文化祭②
教室に着くと、なんだか入り口付近に人だかりができていた。揉め事だろうか。
「ねぇねぇ。何かあったの?」
奏が近くにいたクラスメイトに訪ねる。
「変なお客さんが来たの。哺乳瓶で飲ませてくれるって聞いたのに、話が違うって怒ってるんだ」
どうやらとんでもない変態を招き寄せてしまったらしい。
奏と彩音も苦虫を噛み潰したような顔をしている。それでも、奏を先頭に人だまりの中に分け入っていく。
真ん中では日山さんと熊谷さんが、クレームをつけているであろう人と言い合いをしていた。二人ともきちんと責任者としてクラスメイトを守っていたようで、少し見直してしまう。
「だから、そんな店じゃねえってんだろ! 自分で飲むんだよ!」
「い……いや。下で言われたんですよ。銀髪の男子生徒に。ここは裏オプションで生徒が飲ませてくれるって」
銀髪の男子生徒。そう言いながらその変態は襟足を触っていた。そのあたりが銀色になっている生徒には一人だけ心当たりがある。厳密は男子ではないのだが、今日だけは男子生徒と見間違えられても仕方がない。
「多分、永久だよね」
「そうだね。やってくれたなぁ」
知り合いのせいでクラスメイトに迷惑をかけてしまったので、僕たちで事態を収拾する他ないだろう。奏が前に進み出る。
「すみません。ここの出し物の代表をしている者なのですが、そういうオプションは限定なので秘密にしてもらいたいんです。他の人に黙っていて貰えるなら対応しますよ」
明らかに間違えているクレーム対応だ。なぜありもしないオプションをあると言い張るのか。奏は僕の方を向いて指さす。
「この女子生徒が対応します! ミスコンに出ているのできっと満足して頂けますよ」
奏の悪いところが出た。男の僕を女子だと言い張って、哺乳瓶プレイをさせるつもりなのだろう。
奏に近づいて耳打ちする。
「ちょっと! 何で僕がやることになってるの!」
「いいんだって。こういう奴らは懲らしめないと分かんないんだから。あ、声は出さないでね。彩音の声で騙すから」
ニヤリと笑うと奏は変態を引き連れて教室の中に入っていく。更に幕で仕切られた調理用のスペースの中に変態を連れていき、一般客とは別扱いという雰囲気を醸し出す。
とにかく周りからの目線がキツイ。クラスでは目立たない部類の男子が女装をしているだけでも相当キツイ状況なのに、男に哺乳瓶で飲み物を飲ませるのだ。こんな地獄絵図があるだろうか。
やたらと周囲から写真を撮られている音がする。これ以上僕を辱めないで欲しい。
だが、逃げる訳にもいかないので奏に続いて彩音と一緒に調理用スペースに入る。そこには目隠しをされた変態が立っていた。
奏の指示で広いスペースを取り、そこに正座をする。
「お待たせしました。このまま寝転がってくださいね」
変態は奏の合図で僕の膝に寝転がってきた。変態が僕の脚に顔を擦り付けてくる。なんだか鼻息も荒い。虫唾が走る思いだ。アイマスクをしているので僕が男だとは微塵も思っていないらしい。
「ど……どうですか?」
僕の背後から彩音が声をかける。
「最高です。高校生の太もも、良いですね」
彩音の方を向くと嘔吐をする仕草をしていた。僕も同じ気持ちだ。この変態、メンタルが強すぎる。
そのまま口に哺乳瓶を咥えさせる。唇もそうなのだが、微妙に剃り残された髭が上下に動いているのが見ていて辛い。
この人は今、女子高生の太ももの上で、哺乳瓶でミルクティーを飲ませてもらっていると思っているのだ。この後の展開が分からない。奏はこのままこの変態を満足させて帰らせるのだろうか。さすがにそんな訳はないか。
「ミルクティー、美味しいですか?」
奏の指示で彩音が話しかける。
「美味しいです。手作りですか?」
「いいえ。出来合いですよ」
彩音は変態を冷たくあしらう。それなら話さなければいいと思うのだが、奏が彩音を後ろから突いているので、上げるだけ上げておいて最後に落としたいのだろうという事を察する。
十分くらいで哺乳瓶の中にあったミルクティーが無くなった。それでも変態はまだ吸い続けているのでズォォと嫌な音がする。
