4.白銀煌めく
トリスは屋根の上から、女傭兵リンドベリーと吸血鬼エカチェリーナの戦いを見ていた。
リンドベリーが銃口をエカチェリーナに向け、即座に引き金を引く。女吸血鬼は踊るようにその弾丸を躱すが、次の瞬間には騎兵銃に次弾が装填されている。
リンドベリーは発砲とスピンコックを交互に繰り返し相手に火線を浴びせるが、しかし素早く動く吸血鬼を捉えることは難しい。とはいえ、エカチェリーナの方も距離を詰められずに攻めあぐねていることは確かだ。
トリスは、先ほどからずっとリンドベリーを援護する機会を窺っている。だが、二人の攻防が激しくなかなかそのタイミングが掴めない。
「トリス、私はいい! 後ろの雑魚をやって!」
リンドベリーが叫んだ。
見れば、先ほどエカチェリーナに投げ捨てられた二人の死体が起き上がっている。
屍食鬼化――――吸血鬼に噛まれた人間が魔族となる現象だ。屍食鬼自体は下位に分類される魔族だが、“親”の吸血鬼の命令を忠実に実行する。死体を動かし下僕とする、吸血鬼の忌むべき能力である。
「あんたたち、援護しなさい!」
エカチェリーナの命令で、二体の屍食鬼が感情のない瞳をリンドベリーに向ける。白ちゃけた顔は、まさに死人のそれだ。
「イヴァンさん……! ニコラスさん……!」
トリスにとっては見知った二人である。だが、なればこそ見過ごすことはできない。魔祓いとして、彼らに安らかな眠りを与えなければならぬ。
「参ります!」
屋根から石畳の地面に飛び降りたトリスは、二体の屍食鬼の前に立ちはだかった。
こちらに気付いたイヴァンの伸ばした腕を、エーテル体の刃で斬り払う。
「――――――!!」
イヴァンが言葉にならない悲鳴を上げる。トリスに斬られた前腕から先が灰になって消えていた。火属性と聖属性の魔法は、屍食鬼の弱点なのだ。
だが、思考のない屍食鬼に怯む理由はなかった。
今度は二体が同時に腕を振り上げて襲ってくる。トリスはそれを後ろに跳んで回避し、再び白刃を構えた。
一方、リンドベリーはエカチェリーナを捉えきれぬまま、銃弾を撃ち尽くしてしまっていた。
相手の弾切れに気付いた女吸血鬼は、両腕の爪を輝かせて凄絶に笑う。都合十本の爪が、素早く伸びて凶器と化する。
「残念ながら、銃じゃ私は殺せないよ、片腕のお嬢ちゃん!」
「そうみたいだね」
突っ込んでるエカチェリーナを見て、リンドベリーは騎兵銃を地面に放り投げた。
「降参のつもり? でももう助からないわよぉ!!」
エカチェリーナはそう叫ぶと一息に距離を詰め、獲物に向かって鋭く二本の腕を振り下ろす。
しかし、次の瞬間響いたのは、少女の肉が断たれる湿った音ではなく、金属同士がぶつかり合うような硬質な音だった。
リンドベリーは黒い鋼鉄の右腕を掲げ、十本の爪全てを受け止めたのだ。
「へぇ……いい腕もお持ちね」
「ふふ、羨ましい?」
そう言うと、リンドベリーは相手の両腕を押し返す。爪の根元からミシミシと嫌な音が聞こえ、エカチェリーナは一旦後ろに退いて距離を取った。
「ここからが本番さ」
不敵に笑って、リンドベリーは鉄の右腕をエカチェリーナに向ける。発条の弾けるような金属質の作動音が響き、手首から前腕ほどの長さの刃が伸び出した。現れた鋼色のブレードは、すぐにエーテルを纏って白銀色に輝く。
「また聖魔法……。忌々しいわねぇ……」
エカチェリーナが舌打ちをする。それと同時、リンドベリーは地面を蹴って相手に肉薄した。
低い姿勢から斬り上げた初撃を女吸血鬼は両手の爪で受け止める。が、見た目以上に重みのある攻撃に、エカチェリーナの体勢が崩れた。
そのまま流れるような動作で繰り出した二撃目、三撃目は際どいタイミングで躱される。しかし、鋭く突き入れた四撃目が、エカチェリーナの右頬を裂いた。
「このっ……!!」
エカチェリーナが怒りに任せて左手の五本の爪を振り回す。それをリンドベリーは余裕をもって躱した。
妖艶な女吸血鬼の右の頬が、聖魔法で裂かれた部分を中心として灰になって崩れている。
彼女は傷ついた頬を押さえると、白銀の刃を構える女傭兵を睨んだ。瞳の中で怒りの炎が燃え狂っている。
「よくも、私の顔を……! もう許さないわ……!!」
「怒った? せっかくの若作りだったのに悪かったね」
「殺す!!!」
エカチェリーナは咆哮を上げると、相手に向かって一直線に突進する。最速で突き出した彼女の右腕の五本の爪は皮と内臓を突き破る感触を確かに得た。
自らの勝利を確信し、エカチェリーナの顔が喜びに歪む。
「――――もう眠りな、吸血鬼」
「っ!?」
背後から聞こえた声に、エカチェリーナは戦慄する。
見れば、敵を貫いたはずだった右腕の先には皮の袋がぶら下がっているだけだ。中には、何か大型動物の内臓が入っているらしい。
「しまっ――――」
リンドベリーの右腕の刃が、背後から吸血鬼の胸を抉る。それは、白木の杭のように心臓を一突きにした。
「ウァアアアア――――!!!」
エカチェリーナの身体が灰になって消えていく。彼女だったものは、すぐに断末魔の絶叫とともに冷たい風に攫われ、後には何も残らない。
聖属性を帯びた攻撃で心臓もしくは延髄を破壊することのみが、吸血鬼の生命と肉体を消滅させられるのだ。
リンドベリーは勝利の余韻に浸ることなく、トリスの方を見る。しかし、そちらの戦いももう終わりそうだった。
