5.土の防壁
「なるほど。土で簡易的な防塁を作って、迎え撃つわけだ」
「ええ、これで屍食鬼が大勢攻めてきても守りやすくなります」
街の北門を出ると、広い平原が広がっている。その中にある小高い丘の上に、トリスとリンドベリーそして傭兵隊長のアントンが立っていた。
彼女らの視線の先、丘の麓では大勢の傭兵たちによって長大な土塁が築かれつつあった。彼らはそれぞれ、土属性の魔法が得意な者は魔法の力によって、得手でない者は腕力によって、作業を行っている。
土塁は、街側から見れば大人の背の高さ程度の比較的緩やかな傾斜となっているが、外側からは土塁の手前に掘られた空堀と急峻な傾斜によって、攻めづらく守りやすいように作られていた。
「イヴァンさんとニコラスさんのことは、残念でした……」
作業を眺めながら、トリスはアントンに対して呟くように言った。
「夜中に外をほっつき歩くなと固く言ってあったんだが……。馬鹿野郎どもが……」
「…………」
アントンは言葉とは裏腹に、悔しそうな様子で唇を噛んだ。
トリスは何も言えず、場にしばしの沈黙が流れる。
「――――それで、昨日吸血鬼を倒したんだって?」
重い沈黙を破るように、アントンがトリスに問いかけてくる。
「ええ、まぁ……」
「待って! 吸血鬼を倒したのは私。トリスは屍食鬼を二体退治しただけ!」
「む……」
リンドベリーが、得意満面で二人の会話に入ってくる。事実だから仕方ないのだが、トリスは何となく面白くなくて少し膨れる。
「どうもそうらしいな。この間は見くびってすまなかった。これからよろしくな、リンドベリー」
既に傭兵たちの間でも噂になっているのか、アントンはさしたる疑問も挟まず、素直に謝ってきた。
「リンドでいいよ。あんたは?」
「アントン・ロッヂ。ダキア出身だ。この街で傭兵どものまとめ役をやってる」
ダキアのような辺境の属州では、帝国の正規兵を配置するのではなく、傭兵を雇って国境の守備に充てている。アントンは、この街でもう何年も任務をこなしてきたベテランの傭兵隊長だ。リンドベリーのような有事の際に急遽雇われて増員された兵士たちとは、年季が違う。
だからこそ帝都から派遣されてきたトリスは、この街に詳しいアントンを頼りにしていたのである。
「よろしくね、隊長」
「ああ、リンド」
リンドベリーは、アントンの差し出された手を握った。
その様子を見て、トリスも満足そうに笑う。
「ところで、それがお前の武器か?」
アントンが、リンドベリーの背負った騎兵銃を顎で指した。
彼女は銃を背中から降ろし、少し得意げに話す。
「そう。これを使えば五属性の魔法の銃弾を撃てる」
「魔法の銃弾を!?」
アントンが驚くのも無理はない。
魔法とは、定められた触媒に体内から放出した魔力を触れさせ、望んだ反応を起こす技術のことである。
そのため、触媒となる素材を含んだ道具に魔力を流し、その道具に魔法的な属性を付与することは難しくない。
例えば、土塁を作っている傭兵たちは、その多くが触媒としての鉛が含まれたシャベルに土の属性を与えて作業をしているし、アントンの腰のサーベルが銀で鍍金されているのは、刃に聖属性の魔法を纏わせるためだ。
しかし、発射された銃弾などの、本人の肉体から離れた物質に魔法を付与し続けることには高い技術を要する。
にわかに信じられることではないのだ。
「矢や銃弾などの投射物に魔法の属性を付与し続ける技術。それだけで、教皇庁の魔祓いになることができるでしょう……」
トリスも口を挟む。自身の使う、ナイフの刀身を聖魔法で剣の長さに伸ばす技ですら、かなり高度な技術を要するとされているのだ。
魔力の総量は別の問題としても、リンドベリーの魔法を操る力量は相当高いと言えるだろう。
「ふふふ。この銃床の中にはね、火・風・水・土・聖という基本の五属性に対応する触媒が仕込まれているのだよ。引き金を引く瞬間にどれか一つの触媒に魔力を流せば、その属性を帯びた銃弾を放てるって訳よぉ」