「はい。終了です」
横で動画を撮っていた奏が終了の合図を出す。
奏は変態を起き上がらせてアイマスクを外させる。同時に僕の帽子も取ってきた。
「残念でした! 実は男子生徒だったんですよぉ。これに懲りたらいちゃもんとかクレームは止めてくださいね。皆迷惑してたので」
変態はニヤリと笑う。
「知ってましたよ。男子高校生の太もも、最高でした」
それだけ言うと駆け足で教室から出て行ってしまった。奏と彩音と目を合わせる。二人とも僕の方を無表情で見てくる。
「ま、まぁ……女子が被害に遭わなかったから、良いのかな……」
「アンタ、いつもこういう役回りになるわよね」
「奏吾くん、元気出して。良い太ももだったってさ」
二人が僕の背中をさすって慰めてくれる。あの変態は、僕が男だと知っていて僕の太ももを堪能していた。自分が性的な目で見られるという事がこんなにキツイものだとは知らなかった。なんとも言えない恐怖感で心が満たされる。
二人に傷を癒してもらっていると、日山さんと熊谷さんが入ってきた。
「あの……和泉さん、須藤君、の、則竹さん。本当にありがとう! 私たちじゃ絶対に振りきれなかったよ。須藤君、体を張って助けてくれてありがとう。助かったよ」
日山さんが頭を下げると同時に熊谷さんも頭を下げる。なんだかここまでしおらしい二人は新鮮だ。あまり絡むことはないが、クラスではいつも明るかったので、変態の対応が余程嫌だったのだろう。
「ふ、二人とも、気にしないで! 奏吾くんも楽しんでたからさ。ね!」
楽しんでいた訳ではないけれど、もとはといえば永久が蒔いた種なので僕も奏に話を合わせる。
「ほんと……怖かったんだ……いつ手が出てくるかも分かんなかったし……」
熊谷さんが泣いている。女子高生にここまでのトラウマを植え付けた変態は許せない。
「元気出して。あんなの気にしたらダメよ。気にするほどあいつらの思う壺なんだから」
彩音が熊谷さんの背中をさすっている。少し戸惑いはあったが二人は彩音の名前を呼んで感謝していた。彩音からも歩み寄ろうと思ったのだろう。
ひとしきり、熊谷さんが落ち着くまで彩音が背中をさすり続けた。
「そういえば二人とも彩音に冷たかったよね。何でだったの?」
このタイミングしかないと踏んだのか、奏がアンタッチャブルな話題に切り込む。僕もそれは気になっていた。
「いや……その……海斗が……」
日山さんが言いづらそうにしている。
「海斗? 野呂君?」
奏が言葉を誘い出すように聞く。
「海斗が則竹さんの事、気になるって言ってたから嫉妬してたの。日山って海斗の事、中学の頃からずっと好きだったから。本当にごめんなさい! 則竹さんに当たっても仕方ないって分かってたのに。どうしても気持ちが収まらなくて」
熊谷さんが日山さんの言葉を代弁するように告白する。二人とも涙を流している。軽い気持ちで始めたのだろう。彩音も特に文句は言わないからエスカレートしていった。そんなところだろうか。
熊谷さんの言葉は僕にも突き刺さる。僕も同じことをしたのだ。蓮に対して。またその時の事を思い出して自己嫌悪に陥りそうになる。
「大丈夫だよ。気にしてないから。私からすれば野呂君って誰ってくらいだし大丈夫だよ。絶対に日山さんの事、振り向いてくれるから」
彩音は次は日山さんの背中をさすっている。雨降って地固まる、であればいいのだが。蓮もこんな風に許してくれるのだろうか。
「則竹さん、ごめんね。本当に、ごめんなさい」
日山さんは彩音の頭を抱きしめながら泣いている。身長差、というか彩音の小ささがなんともコミカルな絵面にさせていた。
そこから奏と彩音の三人で校内を回っていると、すれ違う人が次々と振り返ってきた。奏は自分のせいだと言っていたが、明らかに僕が異質な存在だっただけだろう。
夕方、校内放送がかかる。
『ミスコンとミスターコンの結果発表を行います。出場者の皆さんはステージに集合してください』
遂に結果発表だ。一位になるつもりはないけれど、出た以上は結果が気になってしまう。奏も僕以上にソワソワし始めた。