トリスはエーテル体の刃でニコラスの首を刎ね飛ばした。イヴァンの方は既に灰に変えて消滅させた後だ。
「主よ。どうか彼の者の魂を、尊い天の国へとお導き下さい……」
トリスは魔族と化した知り合いの死に、祈りを捧げる。せめて、彼らの眠りが安らかなものであるよう――。
頭部を失ったニコラスの身体が力なく崩れ、灰に変わった。
「リンド、そっちは大丈夫!?」
「うん、問題な……い……」
トリスは、リンドベリーの方を振り返る。しかし、返事をした彼女は言葉の途中でふらりとよろめくと、そのまま石畳の上に倒れた。
「リンド!?」
トリスは慌ててリンドベリーのもとに駆け寄る。先ほどの戦いで、どこかに傷を受けたのだろうか。
しかし、彼女の身体に外傷らしきものはない。
「大丈夫、ただの魔力切れ……。でも、教会までおんぶしてくれたら嬉しいかも……」
リンドベリーの顔には疲労の色が濃かったが、それでも笑っていた。本当にただの魔力切れのようだ。
一般論として、その者が持つ魔力量は生身の肉体の体積と比例する。見た目だけなら華奢な少女な上に、右腕までも失っているリンドベリーは、あまり多くの魔力を持っていないのだ。それにここまでトロルを一匹狩った後に、吸血鬼相手に何度も魔法を発動している。話せるだけでも奇跡かもしれない。
「わかりました。それに、私の方が年上ですからね」
トリスは安心して微笑むと、リンドベリーの身体を背負った。しかし、彼女の身体は思ったより重量がある。一肢が鋼鉄でできていることもあるが、そもそもトリスよりもリンドベリーの方が上背があるのだ。
トリス自身の疲労もあるし、身体強化に充てる魔力も残っていない。
「うっ……、ぐっ……、おもたい……」
「大丈夫……?」
背中からトリスを心配する声がかかるが、年上としての矜持から弱音は吐かない。歯を食い縛って、一歩足を進める。大丈夫、教会まではあと少しだ。
「あ、待って」
十歩ほど進んだ頃であろうか。リンドベリーが突然トリスを制止した。
「ごめん。私の銃と、あとトロルのきもも……」
「…………」
そういえば、その二つは未だ地面の上に転がったままだ。
しかし、トリスとしては正直これ以上荷物を増やしたくない。
「リンド……、銃はともかく、きもは諦めませんか? 後で私が責任をもって回収しますから……」
「でも……、カラスやネズミに食べられちゃうかもしれない……」
「…………」
リンドベリーの悲しそうな声を聞き、トリスは戻ってその二つも一緒に運ぶという覚悟を決めるしかなかった。
「あーん」
「…………」
トリスは、ベッドから半身を起こしたリンドベリーの口に、匙で麦粥を運んだ。
教会に戻ってきた後、彼女が「もう動けなぁーい」と言うのでこうして介護をしているというわけである。
「トリス、あーん」
「…………リンド、本当は腕ぐらいは動かせますよね?」
「はやく、あーん」
「…………」
しかし、魔力が切れてるとはいえ、こうして身体を起こして元気に喋ってる人間が腕も動かせないなんてことがあるのだろうか。疑問は尽きないが、彼女のおかげで吸血鬼を倒せたのも事実だ。トリスだけでは吸血鬼を含めた三体もの魔族を同時に相手になどできなかったかもしれない。ここは素直に従っておくこととする。
「しかし、どうやらウラディミルが近くこの街を攻めることは事実のようですね。それに、彼の話ではもう一体、新たな吸血鬼がいるようです」
「うん、そうみたいだね」
「そこで、です」
トリスは、椅子から立ち上がると机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出す。そして、それを広げてリンドベリーに見せた。
「契約書です。リンド、あなたをこの街を守る傭兵として雇わせていただけませんか? それに……、正直今まではあなたの実力を侮っていました。謝ります、ごめんなさい」
「え!? 本当にいいの!?」
トリスは謝罪するが、リンドベリーにとっては些細な問題だったらしい。彼女は顔を輝かせて喜んでいる。
「あっ。でも私、読み書きできないから契約内容を聞かせてよ」
「わかりました。簡単に言うとこうです。あなたは、魔族からの防衛という目的でこの街に駐留する限り、教皇庁から一日あたり帝国通貨で三十デナリウスを支払われます。あなたは、教皇庁からの代理人、この場合は私ですね――からの、協議や陣地形成および戦闘目的での招集および命令に、必ず従わなければなりません。あなたが契約途中で死亡した場合や戦闘不能な状態に陥った場合、その日以降、給与は一切支払われません」
「了解! やっぱり教皇庁は金払いがいいね!」
「では、ここにサインをお願いします。文字じゃなくても、あなたが書いたとわかるものならいいです」
「ふふ、名前ぐらいは書けるさ」
トリスは、リンドベリーに羊皮紙とペンを渡す。リンドはそれを受け取り、左手でさらさらとサインを書いた。
「やっぱり腕動かせるじゃないですか……」
「あっ……」
トリスが睨むと、リンドベリーは口を開けてしまったという表情になる。
「……ぷっ」
頬を膨らませて彼女を睨んでいたトリスだったが、すぐに堪え切れなくなって吹き出してしまう。その様子を見て、リンドベリーも笑う。
「じゃあ、改めてよろしくお願いしますよ、リンド」
「ふふ、こちらこそよろしくね」
かくして、二人の間で契約は結ばれたのであった。