リンドベリーは気を良くしたのか、変な説明口調で自らの魔法の解説を始める。
トリスとアントンは口をぽかんと開けて、その言葉を聞き入るしかなかった。
「まぁ、見てて」
リンドベリーは左手一本で器用に撃鉄をハーフ・コックの位置から起こすと、傭兵たちが作業をしている丘の麓へ狙いを定めた。
火薬の激発音とともに発射された銃弾は、黄色い光の軌跡を描く。そして、それが地面に着弾すると同時、大地が鳴動した。
「うわぁっ!」
「なんだぁ!?」
「地面がっ……!?」
周囲の傭兵たちが慌てふためく。魔法の弾が着弾した地点を中心に地面が徐々に盛り上がっていく。
鳴動はすぐに収まり、後には防塁のように盛られた土の山が出来上がっていた。
確かに傭兵たちの中には土属性を付与した道具で土に直接触れることで、似たようなことができる者もいる。しかし、リンドベリーのように遠距離から投射した物体を介して魔法を発動させられる者は存在しなかった。
「ふっ、どんなもんよ?」
リンドベリーはにやりと笑いながら、二人の方を振り返った。
しかし、トリスもアントンも何やら難しい顔をしている。
「すごいですけど……、周りより高すぎるし、坂も急すぎませんかね……?」
「あれじゃあ、皆の仕事が増えちまうな……」
「…………」
見れば、下で作業している傭兵たちも何だか不満気だ。
誰からも期待していた反応をもらえなかったリンドベリーは、憮然とした顔になる。
「と、ところで、トリスのアレはどうやってやるの?」
「アレ?」
「あの、身体強化の魔法!」
さすがに気まずかったのか、リンドベリーが露骨に話題を変える。
トリスはその様子が何だかおかしく、笑みを零しながら答えた。
「私のこの尼僧服には、立羽蝶の翅が合計三十六枚織り込まれています。それらを触媒として、身体強化の魔法を発動させているんです」
基本となる五大元素の属性を扱う魔法は比較的簡単に習得できるのに対し、そこから派生した身体強化や解呪などの応用的な魔法は、使用者の素質が必要であったり、特殊な触媒が必要であったりと、扱える者が限られてくる。
そういう意味では、トリスも間違いなく魔法の才に恵まれた人間だ。
「え、虫の翅? 何かキモいね……」
「キモいは余計です……。私が魔祓いとして教皇庁に所属することができたのも、この身体強化の魔法を扱えたお陰です。他にはナイフの刀身を少し伸ばすことと、自分の身体に対してのみの治癒魔法を少し使える程度ですからね」
「へえー、トリスってすごいんだ。ちっちゃいのに」
リンドベリーが笑い、トリスは「ちっちゃいは余計です……」とむくれる。
と、そこでアントンが少し言いにくそうに切り出した。
「なぁ、リンド。この前、お前を馬鹿にした俺がこんなことを言うのは厚かましいことだとわかってるんだが、それを承知で聞いてくれ」
「ん?」
アントンの真剣な声に、リンドベリーが振り返る。
「この戦いが終わった後も、国境守備のためにダキアに残る気はないか? この属州を守るためには、お前のような腕利きの傭兵が必要なんだ」
アントンは、リンドベリーに対して深々と頭を下げた。
その様子を見てリンドベリーは微笑み、そして躊躇いなく答えを口に出した。
「ごめん、嬉しいけど断る。この戦いが終わってお金をもらったら、また別のところに行くよ。私の旅には目的があるんだ」
「そうか、わかった」
頭を上げたアントンも、しつこく引き止めるつもりはないようだ。代わりに一つ質問をする。
「で、目的っていうのは何だ? 場合によっちゃあ、俺も力になれるかもしれねぇ」
「この国のどこかで吸血鬼狩りをやってる妹を探してるんだ」
「なるほどな……」
アントンは、訳知り顔で深々と頷いた。様々な事情によって家族と生き別れてしまった者は、この帝国の中にも珍しくはない。仕事柄、アントンもそのような境遇の人間を多く見てきたのだ。彼女も、そのうちの一人なのだろう。
と、そこでリンドベリーが思い出したようにアントンに問いかけた。
