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8.戦場に胡蝶舞う

「退却ぅー!! 退却ぅーっ!!」


 左翼の副部隊長は丘の上で振られる旗の動きを確認し、そう叫んだ。モーフィルが死に、彼が代わりに左翼の指揮を担当しているのだ。

 副部隊長の命令により、戦場で乱戦を繰り広げていた傭兵たちが一斉に撤退を始める。一部の者は逃げきれずに囲まれて犠牲となるが、それでも多くの兵士たちは二つの塊に別れて退却を開始した。もちろん、屍食鬼たちはこの機を逃すまいと追撃を始める。

 と、二つに別れた傭兵たちの間から、土埃を上げながら何かが近付いてくる。

 もしこのとき、屍食鬼たちに感情があったなら、驚きに目を見張っていたかもしれない。


 退却は偽装だった。土埃を上げる何かは、死者の軍団へと一直線に向かってくる。

 それは、魔法により赤や白の光を放つサーベルを手にした、胸甲騎兵の一団であった。




「突っ込みます!!」


 (やじり)を組んで駆ける騎兵たちの先頭で、トリスは叫んだ。ナイフに纏わせたエーテルの刃をロングソードの形に収束させ、それを高く掲げる。


「ウォオオオオオ――――!!!」


 騎兵たちの雄叫びがそれに応えた。偽装退却をしていた歩兵たちも、彼女の姿を確認して声を上げる。

 トリスの翡翠色の瞳が、先頭で傭兵を追撃していた屍食鬼の一体を捉えた。直後、すれ違いざまに輝く白刃がその首を刎ね飛ばす。

 その勢いのまま、五十騎の胸甲騎兵が死者の隊列に真正面から突っ込んでいった。


 騎兵たちは敵を容赦なく轢き殺し、あるいは馬の上から魔法の属性を与えられた長剣で串刺しにする。何体もの屍食鬼が倒れ伏すか、魔法に灼かれて灰となり消えていった。その間に、歩兵たちは後方で陣形を整えている。

 だが、屍食鬼もただ黙ってやられているだけではない。恐怖を持たぬ兵士たちは密集し、肉の壁を作った。

 トリスは、そんな一つの塊となった敵兵士の中に突進する。馬の身体が何体もの屍食鬼を弾き飛ばし、踏み殺す。しかし、死者の兵隊は恐れることなく次々と周りに集まってきて、彼女の突進の勢いを殺した。

 そして屍食鬼たちの圧力に、遂に馬の足が止まる。


「こ、このっ……!」


 トリスは周りに密集する屍食鬼目掛けて、手当たり次第にロングソードを振り下ろした。だがそれでも、もはや一つの群体と化した相手はまるで怯まない。

 見れば、周囲の騎兵たちも屍食鬼たちの肉の壁に止められている。


「きゃっ!」


 突然、硬い何かがトリスの額を打った。流れる血を払えば、屍食鬼たちの投石による攻撃が始まっている。背の高い騎兵は、脚さえ止めてしまえば飛び道具の恰好の的なのだ。

 トリスは飛んでくる石礫(いしつぶて)から、両腕で頭部をかばった。馬も投石を嫌がって暴れ始めている。


「仕方ないですねっ……!!」


 馬から振り落とされる寸前、トリスは咄嗟に全身に仕込まれた蝶の翅に魔力を通す。都合三十六枚の翅を魔力が繋ぎ、それを触媒として身体強化の魔法が発現した。

 馬の背を蹴って跳び上がると空中で身体を捻り、着地ざまに屍食鬼の首を二つほど斬り落とす。それから、殺到する死者の軍勢に向けて真っすぐに(きっさき)を構えた。

 新たにサーベル程度の長さに収束し直した光の刃が、瞬く間に三体の屍食鬼を灰に変える。そのままトリスは蝶が舞うような動きで、迫りくる敵を手当たり次第に斬り伏せていった。

 身体強化は、あくまで全身の筋力を強化し操作するだけの魔法。剣の技術が上乗せされるわけではないが、今のように雑兵を切り刻むにはお(あつら)え向きの力だ。魔法で筋肉を操作する仕組み上、魔力切れまでは身体的な疲労すら超越して戦い続けることができる。

 踊るようにして剣を振るうトリスに、屍食鬼たちはまるで近付くことができなかった。


 だがしかし、全体を見ればこちらの軍は劣勢に立たされていた。胸甲騎兵たちは相手の数に押されて、散り散りになり、足を止められている。


「――――進めぇー!! 我が軍の司令官殿を見捨てるな!!」


 と、ここで戦場に左翼の副部隊長の声が轟く。歩兵の隊列が組み直されていた。

 サーベルもしくは着剣小銃を構えた軽装歩兵たちが、横隊を乱さずに前進を開始する。

 動く防壁となった彼らは、死者の軍団に対し受け止めるように肉薄すると、相手に対して遮二無二に刃を突き出した。


 再び、左翼の戦線は拮抗した。




「トリス、何とか立て直したみたいだね」


 リンドベリーは丘の上で騎兵銃の狙いを定めながら、安心したように呟いた。


「ああ。それよりリンド、お前は大丈夫か? 少し休んだ方が……」

「大丈夫。それに敵の中央部にもだいぶ打撃を与えられてる。いま休むわけにはいかない」


 リンドベリーは、心配するアントンの声を遮って言う。

 中央部の戦線は土塁を境目にして鍔迫り合いが続いており、死者の軍勢は進軍を()き止められているような状態だ。高台から狙いやすく、リンドベリーにとっては、まさにかも撃ち(・・・・)でしかなかった。

