文化祭⑦
皆が永久の方を見る。多分、僕も含めて誰も永久の言ったことをきちんと理解出来ていない。
「どういうこと?」
彩音は不快感を顕にしながら尋ねる。
「そのまんまだよ。黙ってるつもりだったけど、まだ彩音も気にしてるみたいだしな。ずっとビビらせるのも悪いと思って」
「誰なの!? 早く言いなさいよ!」
永久は深呼吸をして僕達をじっくりと見渡す。
「私だよ。本当に悪かった! あの時はどうかしてたんだ!」
永久は頭を下げながら、自分だと告白した。誰かを庇っているのだろうか。永久がサクシを活動休止させてメリットがある訳がない。それは永久にとって最悪な結果のはずだ。
「本当に永久なんですか? 誰かを庇っているなら正直に言ってください」
千弦も同じ事を考えていたらしい。これは、あまりに永久らしくない行動だったからだ。
「私だよ。ほら」
永久は携帯を取り出して何か操作している。画面に出ていたのは、脅迫犯のメールアカウント。送信ボックスにはこれまで届いた脅迫メールと同じものが入っていた。
もう誰も疑いを持たない。永久が脅迫犯だった。
「なんで? なんでこんなことしたの!? 怖かったんだよ!?」
奏が激高する。永久も申し訳無さそうに小刻みに体を震わせている。
「あの時は……疲れてたんだ。ツアーのスケジュール管理からグッズから何から何までやってたから。不意に、なんで毎日寝ずにこんな事やってるんだろって思っちゃって、気づいたらあのメールを送ってた」
実際、ツアー中に倒れるまで永久の体は追い込まれていた。活動が止まれば、永久も楽になれる。そう考えたのだろう。脅迫を受けて永久は活動を抑えめにしたがっていたので話も通る。
脅迫犯の要求は、解散や金銭的見返りではなく活動休止だった。少し時間を空けて休んだら永久も活動を再開するつもりだったのだろう。
「奏吾が入った後のライブの打ち上げでもう止めたいって言ったろ? 皆に反対されて、皆に必要とされてるのが嬉しくて、あんなメールを送った事を後悔したよ。本当に辛かったけど、嬉しかったんだ。私がやって来たことは皆のためになってたんだって」
永久は腹にためていたことを吐き出せてホッとしたのか、裏切っていた事を後悔しているのか、すすり泣きを始めた。
「千弦や奏吾がツアー中に言ってくれたおかげで、負担は軽くなったからもう大丈夫だよ。あんな事をして今は本当に後悔してる。本当に……何であんなこと考えてたんだろうなって思ったよ」
五人で乗った船を永久が一人で漕ぐ。腕が悲鳴を上げたら脚を使い、脚が悲鳴を上げたら顎を使う。顎が悲鳴を上げる頃には腕が回復しているので、また腕を使って漕ぐ。そんな自転車操業をしている間に精神がすり減ってしまった。
そんな痛々しい様子が見えてくるようだ。でも、それは全て過去のことで今とは違う。今の永久はいつも晴れ晴れとした顔をしているのだから。
「で……でも、ライブ中の写真は? どうやって撮ったの?」
奏が尋ねる。
「お兄ちゃんだよ。お兄ちゃんも脅して協力させてたんだ」
恭平はライブ中でも会場を動き回る事ができた。ライブ中のステージを撮った写真は永久に言われて撮らされていたのだろう。恭平の性格的に安易にこんな事に協力するとは思えないし、よっぽどなネタで強請られたのだろう。
「そこまでするなら、最初から相談してくれれば良かったじゃない! いくらでも手伝ったのに!」
彩音は尚もヒートアップしている。奏は泣いているし、千弦は下を向いて話に入ってこない。
「出来なかったんだよ。永久ってなんでも素直に言えるように見えて、意外と溜め込むんだ。それがツアー中に倒れる事に繋がったんだから。相談出来てたらあそこで倒れてないよ」
