約束
「今日からここが第二の咲良くんのお家だよ。咲良くんのお家に比べたら古いかもしれないけど、気に入ってくれたら嬉しいな。」
「は、い。ありがとう、ございます。」
六花と咲良が初めてあったあの日。
戸惑いながらも咲良は、六花の手を取った。
不安、困惑、疑心。
負のすべての感情が混在していたあの時、少しだけ、ほんの少しだけ希望が見えた気がしたのだ。
ほんの少しだけれど、それは確かに芽吹いたもの。
六花の家に咲良を迎え入れると決めてから怒涛の毎日だった。
数ヶ月前に父が転勤になり、狭くはないけれど広いとも言えない一軒家に、実質六花は一人で住んでいる。
だからといって咲良を迎えることに父の許可がいらないわけがない。
当たり前のことだが父の許可なしで咲良を迎えることなんで出来る訳がなかった。
むしろ父に納得してもらい、許可をもらい、父に助けてもらわなければ、あんな小さな子ども一人、六花では守ることすら出来ないのだ。
所詮自分は社会に出たばかりのまだまだひよっこなのだと痛感する。
これは自分の考えが甘かったのだと猛省せざるをえなかった。
あの時、勢いで言ったわけではない、と言ったら嘘になる。
だからといって六花の中に咲良を引き取らないという選択肢は今考えても万に一つもなかった。
そもそも咲良を抜かした木村家一家がが亡くなってしまったのは病気などではなく不慮の事故。
本来ならば咲良の成長を見守っていくはずだった彼らは、遺言書など用意しているわけがなく、
父と弁護士がいなければ、今日この日、六花が咲良をこの家に迎えることはかなわなかっただろう。
本当に父と弁護士の先生には感謝してもしきれない。
六花が咲良の手を引き、咲良の部屋から親族一同が揉めていた部屋に降りるとその怒声は矛先を六花に変えた。
六花が咲良くんを引き取ると告げたからだ。
20歳そこらを超えたばかりの子どもが口を出すなだの、子どもを育てる大変さや気苦労だの、世の中そんなに甘くないだの、言われるだろうとわかっていたことだけにうんざりしてしてしまう。
顔に出すことはなかったが、手を繋いだまま六花の隣に立つ咲良の顔色がどんどん青ざめ俯いていくのが見て取れる。
それでも六花は口応えすることなく、じっと耐えていた。
少なくとも一人の親族がある話題を投じるまでは。
「六花ちゃん、あなたの家、お父さんだけじゃない。
随分前の話とはいえあんな事故があったお家にねぇ。
こんな事言いたくないけど、やっぱりお母さんがいないと自由に育ちすぎるのかしら。
あなた達が悪いって言ってるんじゃないのよ。
でもねぇ……咲良くんに同情する気持ちはわかるけど、傷の舐め合いになるだけじゃないかしら。」
「そうよ、それにお金のことだってあるのよ。」
「ごめんなさい。それ以上喋らないでもらっていいですか?」
自分でも驚くくらい抑制のない声だった。
六花が覚えたのは激しい怒り。
自分のことは別にいい。
不快にならないと言ったら嘘になるが、何かしら罵詈雑言を受けることなどわかっていたから。
けれど父の、亡くなった母の事を馬鹿にされるのだけは我慢できない。
いや、我慢したくない。
「私は確かにあの事故があってから、父と二人生きてきました。たしかに大変なこともあったけど、私は父のおかげでこうして成人して社会人になりました。私は父を尊敬しています。きっと父は私が咲良くんを連れて帰っても話を聞いてくれる。
咲良くんを放っておいて、不都合な理由ばかり探しているあなた達と違って。」
「なっ!子どものあなたに子育ての何がわかるっていうの!?子どものくせにまだ小さいな子どもの咲良くんを引き取れるわけないでしょ!!」
「そうだ!社会に出たばかりの若造がえらそうに!」
「……子どもですか。さっきあなたは咲良くんに対して小さな子どもではないんだしと言っていたのが聞こえてきたのですが、都合の良い時だけ小さい子ども扱いするんですね。
