言いたいことが二つあるよ」
ぶつぶつと呪文を唱え、男のすぐ近くを睨む。と、そこで爆発が起き、男は吹き飛んだ。もちろん当てなかったのはわざとだ。
僕はゆっくりと歩いて彼のもとに近づく。
「ひとつ。僕らは異教徒じゃない。魔法は神が僕らに与えた奇跡で、呪いだ」
「あ・・・ふ、はあぁっ!!」
「ふたつ」
男の矢を、僕はあえて避けずに顔面に直接食らう。矢が眼窩を通って脳へと到達する感覚がする。ズタズタになった脳が眼から流れ出る。
男が顔を笑顔に染める。が、それも束の間。
脳を破壊されたはずの僕は、顔に刺さった矢を抜いてなおも男に近づく。
「ふたつ。あれが痛手になるのは普通の魔女たちだけだよ」
そう言って、穴のない手を彼にかざした。
「わかったら邪魔だからどっか行ってね」
短く呪文を詠唱し、男の頭を乱暴につかむ。すると、男は世界のどこかへと飛んで行った。どこへ行ったかは知らない。ただ、一応人里には飛ばしたはずだ。記憶は消したけど。
「随分と優しいんだな」
心配するでもなくただ見ていた師匠が拍手しながら僕にそうコメントする。
「君はもっと冷徹なイメージがあったんだがな」
「ん・・・そういえば師匠の前で戦うことってなかったですね」
「なんなら人間を恨んでると思っていたよ」
「・・・恨んでますよ」
あの時の師匠の行動に思うところは全くない。むしろ師匠と居られる時間が増えてラッキーくらいに思っている。
けれど、師匠にあの選択をさせたのは人間だ。あいつらが居なければこうはなっていなかった。
あいつらが師匠から、命を奪ったんだ。
「でも、命っていうものが大切になったんですよ。自分以外のものを含めても」
「・・・それは」
「ええ。死ななくなってからです」
僕と師匠は、あの時、死という救済を捨てた。
永遠の罰を受ける咎人となった。
「・・・さ、どこへ行きましょうか」
「そうだな・・・ともかく北へ歩いて行こうか」
「移動魔法は使わないんですか?」
「そんなもったいないことしないさ」
師匠は笑う。僕も笑う。
そこが地獄でも、二人一緒だから。
「どうせ時間はあるんだからな」