ツアー中にフェスで野宿をした時、永久と二人で話した。永久は溜め込んでいたと素直に言ってくれた。あの日まで、永久はずっと一人で抱えんで、苦しんでいたはすだ。
「アンタ……永久の味方な訳!? こんなのないでしょ! 裏切りよ!」
彩音が僕の方を睨む。
「もちろん味方だよ。というか永久の敵はここにはいないよね。みんな味方のはずだよ」
彩音がハッとした顔で僕を見てくる。多分、皆が感じていた恐怖感と僕の感じていた恐怖感は同じじゃない。僕は後から入って話を聞いただけだからだ。
一発目のメールを見た彩音、奏、千弦の恐怖は僕の比では無かったと思う。だからこそ、僕がいち早く永久に寄り添わないといけないと思った。
「現在進行系で脅迫が続いてるならさすがに僕も許せないけど、結局メールが来たのは僕の加入後の初ライブの時が最後。そこからは何も来てないよね。永久の一人で何でもやろうとする強さも、ふとした時に折れそうになっても周りを頼れない弱さも、どっちも過去の物だよ。今の永久は違う。僕達を頼ることを覚えたんだから」
「そうだけど……どんな顔をして横で見てたのよ。部室で、楽屋で、私達が怯えてる時」
勝手な想像だけど、みんなが戦々恐々としている姿を見て心を痛めていたのだろうと思う。絶対にほくそ笑むような事はしていないはずだ。ここで苦しそうに真実を話す永久を見ていると、そんな風に思えてならない。
一時の気の迷いとはいえ、仲間を裏切るような事をしたのだ。そして、その事も言い出せずにずっと一人で罪悪感を抱え続けた。
夏休みの練習中に「脅迫犯の事はもう気にするな」と永久が言っていたことを思い出す。出来る事なら、皆このまま忘れ去ってくれと思っていた事だろう。誰も気にしなければ永久が一人で墓場まで持っていけば良いだけの話なのだから。
「一緒に怯えてたんだよ思うよ。永久だってイタズラでこんな事をした訳じゃないんだから。皆の事を一番に考えてる永久の事だから、バンドの仕事よりも自分が脅迫犯だってことを隠し続ける方が余程辛かったはずだよ」
彩音が僕を睨みつけてくる。彩音にとっては生活の糧、生命線。永久はそんなサクシを壊しかけたのだから、彩音の怒りも当然だろう。
永久は少し落ち着いたようで、息を大きく吸っている。
「奏吾、ありがとな。皆、本当に悪かった。あの時はどうかしてたんだ。疲れ果ててた。本当に、切っ掛けはそれだけだったんだよ。どんな罰でも受ける。バンドを首にしてくれてもいい。もう、私となんて一緒に出来ないよな」
永久も永久だと思う。抜けろと誰も言えないのを知っていてこんな事を言うのだから。永久が抜けるということは実質サクシの解散だ。リーダー抜きのバンドを誰がまとめるのか。
「っ……それはズルいわよ。そんなこと出来るわけないじゃない。他の誰があの無茶苦茶なギターソロを弾けるのよ」
彩音はまだ怒っているみたいだ。それでも、永久無しでバンドは成り立たない事を分かっているので、脱退を認めない。
「私は……許します。これも自分達の振る舞いのせいなんですよ。永久が苦しんでいた時に、のほほんと車で昼寝をしてたんですから」
千弦はずっと自分たちのせいだと言っていた。口には出さないけど、僕も含めてそういう側面もあると思う。無理矢理永久から仕事を奪う事も出来たのだ。それをせずに、永久に甘えていたから、なあなあで永久のワンマン体制が続いてしまった。
「結局、一人で抱えて爆発しちゃったって事だよね。すごく分かるよ、その気持ち。永久……今までっていうと変だけど、ごめんね。ずっと助けられなくて」
自分の事はずっと一人で抱えんでいた奏が言う。でも、奏や永久だけでなく他の皆もそうなのだ。彩音も千弦も、僕も。仲間だなんだとは言うが、やっぱり言い出せない悩みもある。