そう、あなたがおっしゃるとおり咲良くんは小さな子どもです。私もあなた達から見れば子どもなんでしょう。それは認めます。」
「ほ、ほらみなさい!「でも!!」」
「……でも、子どもでも意思はあります。私も咲良くんも、です。咲良くんはその小さな手を私に伸ばしてくれました。私はそんな咲良くんを守っていきたいと思います。どうか見守ってくれませんか。」
そう言って六花は頭を下げる。
咲良と繋いだ手だけは繫いだまま。
手を放すどころか六花は自分でも気づかぬまま力が入っていた。
それは絶対に咲良を離さないという潜在意識だったのかもしれない。
だから咲良もまた、その痛いほど握りしめられた手を放そうとはしなかったし、握り返していた。
そうして紆余曲折あって、咲良と共に住めることになった。
咲良の心情はわからないが、六花にとって咲良は新しい家族だ。
この先、咲良が不自由なく幸せに暮らしていけるように、亡くなった咲良の家族の分まで見守っていきたいと思う。
六花の家は箱型と言えばいいのか。
木をメインとした暖かみを感じられる家だ。
亡くなった母が窓から四季を、光を感じられるようにと大きな窓がたくさんある。
二階建て、吹き抜けを中心として間仕切りが必要最低限でほとんどない。
それは亡き母の自然の暖かみと家族の気配を感じていたいという希望を父が叶えて出来たものだ。
六花はそんなこの家が大好きだった。
母と父の愛に包まれたこの家が。
だから、
「咲良くん、改めてこれからよろしくね。」
いつか咲良くんもこの家を、咲良くんのご実家の次に好きになってくれたらいいと思う。
「さて、ここが咲良くんのお部屋になります。勝手に荷解きされるの嫌かなと思ったから、引越し屋さんに頼んで大きな家具しか配置してなかったんだけど……。
もちろん今設置してある家具も場所を変えたかったら遠慮無く言ってね。」
「これで大丈夫です。ありがとうございます。」
咲良くんの部屋にと用意したのは二階に3部屋あるうちの1つ、上がって右側の角部屋だ。
どの部屋も設計上よく光の入る作りになっているが、父と相談し、男の子だし、成長っぷりを見込んでということで二階で一番大きい、8畳の部屋を宛てがわせてもらった。
「ならよかった。でも模様替えとかしたくなったら教えてね。
じゃあ私はこれからお昼ご飯を用意するから咲良くんはゆっくりしててもいいし、荷解きしててもいいからね。
あ!アレルギーとかあるかな?」
「アレルギーはないです。ありがとうございます。」
さて、記念すべき初めてのご飯は何を作ろうか。
なれない土地、なれない家、なれない人間。
なれないづくしの中、緊張で疲れているだろう。
もしかしたら食欲もあまりないかもしれない。
まだお互いの事をよく知らないのだ。
当然咲良の好きな食べ物も嫌いな食べ物もわからない。
(これからいっぱい知っていけるといいな。)
まずは食べ物からだと、六花は気合を入れると階段を降りた。
六花は冷蔵庫を開けると、玉ねぎじゃがいも、クリームチーズ、卵、ソーセージをステンレスの角型トレーに軽快に乗せていく。
それを亡き母がこだわりにこだわりぬいた、青みがかったクォーツストーンを使用した美しいキッチンの天板の上に置く。
さらに奮発して買ったちょっとお高いノンホモ牛乳を取り出す。
最後に戸棚からツナ缶とホットケーキミックスを取り出せば材料の準備は終わりだ。
まずは玉ねぎをトレーからまな板に移して頭と根っこを落とす。
切り口を下にして半分にしたら、使用する半分だけ残してラップに包んで冷蔵庫へ。
残した半分は皮を剥いたらさっと玉ねぎを水で洗う。
玉ねぎの成分は水に溶けやすいので、皮を剥く前に洗う人もいるが、私はなんとなく土汚れが付着している気がして皮を剥いてから洗ってしまう派だ。
洗った玉ねぎを半分に切った面を下にして、またまな板の上に戻し、左側を少しだけ残すように頭と根っこを切った部分を平行に細かく切込みを入れていく。
