残暑④
カラオケはあくまで奏のボーカルレッスンという建前だったのだが、カラオケの部屋に入ってすぐに、奏の上手すぎない歌声が高校生バンドには丁度良いのでガッツリと練習はせずに今のままで行くことになった。
そのため、普通に友達同士でカラオケに来た様に皆で歌い始めてしまい、ただ遊んでいるだけの空間となってしまった。なぜ皆、こういう時はみんなで盛り上がる曲を選ぶ事ができるのに、バンドの演奏となると自分の趣味を全開にするのだろうか。理解に苦しむ。
三時間くらい盛り上がったところでフリータイムが終了した。夏休みなので同じような高校生でロビーはごった返している。
永久はバンドスコアを買って印刷する件はすっかり忘れてしまったらしい。持って帰っても無駄な紙が増えるだけなので誰もその事には触れない。
「じゃ、次に会うのは新学期だな。また会おう!」
永久が締めの挨拶を始める。ぬるっと解散すればいいのだが、帰路につくと本格的に夏休みの終わりを意識してしまうので帰りたくない気持ちもある。
「そうですね。また会いましょうね」
千弦は夏休みが終わることに特に負の感情はないらしい。いつものようにニコニコしている。
「歌、練習しとかないとなあ」
「奏は気にし過ぎなのよ。初ライブの千弦を思い出しなさいよ。あれに比べたらマシだって」
「彩音。その話は封印したはずですよ」
千弦にしては珍しく頬を膨らませて注意している。そんなにひどい事故だったのだろうか。
「何があったんですか?」
「奏吾君。知らないほうがいい事もありますよ」
千弦の笑顔の質が変わる。所謂、目が笑っていないタイプの笑顔というやつだ。目を逸らしてこれ以上は何も言わないと態度で示す。
「後でこっそり教えてやるよ。じゃあな」
永久が集団から一番に抜けて去っていく。
「私も失礼しますね」
「私も帰ろっと。奏吾くん、彩音、またね!」
千弦と奏もロビーから出ていった。僕と彩音が取り残されている。僕も帰ろうとしたところで後ろから肩を掴まれた。振り返ると、彩音が懸命に腕を伸ばして僕の肩を掴んでいた。
「奏吾、どうせ暇でしょ。ちょっと付き合いなさいよ」
前にも一度言われたことがあるセリフだ。お一人様一つの何かを買いに行くのだろうと思い、黙って頷いた。多分、卵だろう。
やってきたのは激安食材を追い求める人が集うスーパーではなかった。ここはアニメグッズの店だ。入口で彩音が僕の方を向く。
「中では自由行動は禁止ね。ずっと私の側にいること。でも私を触ったらぶっ殺すから」
殺害予告まで飛び出した。通報すれば彩音をしょっぴいてくれるのだろうか。暇人扱いされて、挙句の果てには飼い犬のように買い物に伴走しろと言われているので少し腹も立つ。だが、こんなところに来るのは初めてなので、これも人生経験だと思ってグッと言葉を飲み込んだ。
彩音の後について入店する。中は僕の背と同じくらいのアニメキャラの立て看板がズラッと並んでいた。右も左も異世界でキョロキョロと首を振って見渡してしまう。
「はぁ……何してんの。横を歩きなさいよ」
彩音がグッと僕の手を引いてくる。僕から触るのは命に関わるが、自分から触るのは問題ないらしい。指摘するとまた怒られそうなので何も言わないけど。
嫌々に散歩に連れてこられた犬のように彩音の半歩後ろをついて歩く。彩音はキーホルダーやら漫画を手にとっては首を傾げる。財布の紐の固さはいつも通りのようだ。
だが、あるゾーンについた途端、彩音の目の色が変わった。『鉄道男子』のグッズが並んだコーナーだ。日曜の朝に放送しているアニメで、鉄道を擬人化し、社会風刺の効いたストーリーで年齢関係なく男人気の高いアニメだ。
彩音は新作と書かれたポップがついたグッズを小さな手で一気につかみ、ポンポンとカゴに放り込んでいく。これまでの倹約モードとはまるで違う姿に驚かされる。
「あ……もしかして弟の分?」
「へっ!? そ、そうよ! みんな好きだからたくさん買わないといけないのよ。困っちゃうわよね。私は、全然、これっぽっちも好きじゃないんだけどね!」
よく見ると同じ商品を五個ずつカゴに入れていた。彩音の弟は四人のはずだ。残り一つが誰の物なのかはすぐに察したので何も言わないことにした。なんなら、本当に弟達は皆して『鉄道男子』が好きなのかも怪しい。
彩音は『鉄道男子』のグッズをカゴに入れるとそそくさとレジに向かう。
会計を済ませて一緒に出口の辺りまで来た。結局、僕が連れてこられた理由が分からない。
「彩音、別に僕っていなくても良かったんじゃないかな……」
「何でそんなメンヘラみたいなこと言ってんのよ。キモ」
「そうじゃなくて。横についてウロウロしてただけだし」
「あぁ。あれよ」
彩音が視線を送った先には仲良さそうに話す男女四人組がいた。
「友達同士なのかな?」
「ナンパよ。この前、あいつじゃないけど、店の外までついてこられたのよ。キモいし怖いし口は臭いし最悪だったわ。奏吾は役に立つことが分かったからこれからも連れてきてあげる」
僕は飼い犬もとい番犬として連れてこられたということか。彩音の謎の上から目線も気になるが、何よりあの男のナンパに引っかかる人がいることに驚く。
目の前にいるナンパ男はお世辞にもカッコいいとは言えない。あばた面、プリンになって久しいであろう茶髪、生気のない目。それでも服装だけはいっちょ前にV系だ。あれを見ると、海斗や蓮は似合うように努力していたことが分かる。
「弟って一緒に来てくれないの? ほら、玄樹君だっけ。中学生だけど体格良かったじゃん」
「中学の同級生に見られてから一緒に来てくれなくなったの。恥ずかしいんだってさ」
気持ちは分からないでもない。僕も親と一緒に出かける事が恥ずかしいと思う時期もあった。
多感な中学生が姉と仲良くアニメグッズを選んでいる姿なんて見られたら、次の日に学校で大いにいじられる事に耐えられないだろう。
「じゃあ、その服装を変えたらいいんじゃないかな……」
彩音の趣味なので仕方ないが、低身長ロリ体型にツインテールに加えて、服装もニーハイや姫系のフリフリの服を好んで着ている。何となく、そういう人達を寄せ付けそうな格好だ。
「はぁ!? なんで私が変えなきゃいけないのよ。好きで着てるだけで何も悪い事はしてないじゃない。悪いのは人の気持ちを考えずにズケズケと話しかけてくるアイツラでしょ」
正論なので何も言えない。彩音は合法的に売られている服を購入して着ているだけなのだ。ただ少しばかり似合いすぎているだけだ。
僕の一言でスイッチが入ってしまったのか、そこからも彩音はブツブツとナンパ男の文句を言い続けている。適当に聞き流しながらバスターミナルがある駅前に向かって歩く。日は傾いたものの、暑さは一向に和らがない。
「あれぇ? 則竹さん? うわ! しかも横にいるの須藤君じゃん。え、待って待って。まさかデート中だった? ウケるんだけど」
横から大きな声で話しかけてきたのは、同じクラスの女子だった。確か、テスト勉強をしている時に彩音に本を押し付けようとしていた人達だ。
嫌な人に会ってしまった。彩音もブツブツと話していたはずなのに、黙りこくって下を向いてしまった。




