2.魔祓いの少女
「ああー、生き返った! ご馳走様です! 修道女様、ありがたやー、ありがたやー!」
「もうっ! 祈るなら私じゃなくてきちんと主に祈ってください!」
食器を片付けながら、トリスは自分に向かって祈りを捧げてくる奇妙な少女を叱り飛ばした。
ここは街の教会の中にある、トリスに貸し出された寝室である。遅い時間なので、少女にはこの場所で食事を摂らせた。
「今晩はここに泊まってください。外は吹雪きますし、野宿なんてしたら死んでしまいます。吸血鬼に襲われる可能性だってあるんですよ。えっと、お名前は……?」
外の風と雪は勢いを増し、窓枠をがたがたと揺らしている。一方、教会の中は暖炉の火に暖められ、時おり薪がぱちりと弾ける音が響く。まるで天国と地獄だ。
トリスの言葉を聞いた傭兵の少女は、花が開くように満面の笑みを浮かべた。
「えっ、いいの? ありがとう! 私はリンドベリー・ウェスタ、十七歳。リンドって呼んで!」
「私はトリス・ミリオン。教皇庁付けの修道女です。それで、今晩はここに泊まるにしても、あなたこれからどうするつもりなのですか?」
「それが、私いま無一文でさぁ……。酒場で傭兵たちが言ってた仕事、私も仲間に入れてもらえないかなぁ……? 教会が募集した仕事でしょ、アレ?」
リンドベリーが左手で頭を掻きながら笑う。トリスは溜息をつくしかなかった。
「はぁ……。あなた、私たちが何と戦おうとしているか、わかってるんですか?」
「えっと、酒場では吸血鬼だって……」
リンドベリーはどこまでも呑気な調子で言った。現状を正しく伝えてあげる必要があるかもしれない。
「そうです。ここ属州ダキアは北方に住む吸血鬼から狙われている土地です。吸血鬼に限らず、北から襲来する魔族によって毎年何百人もの被害者が出ている。帝国はこの属州の防衛を諦め、放棄を検討していると聞きます……」
そこで、トリスは目を伏せた。長い金色のまつ毛が、憂いを帯びた瞳を隠す。
「私の故郷も、そうでした。かつては属州ブリタンニアと呼ばれていた土地です。帝国は、魔族から防衛しきれなくなったその属州を放棄したんです……」
ここ数十年、魔族の動きは活発になってきている。反対に帝国は力を失い、広範な領土を維持することが難しくなっていた。放棄が検討されている属州も、ダキアだけではないと聞く。
「帝国の官僚と軍団が引き上げたあと、ブリタンニアでは魔族によって沢山の人が殺されました。私の家族も……。私は船に乗って命からがら本土へ辿り着きました。たまたま魔法を扱う素養があったために、なんとか魔祓いとして身を立てることができましたが、一緒に逃げてきた他の子たちがどうなったかはわかりません……」
「トリス……」
リンドベリーから労わる様な声がかけられ、トリスは話題が本題から外れてしまったことに思い至る。
「……すみません、話が逸れましたね。この街から北はある魔族の縄張りです。その魔族についてはご存じですか?」
「えっと、吸血鬼ってことくらいしか……」
リンドベリーが首をかしげる。トリスは間髪入れずに答えを用意する。
「吸血鬼ウラディミル・アマル。現在は、かつて帝国の築いた対魔族の要塞であるワレンス城を根城にしています。彼が屍食鬼を率いて、この街を攻め落とそうと狙っている兆候がありました」
屍食鬼とは、吸血鬼に血を奪われた人間が知性のない奴隷となった姿だ。有力な吸血鬼は、帝国の一つの軍団にも等しい数の屍食鬼の兵を率いると言われている。
一息つくと、トリスは説明を続けた。
「この街が陥落すれば、周囲の魔族も混乱に乗じてダキアへなだれ込んでくるでしょう。そうなれば、この属州はもう終わり。しかし、帝国と教皇庁は既にこのダキアを見捨てるつもりでいます。この地方への援軍に立候補した教皇庁の魔祓いは、三級魔祓いの私だけでした……。後の戦力は現地の傭兵で賄えと……」
と、ここでトリスは、ぽかんと口を空けてこちらを見つめるリンドベリーの視線に気づく。
「な、なんですか……?」
「さ、三流魔祓い……? もしかしてトリスって、あんまり頼りにならない……?」
「っ……!! 三流じゃなくて三級です! あ、あまり強くないのは事実ですけど!」
何とも言えない切なげな表情になるリンドベリーに対し、トリスは指を突き出して反論する。
「というか、あなたはどうなんですか!? 片腕ないし! 吸血鬼に効く聖属性の魔法は使えるんでしょうね!?」
「私ぃ? ふふふ、めちゃくちゃ強いから雇ってくれない?」
「む……」