あとは繊維に沿って切っていけば簡単にみじん切りは終わった。
少しだけ目にツンとした刺激を感じるが、視力が悪くコンタクトをしている私にとって大した刺激ではなく、涙が出ることはないのでコンタクト様様だったりする。
みじん切りした玉ねぎを耐熱ボウルに入れたら次はじゃがいもをみじん切りに。
皮を向く際、包丁でも良いがピーラーの方が圧倒的に楽なのでピーラーで。
じゃがいも細かくみじん切りにしたら同じ耐熱ボウルへ入れ、軽く塩コショウを振ったらふんわりとラップをかけ電子レンジで約三分加熱する。
その間にソーセージも輪切りにトントン切っておく。
そしてホットケーキミックスの粉と牛乳、卵を箱の説明書きの分量で混ぜあわせ、その中に切ったソーセージ、クリームチーズ、ツナ缶を入れグルグルと混ぜあわせていく。
そうしてさらに加熱し終わった玉ねぎとじゃがいもを加え混ぜればタネは完成。
加熱したフライパンにバターを一欠片落とすと幸せな匂いがリビングに広がっていく。
そこへ先ほど作ったホットケーキミックスのタネを流しこめばあとは焼けるのを待つだけだ。
「待たせてごめんね。ではいただきまーす。」
「あ、……いただきます。」
ふっくらとキツネ色に仕上がった食事系パンケーキを切り分け、マヨネーズをつけたあと口に運ぶ。
少し甘いパン生地にさらに玉ねぎとじゃがいもの甘さが加わり、ツナとクリームチーズの少ししょっぱい味付けが後から効いてくる。
(うん、しっかり焼けてるし、なかなかじゃないかな?)
自画自賛しつつパンケーキが焼けるのを待つ間に作ったサラダを口にしながら、ちらりと視線を咲良に移す。
こっそり咲良を観察していれば気づいたことがあった。
パンケーキだけでは野菜不足だと、パンケーキのお皿に一緒に盛りつけたサラダに入れたある物を口に運ぶ時だけ手が止まるのだ。
それはほんの一瞬で、六花が咲良を観察していなければ気づかなかったかもしれないくらいのもの。
「……ねえ、咲良くん。もしかしてなんだけど、咲良くんってプチトマト苦手?」
「え!?あ、えっと……に、苦手じゃないです。」
「……そうなの?じゃあ好き?」
「は、はい。」
そう言うと咲良はそそくさと残りのプチトマトを口に放り込んだ。
咲良がプチトマトを食べる時、一瞬だけ止まった気がしたのは自分の気のせいだったのだろうか。
いや、確かに躊躇していたはずだ。
「そうなんだー。なら私のプチトマトも咲良くんにあげる。」
六花はカマかけ半分、意地悪半分で自分のお皿を咲良の方に差し出す。
まさかそんな返答が来るとは思わなかったのか咲良の顔が明らかに歪んだ。
けれどそれもまた一瞬で、取り繕ったように六花の皿からプチトマトを貰おうとするものだから六花は笑いが止まらなくなる。
「ふふ……、アハハハッ!ごめんごめん!冗談だよ。本当はプチトマト嫌いなんでしょ?」
「え!どう、して。……どうしてそう思ったんですか?」
「だって咲良くん、プチトマト食べる時だけ一瞬手が止まるんだもん。嫌いなのかな、って思うよね。」
「……じゃあ六花さんは僕が嫌いだとわかったのにプチトマトを勧めてきたんですか。」
「そうだよー。咲良くんが本当の事言ってくれなかったのでカマかけてみました。」
「……六花さんて意地悪ですね。」
「ふふふ、そうなの。六花さんは意地悪なの。意地悪してごめんね。」
「……………別に怒ってないです。」
少しだけ耳を赤くして俯いた咲良を六花は純粋に可愛いなと愛しいと思う。
会ったばかりの六花でそう思うのだ。
咲良の家族はもっともっと、彼のことを可愛いと愛しかっただろうし、咲良の成長を愛したかったはずだ。
だからこそ六花は咲良にあるお願いをすることにした。
「咲良くん、お願いがあるの。」
「お願い、ですか?」
「うん、お願い。お願いというよりは咲良くんと仲良くなりたい私が作る約束事というかなんと言うか……。」