「そうだ、アントンは何か情報を知らないかな? 妹の名前はクラン。クランベリー・ウェスタって言うんだけど……」
「クランベリーだと? 最近、そう名乗る傭兵に会ったことがある。そういえば、確かにお前に似て――――」
「どこっ!? どこで会ったの!?」
アントンの言葉を聞いて、リンドベリーの目の色が変わった。彼に掴みかからんとする勢いで問い詰め始める。
「お、落ち着け、リンド。場所はこの街から東へ十五マイルほど行ったところにある小さな村だ。先週くらいだな、所用でその村に行ったときの話だ。そいつも、ウラディミルの首を狙っていると話してた」
「……そっか。ありがとう、アントン」
リンドベリーはアントンの話を聞いて、少し考え込む素振りを見せた。
ややあって顔を上げた彼女が、小さく呟く。
「屍食鬼との戦いが終わったらお別れだよ、トリス。それが片付いたら、私はその村へ行く」
「……わかりました。妹さんに会えるといいですね」
トリスは少し寂しげに微笑み、それからリンドベリーの顔を見る。
彼女の薄墨色の瞳は、もう太陽が高く昇り始めた東の空をただ見つめていた。
「妹ちゃんに会えるといいなぁ! リンドォ!」
「もうさぁ! 会ったらさぁ! 説教してやるんだからぁ!!」
その日の夜、トリスは酒場の片隅の席に座って、馬鹿騒ぎをするリンドベリーと傭兵たちを眺めていた。
もはや彼らとはすっかり打ち解けたみたいで、リンドベリーはアントンに肩車をされながら何やら叫んでいる。
傭兵たちが街の住人と頻繁にトラブルを起こすのは事実であったが、一方で金払いの良い彼らが現地の経済を活性化させてくれることも、また事実だ。既に傭兵による国境守備は、帝国や教皇庁が全土から中央へ集めた歳入を再び地方へと循環させるシステムの一つとなっていた。
もっとも、傭兵たちが稼いだ金を湯水のように使うのは、自身の明日の命が保証されていないことが大きな理由でもあるのだが。
「とりしゅぅー! あんたは飲んでるのぉ!?」
微妙に呂律が回らなくなっているリンドベリーが、トリスのテーブルに音を立ててグラスを置いた。中にはエールと呼ばれる黄金色の酒が満たされいる。
「私は修道女なのでお酒はいただきませんが、お食事は楽しんでいますよ」
トリスはそう言って微笑んだ。テーブルには、羊肉のつくねが乗った皿が置かれている。
「とりしゅ、あーんして。あーん」
「…………」
それを見たリンドベリーが、口を開けておねだりしてくる。
また始まったと思いつつ、トリスはフォークでつくねを彼女の口に入れてあげた。
「うーん、おいしい! ありがとう!」
「それは何よりです」
「とりしゅ、ちゅーして、ちゅー」
「ぶっ――――!!!」
リンドベリーの言葉を聞いて、トリスは飲んでいた水を吹き出す。
顔を真っ赤にして彼女の顔を見返した。
「は、はぁ!? い、いきなり何言ってるんですか!? 頭がおかしくなったんですか!?」
「ちゅーしたい、ちゅーーー!」
リンドベリーが、強引にトリスの身体に絡みついてきた。見た目以上に力が強くて、引き剥がせない。
周りの傭兵たちも、こちらを見て楽しそうに囃し立ててくる。
さらにリンドベリーは、唇を尖らせて顔を近付けてきた。
「ひ、ひぃっ!?」
トリスは身の危険を感じて悲鳴を上げるが、その瞬間、突如リンドベリーの身体から力が抜けた。
顔を見れば、彼女は気持ちよさそうな表情で眠っている。ただの飲みすぎだ。
周囲から残念そうな声が聞こえてくる。
「もう……っ!」
そのままテーブルに突っ伏してしまったリンドベリーを見て、トリスは溜息をつく。
彼女はさっきまでの様子が嘘みたいに、無邪気な顔で眠っている。本当に子供のような寝顔だ。
「まったく、困った子ですね……」
そういえばこんなに夜更かしをしたのはいつぶりのことだったろう。
トリスはリンドベリーの髪を優しく撫でながら、そんなことを思うのだった。
屍食鬼の軍団が北の平原に集結しているという報せが街中を走ったのは、それからちょうど一週間後のことであった。