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3.招かれざる者

「まず街の北側に防塁を作って、そこで屍食鬼どもを迎え撃つ。これしかねぇだろうな。屍食鬼を軍団として動かせるのは明るいうちだけだ。吸血鬼が城から出てくる夜になる前に決着をつけちまえば、ウラディミル本人も諦めるはずだ」

「……そうですね」


 トリスはどこか上の空で、アントンの言葉に相槌を打った。

 昨日と同じ酒場で作戦会議が開かれているのだ。しかしまだ午前中だというのに、周りには酒を飲んで騒いでいる傭兵の姿もある。


「よぉー、トリスちゃん! 深刻な顔してどうしたんだい?」

「トリスちゃんも一緒に飲んで騒ごうぜぇー!」


 と、二人の傭兵が酒の入ったグラスを片手に絡んできた。この時間からすでに出来上がっている。

 トリスは「私は修道女ですから、お酒は……」と、丁寧にお断りをする。


「イヴァン! ニコラス! うるせぇぞ! 俺らは真面目な話をしてるんだ!」


 アントンが一喝で二人を追い払う。

 それから、彼はトリスの顔を覗き込んできた。


「おい、どうした? 悩んでることでもあるのか?」

「えっと、あるはあるんですけど、この仕事とは関係のないことですから……」


 トリスは曖昧にはぐらかした。

 アントンは何を勘違いしたのか、「若いっていいな」と笑っている。


 目下、トリスを悩ませているのはリンドベリーのことである。

 彼女を戦力として雇うかどうかは、今のところ保留にしてあった。結局、彼女の傭兵としての実力はまだ未知数だからだ。それに今目の前にいるアントンたちが簡単に納得するとも思えなかった。

 そんなリンドベリーは今朝一番で教会の司教様たちと仲良くなり、薬草の採集任務を仰せつかっていた。この街の教会は薬の調合なんかも仕事としているのだが、ここ最近は魔族の活発化で材料の採集も命懸けらしい。報酬は小遣い程度のものだったが、一宿一飯の恩義があるということもあり、リンドベリーは大張り切りで出発していった。


「いえ、ごめんなさい! 余計なことは考えないようにします!」


 トリスは両手で自分の頬を二回叩くと、目の前の議論に意識を集中させる。


 結局、その日の話し合いではアントンの意見の通り、街の北側に簡易的な防塁を築くことに決まった。






「もう、あのオタンコナス! 一体いつになったら戻ってくるんですか!」


 街の北側の門の前で、トリスは誰も聞いていないのを良いことに毒を吐いた。

 酒場での話し合いが終わり、教会に戻ってもリンドベリーは帰ってきていなかった。それで心配になって、街の門まで見に来たのだ。


「魔族に食べられてなきゃいいですけど……」


 正直、トリスはリンドベリーの実力についてはかなり疑問視していた。やはり魔法攻撃が要となる魔族との戦いの中では、あの義手は大きなハンデになるだろう。

 それにそろそろ日が暮れてしまう。夜とは、この辺りでは吸血鬼の時間だ。街の中でも、みな家に閉じこもって扉を固く締める。街の外をぶらぶら歩くなど、もってのほかだった。


「暗くなったら、私だって帰りますからね……」


 既に空の色は、橙から紫に変わりつつある。

 トリスは遥か遠くに黒い影としてそびえる古城を忌々しげに睨んだ。ワレンス城――吸血鬼ウラディミルの根城である。


「――――あっ! おーい、トリスぅー!」


 遠くからそんな声が聞こえてきたのは、トリスが諦めて踵を返したその瞬間だった。

 振り向いたトリスは思わず「ひぃ!」と短い悲鳴を上げる。

 平原をこちらへ向かって走ってくるリンドベリーは、全身を赤黒い血で汚していた。


「だ、大丈夫ですか!? リンド!?」


 トリスは、思わずリンドのもとに駆け寄った。

 しかし、当の本人はあっけらかんと笑っている。


「これ返り血だよ、トロルの」

「トロル!?」


 トロルといえば、巨体と怪力を誇る中位の魔族である。この少女は、それを一人で倒したというのか。


「そいつのせいで少し遅くなっちゃった。でもトロルのきも(・・)は乾燥させれば造血の薬の材料になるっていうしね。司教さんも喜ぶと思う」


 そう言うと、リンドベリーは巨大な革の巾着袋を自慢げに見せつけてきた。中に何かずっしりと重いものが入ってるようで、おまけに酷い異臭を放っている。この中にそのきも(・・)とやらが入ってるのだろう。