そして六花が提示したのは5つ。
「今みたいにね、苦手な物を好きなフリしないでほしいの。苦手なら苦手でいいんだよ。食べ物だけじゃなくて他の苦手なことも。」
【その1 遠慮するための嘘はつかない】
「これはその1のお約束に似てるけど、気持ちを我慢しないでほしいんだ。辛いことがあったら隠さないでほしい。もちろん楽しいこと、嬉しかったこと、寂しかったことも。
言いたくないことは仕方ないけど、それで咲良くんが我慢しなきゃいけないとしたら私が嫌だから。」
【その2 気持ちを我慢しない】
「あとね、これからきっと何度も咲良くんと喧嘩することもあると思う。
でも絶対にこの家に帰ってきて一日の終わりには顔を見せてほしい。あ!お友達の家にお泊りとかは別ね!」
【その3 この家に必ず帰ってくること】
「そしてね、咲良くんが私に腹が立って口を利きたくない時でも、どんな時でもおはようとお休みの挨拶だけは必ずしてほしいの。
もちろん私もどんなに仕事が忙しい時も咲良くんに挨拶する!」
【その4 どんな時でもお互いにおはようとお休みの挨拶をする】
「あとね、これがめちゃめちゃ大事な約束なんだけど……。」
「なんですか?」
「咲良くんってお父さんやお母さん、妹さんの前でもその言葉遣いだったの?」
「……どういう意味ですか?」
「家族の前でも敬語使ってたってこと。」
「使ってない、です。」
「じゃあ私にも敬語禁止!!」
「え!無理です!だって……。」
「『だって』なに?もしかして私とは家族じゃないからって言いたいのかな?」
「そう、です。だって六花さんは僕の家族じゃない。六花さんは行くところのない僕を、やっかいな子どもを引き取ってくれた人だから。」
「それ本気で言ってるの?」
「……ごめんなさい。」
そう言うと咲良は完全に俯いてしまった。
咲良は完全に自分の発言に六花が怒ってしまったと思っているが違うのだ。
六花が怒っているのはそう思わせたまま、この家に咲良を迎えてしまった自分に対してのものだ。
「咲良くん。私ね、咲良くんのことやっかいな子どもだと思ったこと一度もないよ。
咲良くんがお家に来てくれたらもっとこの家が楽しくなる、そう思ったから咲良くんにこの家に来て欲しかったんだよ。」
「……そんなの嘘です。」
「噓じゃないよ。咲良くんがこの家に来てくれるって決まってから毎日が楽しくなったよ。早く来てくれないかな、咲良くんはどんなこと好きなかなってずっと考えてた。」
「……うそだ。」
「このパンケーキもね、咲良くん好きかな?美味しいって言ってくれるかなって思って作ったんだよ。」
「うそだっ!!!!!」
「噓じゃないよ。」
「うそだ、だってみんなオレのこと厄介だっていらないって言ってた!」
「私は言ってない。だってそんな事思ったことないもん。」
「う、うそだぁ……!だって、だって……。」
ひっく、ひっくと。
嗚咽混じりに涙を零す咲良を愛しくないわけがなかった。
気づいたら六花は咲良の座る椅子の横に移動し、咲良の目線に合うようしゃがみ咲良の両手を包み込んでいた。
「咲良くん、私は咲良くんのお父さんにもお母さんにも妹にもなれない。でもね、これは私が勝手に思っていることだから言うつもりなかったけど……。
同じ家で毎日挨拶して、ご飯を食べて……咲良くんはこの関係ってどう思う?」
「か、ぞく……?」
「そう、家族だよ。家族にはなれるんだよ。だからね、敬語禁止ね。」
「……六花さん、オレね、本当はプチトマト嫌い。」
「そっか。」
「あとグリンピースも。」
「そうなの?でも好き嫌いを無くすためにご飯には出すよ。」
「……六花さんって意地悪だね。」
「そうなの、六花ちゃんは意地悪なの。」
「…………六花ちゃん、パンケーキ美味しいよ。作ってくれてありがとう。」
泣き腫らしたしていたし、少しだけ照れ臭そうにしていたけれど、この日咲良は初めて六花の目を見て笑った。
【その5 家族に敬語を使わない】