不敵に笑うリンドベリーに、会話のペースを乱される。
なんとも掴みどころのない相手だ。トリスが何も言えずに困っていると、リンドベリーが口を開いた。
「つまりトリスは、自分と同じ境遇の人たちを生み出したくなくて、ここに来たってわけね」
「……まぁ、そんな感じです」
「なるほどね。よし、今日はもう寝よう! 明日のことは明日考える!」
言うが早いか、リンドベリーはシャツを脱いで右腕の魔動義肢を弄り始める。彼女の右の上腕は半ばで切断されているようで、そこから先は錆止めで黒く塗られた鋼鉄製だった。事情を知らぬ者が見れば、右腕にだけ板金の籠手を装着しているように見えるかもしれない。
手際よく義手を外して手入れを始めるリンドベリーを眺めながら、トリスは何となく疑問を口にした。
「それ、寝るときは外すんですか?」
「そりゃあ、眼鏡して寝る人はいないのと同じだよ」
リンドベリーは手を動かしたまま笑った。彼女は左手と右腕の断端を使い、てきぱきと義手を分解して汚れを拭き取って油を指し、すぐに組み直してしまう。トリスも、思わずその技術に目を奪われたほどだ。
そうして手入れが終わると、彼女はさっさとベッドに潜り込んでしまった。
「ほら、おいで。寒いんだから、一緒に寝よ」
「それ、一応私のベッドなんですけどね……」
ベッドの端に寄って空いたスペースをぽんぽんと叩くリンドベリーを見て、トリスは溜息をつく。
まるで自分の部屋みたいな寛ぎ様だ。とはいえ、客人をベッドから追い出して床で寝かすわけにもいくまい。
トリスも元々狭いベッドのさらに半分のスペースに身体を丸める。すると、すぐにリンドベリーの手が伸びてきた。
「んー、あったかーい! 私の抱き枕だ!」
「ちょ、ちょっと、やめてください! 変なとこ触らないで!」
いきなりリンドベリーに身体を抱き締められる。トリスは精一杯もがくが、抜け出すことはできない。
「……まるで妹みたい」
トリスの頭に頬をつけながら呟いたリンドベリーの声は、どこか郷愁を帯びていた。石造りの部屋には、蝋燭の灯りだけが揺れている。
「妹……?」
「……うん。……私、妹を探すために旅をしてるんだ」
リンドベリーは少しの逡巡を挟んで、滔々と話し始めた。物語を語り聞かせるような、心地よい声音だ。
「私は、パンノニアで吸血鬼狩りを生業にしていた一族の生まれでさ。トリスのような聖職者や帝国の正規兵とは違う、傭兵みたいなものだったけどね」
パンノニアも帝国の数ある属州のうちの一つで、ダキアと同じく魔族からの侵略に悩まされている土地である。
「だけど、私が十歳になった頃だったかな。吸血鬼に家を襲われた。お父さんとお母さんは殺されて、私も右腕を……」
「リンド……」
ここで、初めてリンドベリーの声が震えた。トリスは、思わず彼女の残された方の手を両手で握る。
「妹は無傷だったけど、何年か経った時にお父さんみたいな吸血鬼狩りになるって言って、私を置いてどこかに行っちゃった。五体満足だったら、私が家業を継ぐ予定だったんだけどね……」
「だけど……」と、彼女の形のいい唇が続ける。
「私は……、妹と一緒に暮らしていたかった。たった一人の肉親だったから……。たとえ貧しくても、魔族なんかと関わらずに二人で一緒に……。でも、妹は私たちと同じ境遇の人たちを増やしちゃいけないって、さっきのトリスと同じこと言うんだ」
リンドベリーが、トリスの目を見て笑う。触れれば壊れそうな、儚い表情だった。
「あの時の弱い私は、妹と一緒に旅立つことはできなかった。だけど、今は違う。戦える」
彼女の薄墨色の瞳が、ちらりとテーブルの上の魔動義肢の方を指した。
「妹もきっと、まだどこかで吸血鬼狩りをしている。だから、私も傭兵として吸血鬼と戦っていれば、いつか彼女に会える気がするんだ。そして、もしもう一度会えた時、妹がこれからも魔族との戦いを続けるってなら、私も隣でそれを手伝いたいのさ」
言い終えてから、リンドは気恥ずかしそうに「ごめん、少し長かったね」と笑った。「トリスが妹みたいだったから、つい」とも付け加える。
「いいえ。妹さんに会えるといいですね」
トリスが慈しむような表情を見せる。
だが、彼女には一つ納得できないことがあった。
「でもリンド……一つだけいいですか?」
「ん? 何?」
「私のこと妹って言いますけど、私の方があなたより一つ年上ですよ」
「ええっ!? そうなのっ!?」
部屋にリンドベリーの素っ頓狂な声が響く。既に、先ほどの儚い表情は消えて、快活な雰囲気が戻っていた。