「ねえ、見たい? 見たいでしょ? 開けようか?」

「いえ、いいです……」


 悪臭に顔をしかめるトリスに気付かぬのか、リンドベリーは輝くような笑顔で革袋を開けようとしている。

 トリスはその提案を丁重に断ると、辺りを見渡した。既に日が沈んでしまっている。


「それより、もう夜が来ます! 吸血鬼が現れる前に教会に戻りましょう!」


 トリスはリンドの手を引いて、門の方へ早足で歩き出した。

 門を潜ると、教会までの道のりを最短距離で進む。何度か角を曲がり、狭い道も通り抜けた。


「――――教会までもう少し! もう少しです!」

「ご、ごめん、遅くなって……」


 瓦斯(ガス)灯に照らされた石畳の上をほとんど駆けるように進みながら、トリスは呟いた。次の角を右に曲がれば、教会までは一直線だ。リンドベリーは焦るトリスに手を引かれながら、少し気まずそうにしている。

 吸血鬼は夜になると血を求めて人間の暮らす街へ入り込み、人を襲う。この街でも、既に何人がその牙の犠牲になったことか。

 トリスは石畳を蹴って最後の角を曲がり――――、そこで二つの人影を見た。


「やぁ、お嬢様がた。良い夜ですね」


 紳士然とした、美しい男だった。見た目だけなら(・・・・・・・)三十路の少し手前くらいか。背はスラリと高く、黒い髪を丁寧に撫で付けている。

 しかし、不吉な月のように赤く輝く瞳と口の端から零れた長い牙が、彼が普通の人間ではないことを示していた。


「吸血鬼……!?」


 トリスは立ち止まり、絶句する。間違いない。実際に見るのは初めてだが、教本で見た吸血鬼の特徴と一致する。

 恐怖に膝が震えるのを感じた。


「こんな時間に出歩くなんて、悪い子ねぇ……」


 彼の隣に立つ若い女が、猫なで声でそう言った。男と同じく、赤い瞳と鋭い牙を持っている。彼女はいかなる怪力か、左右の腕で大の男の身体を一つずつ引き摺っていた。

 既に二人とも死んでいる。生気を失い白ちゃけたその顔に、トリスは見覚えがあった。


「イヴァンさん!? ニコラスさん!?」


 午前中から酒を飲んでトリスに絡んできた二人の傭兵だ。酔っ払って外を歩いているところを彼らに襲われたのだろうか。だらしのない男たちだったが、ともにこの街を守るはずの仲間であった。


「あら、ごめんなさい。知り合いだったかしら? でも美味しかったわよぉ、この二人……」

「このっ……!」


 妖艶に笑う女吸血鬼を睨みながら、トリスは尼僧服のスカートの下、太腿に付けた鞘からナイフを抜こうと手を伸ばす――――瞬間、銃声が宵口の冷たい空気を切り裂いた。

 リンドベリーが左腕一本で騎兵銃を構え、引き金を引いたのだ。銀の軌跡を引く不可思議な弾丸は、しかし虚空を裂いただけだった。瞬前までそこにあった男の影は、既にかき消えている。


「――――へぇ……、魔法を乗せた弾丸か……。珍しいものを使う」


 声のした方向を見れば、吸血鬼の男が屋根の上に移っている。トリスの横でリンドベリーが舌打ちをした。左手に構えられた騎兵銃の銃口が硝煙を燻らせている。吸血鬼は、リンドベリーの放った弾丸を目にも止まらぬ速さで移動して避けたのだ。