誰からともなく永久に近づき、彼女を抱きしめる。これまでの辛さも、永久のした事も、全てを皆で共有して薄めていくようだ。
僕は男なので気を使ってその輪には入らなかったが、彩音が僕の腕を取ってその輪に引っ張り込んでくれる。
永久が落ち着いて来たところで、皆が永久から離れた。
脅迫されていたとはいえ実害があった訳ではない。警察沙汰にもなっていない。この場で全員が納得して、永久を許せばそれで終わりの話だ。もう誰の顔にも怒りは残っていない。後悔と安堵だけだ。
「じゃ、皆、永久のことは許すって事かな」
「あ、ちょっと待って下さい。何もなしは流石にケジメが付かないので、何かしませんか?」
「何か?」
千弦の提案は曖昧だけど、何か嫌な気配を漂わせる。
「何かです。何か、罰ゲームをしましょう」
千弦はニッコリと笑い、そう言った。
千弦の言う「何かの罰ゲーム」は今日の打ち上げと一緒に千弦の親の店でやる事になった。
体育館では、永久の同級生が短期留学の報告会をしていた。ドイツにまで行っていたらしい。校舎が昔の城を再利用しているらしく、ファンタジーゲームの世界に住んでいるような写真ばかりだった。
結果発表はぬるりと行われた。生徒からすれば演奏こそ楽しみであれど、結果はどうでもいいからだ。
「おう。おめでとう。勝ったぞ」
勝田さんが集計結果が書かれた紙を持ってきた。投票数は、僕達が850票、トワイライトが833票だった。
「うわ……めっちゃ僅差じゃん。あぶねー」
永久が髪の毛をかきあげながらそう言う。インパクトが強すぎて、お互いに最後の曲で勝負をしたようなものだった。
ダンサブルで楽しめる、それでいて全員のテクニックも分かりやすく誇示できたトワイライト。
奏の紡いだメロディとピアノの一本足打法だった僕達ことスキャット。
「まぁ……あの曲を出されたらね。勝てただけでも良しとしようか」
奏はこの結果を粛々と受け入れている。サクシのメンバーというネームバリューも何もない状態での平等な評価。むしろそういう面ではトワイライトより少しだけ不利。その状況でイーブン以上に持っていけたのだから、確かに僕も満足だ。
だが、その気持ちはアンケートを見てすぐに翻った。
『二つ目のバンドはメロディだけ』
概ね僕達への感想は「泣けた!」というものがほとんどだった。その中に一つだけあった「メロディだけ」、つまり他はそれほどでもないという感想。それでも投票は僕達の方を選んでくれているので、ツンデレなのだろうか。
何にせよ、誰が書いたのかは分からないが、そういう評価を下す人もいた。これが僕達の心に火をつけた。
「おい……これ……マジかよ! そりゃバラードだし私達は引き立て役だったけどさ」
永久が同じ文言を見つけてショックを受けている。
「まだまだ精進しないといけませんね」
「当然でしょ。インディーズで私達くらい売れてるバンドなんていくつもあるんだから。そこから頭何個も抜けないとメジャーなんて有り得ないしね」
周りに比べて頭いくつ分も下がっている彩音が意識の高いことを言う。けれど、それが現実なのだ。僕達がいくら思いを込めたところで本物のプロへの刺さり方はあの程度。それが今の限界だと、痛いほどに実感した。
「ま、今後の事は追々だな。演劇でも見ようぜ」
永久が明るく話を切り上げる。厳しい意見にぶつかっても暗くならずに前向きでいられるのは、やはり永久がいるからだろう。
そこからは、何事もなかったかのように五人で生徒の集団に合流して、演劇を楽しんだ。
かなりお笑いテイストな劇で、皆、わだかまりなんてこれっぽっちも無いような笑顔で見ていた。