 だが、アントンの心配も当然のものだ。魔法の銃弾を撃ち続けているリンドベリーの疲労は、周囲から見ても一目でわかるくらい明らかであった。滲み出る汗が髪の先までを濡らしており、頬が火照って息も荒くなっている。

 しかし、日暮れまでに決着をつけるためには、今ここで休むわけにはいかないのだ。

 リンドベリーは目だけを猛禽のように爛々と輝かせながら、引き金を引いて彗星のように赤く尾を引く銃弾を撃ち出した。






 予備戦力の胸甲魔法騎兵に敵軍中央突破の指示が出たのは、それからきっかり一時間後のことであった。

 敵陣の中央部は、それを受け止めた傭兵たちの必死の抵抗とリンドベリーの銃弾によって、初めに比べれば密度が薄くなっている。今なら騎兵の突撃によってど真ん中食い破ることができる――そうアントンは判断したのだ。

 ちなみにトリスが救援に向かった左翼の部隊も、土塁にまで敵軍を押し戻すことに成功していた。


「ごめん、ちょっと休む……」


 丘の裏で騎兵部隊が出撃の準備をする中、リンドベリーはそう呟いて騎兵銃を取り落とした。自分の身体が()けた鉛のように熱く重かったし、全身が汗に濡れて気持ち悪い。ここが戦場でなければ、右腕の鋼の義手も外してしまいたいくらいである。

 リンドベリーは左手と口で器用に水筒を開けると、頭から水を被る。それから、残った分を口に含んだ。


「おい、本当に大丈夫か?」

「ふふ、休めば平気さ」


 戻ってきたアントンに心配の声をかけられるが、リンドベリーは笑顔で言葉を返す。その瞬間、地鳴りと雄叫びが周囲の空間を震わせた。

 こちらの軍団の最精鋭、胸甲魔法騎兵が突撃を開始したのだ。


 (やじり)の陣形を組んだ六五〇騎が、敵陣へ向かって一直線に進んでいく。

 土塁を守る歩兵たちは、預言者を通さんとする葦の海のごとく、左右に分かれて騎兵たちに道を譲る。土の防壁さえも、工兵の魔法によって、二つに割かれて進路を作った。


「ウォオオオオオオオオオ――――――!!!」


 彼らの怒号が、丘の上で休むリンドベリーの耳にまで響いてきた。戦いの様子は、この高台からはよく見て取れる。

 胸甲魔法騎兵の突撃は圧倒的だった。ここまでの作戦は、彼らの持つ力を最大限に発揮させるためのものだったと言えるし、それが見事に功を奏したのだ。

 騎兵の(くさび)は敵戦列のど真ん中に食い込み、そのままそれを真っ二つに引き裂かんと進撃する。さらに丘の上から旗による合図が送られ、軽装歩兵たちも土塁を超えて一斉に突撃を開始した。

 遠くから見れば、踊るように振るわれる白と赤に輝く刃の姿は、いっそ美しくすらある。リンドベリーとアントンは、その光景を固唾を飲んで見守っていた。


 やがて、騎兵部隊は敵陣を最後尾まで食い破って後方に突き抜ける。リンドベリーが、事前の砲火によって敵戦列の防御力を削いでいたおかげだ。彼らはそのまま二つに分かれて転進し、敵陣の後方を包囲する。また、それと連携して歩兵部隊は鶴の翼のように広がり、竜騎兵部隊は機敏な動きで敵の左右を塞ぐ。

 こうして、傭兵たちは見事とも言える手際で包囲を完成させた。


 その後は、相手を(くび)り殺すかのごとく包囲を狭めながら、四方から敵兵を突き崩していく。

 傭兵たちによって軍団の大半を殺し尽くされた頃、ようやく屍食鬼たちが撤退の意思を見せ始めた。しかし、本来なら屍食鬼にそのような思考はないはずである。

 つまりこれは、ウラディミルが魔族としての能力によって自らの眷属に退却の命令を与えたもので、彼の敗北宣言と受け取ることができた。予測していた通り、やはりウラディミルも負け戦で兵力を(いたずら)に損耗することは避けたいようだ。


「やったぞ! 俺たちの勝利だ!!」

「街を守ったんだーーー!!」

「ざまぁみろ! 魔族どもめ!!!」


 平原のあちこちから、傭兵たちの勝鬨が上がる。太陽は既に西に傾いているが、まだ高い位置にある。

 此度の戦いは、人間側の勝利であった。

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