 リンドベリーは、用心金を支点に銃を腕の中でくるりと回す。スピンコック――その動作だけで排莢と装填が完了し、銃口が再び男吸血鬼に向けられた。


「自己紹介くらいさせて欲しいものだな、お嬢様」


 吸血鬼は不敵に笑うが、リンドベリーの銃口は微動だにしない。薄墨色の二つの瞳が、猛禽めいて鋭く相手を睨んでいる。

 彼はやれやれと呟いてから、言葉を続けた。


「私の名前はウラディミル・アマル。以後、お見知りおきを」

「あ、あなたがこの街を狙う吸血鬼なんですね……?」


 トリスは震える声で問うた。それを聞いて、ウラディミルは満足そうに口を弦月に割る。人間と会話ができるのが嬉しいとでも言うようにだ。


「この街は美しいと思わないかね、修道女?」

「…………」

「あの寂れた古城にもいささか飽きた。見ろ、この街を。美しい石畳、瓦斯(ガス)灯の灯り、整然と並んだ白い壁の家々! 私はこの街が欲しいのだよ!!」


 話すうちに興奮を抑えきれなくなってきたのか、ウラディミルは顔を上気させ、腕を大きく広げながら芝居めいて語った。そして、その後でひとつ熱い吐息を吐く。

 「変態め」とリンドベリーが小声で吐き捨てるのが聞こえた。

 トリスは、屋根の上に立つウラディミルを強く睨みつける。


「そのために、屍食鬼にこの街を攻めさせるのですか!?」

「そうだ。私は、十余年をかけて屍食鬼の軍団を作った。近いうちに彼らにこの街を攻めさせ、占領しようと思っている。城も手狭になってきたところであるし、彼らも喜ぶだろう」

「なっ……!」

「戦争だよ、修道女。私も、そういうことに少し興味があってね。それに美しいこの街を手に入れれば、ここを拠点にして、さらに大きな軍団を作れるかもしれないだろう?」


 遊戯か何かの話をするように、ウラディミルは言う。

 トリスの頭の中で怒りが沸騰した。魔族に蹂躙された故郷の記憶が、まるで昨日の出来事のように生々しく脳裏に浮かび上がる。


「させるもんですか!」


 トリスは太腿の鞘からナイフを抜き放つと、自らの魔力を流し込む。銀で作られた刀身が触媒として反応し、聖属性の魔法が顕現する。瞬間、ナイフの刀身を包み込んだ輝く光の粒子――第五元素(エーテル)がサーベルほどの長さの刃の形に収束した。

 白銀の光を放つ剣を手に、トリスは石畳を蹴った。魔力によって強化された脚力は、石の地面を砕き割り、主を軽々と屋根の高さにまで運ぶ。


「ほう」


 ウラディミルの口角が愉快げに上がる。それと同時、トリスは屋根の瓦を思い切り踏み込んだ。

 足元で赤い素焼きの破片を巻き上げながら、白刃を上段に構える。しかし、それを振り下ろす前に、ウラディミルの姿は目の前から忽然と消えている。


「相手をしてあげたいところだが、私の食事の時間はもう終わってしまったのだよ。申し訳ない」


 トリスの耳元で一羽の蝙蝠が羽ばたいている。そして、ウラディミルの慇懃な声はそこから響いていた。


「くっ、変身能力……!」


 吸血鬼は特定の動物への変身が可能であることに、トリスは思い至る。

 その時、下方から銃声が轟いた。リンドベリーだ。しかし、蝙蝠はひらりと身を翻して聖属性の魔弾を躱す。そして、そのまま夜の闇の中に紛れてしまった。

 姿を見せないまま、彼の声だけが聞こえてくる。


「私は帰って新たに生まれる眷属の様子を見なければならぬ」

「眷属……!?」

「そう、新たな吸血鬼だ。彼女もそろそろ目覚める頃だろう」


 吸血鬼に血を奪われた人間は魔族となる。自らの力で魔族に変えた者たちを、吸血鬼は眷属と呼ぶのだ。

 大半は主の命令通りに動くだけの死者でしかない屍食鬼となるが、ごく稀に吸血鬼として生まれ変わる者がいる。彼もしくは彼女は、数日間眠った後に記憶を失った状態で目覚め、人間の血液を摂取することで吸血鬼として完全に“覚醒”する。


「では、我が眷属エカチェリーナ。この子たちの相手は頼んだよ」

「ふふふ、任せて。私が遊んであげるわ、子猫ちゃんたち」


 これまで様子を見ていただけだった女吸血鬼が、嬉しそうに笑う。エカチェリーナと呼ばれた彼女は、両腕に持ったままだった二つの死体を投げ捨てると、リンドベリーの方を見て舌なめずりをした。


「ちょうどデザートが欲しかったところなの」

「ずいぶん行儀の悪い女だなぁ。トロルの方がまだお上品だったよ」


 リンドベリーは不敵に笑うと、腕の中で騎兵銃を一回転させる。

 空薬莢が地面に落ちて、その音が二人の動き出す合図となった。

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