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1.鉄の腕

「お前みたいな奴に吸血鬼(ヴァンパイア)との戦いが務まるかよ。さっさとおうちに帰んな」


 傭兵隊長アントン・ロッヂは、目の前に立つ“自称”女傭兵に向けてそう言い放った。

 夕暮れ時の酒場は、とある任務の募集に応じた傭兵で混雑しており、煙草の煙と雑多な喧騒に溢れている。


「そ、そんなっ! 困るよ! 私だって戦える!!」


 酒場の喧騒に負けじと、女傭兵が声を張り上げる。

 アントンは改めて彼女の全身を眺め、そして大きく溜息をついた。

 まだ少女と呼べるくらいの年齢だ。顔立ちは端正と言ってよく、薄茶色の長い髪の毛を頭の後ろで一つ結びにしている。背中に背負ったレバーアクション式の騎兵銃が、まだ幼さの残る外見と比して、どこかちぐはぐな印象を与えていた。

 だが、アントンの溜息は彼女の年齢が理由なのではない。世の中にはこの少女より若くても、魔法に秀で、高位の魔族と渡り合う者だっている。

 一番の理由は、彼女の右の腕だ。アントンはその場所を指差して、口を開いた。


「魔動式の義手だろ? そんなんじゃ高位の魔族とは戦えねぇよ」


 女傭兵のシャツの右の袖口から覗く腕は無骨な黒い金属で形作られていた。彼女が身体を動かす度に、関節がきぃきぃと鳴いている。

 持ち主の魔力を糧に駆動する、魔動義肢と呼ばれる代物だ。


「いいか、お嬢ちゃん。俺たちがこれから一戦交えようとしている相手は“吸血鬼”だ。そいつに普通の攻撃は通用しねぇ。効くのは、銀を触媒にした聖属性の魔法攻撃だけだ」

「わかってる! そんなこと!!」


 少女は気丈に言い返すが、アントンはさらに言葉を被せた。


「人間の持つ魔力の総量ってのは生身の肉体の体積と比例する。つまり、片腕がない上に、義手を動かすのに余計な魔力を消費しているお前じゃ、戦力にならねぇってことだ」


 切って捨てるような言い方だ。それを聞いた少女は不機嫌そうに表情を歪め、左手で黒い右腕を握った。

 ややあってから、形のいい唇が気まずそうな声を絞り出す。


「実はそのぉ……、私もうお金がなくて……。この街で仕事を貰えないと困るんだけど……」


 それを聞いたアントンは呆れたように大袈裟な溜息をついた。この街で新たに兵士を募集し始めてから、既に何人の浮浪者が同じ台詞を吐いたことか。


「――――お前なら、傭兵なんかやらなくても簡単に稼ぐ方法があるんじゃないのか!?」


 と、店内のテーブルの一つから野次が飛んできた。


「え?」


 キョトンとしてそちらを見る少女に対し、その男は品定めをするような目を向けている。

 別の声が、少女の疑問に答える。


「お前が下半身まで鉄で出来てなけりゃの話だけどなぁ!」

「んなっ……!?」


 傭兵たちの言葉の意味を理解した少女の顔が、耳の先まで真っ赤になった。

 店内の傭兵たちが一斉に爆笑する。


「胸は小さいが、顔は俺の好みだ!」

「お嬢ちゃん、こっち来て酒を注いでくれよ!」

「おい、やめねぇか! イヴァン、ニコラス!」


 アントンは、先ほどから大声で野次を飛ばしている二人を叱りつける。イヴァンとニコラスは、いつも酒に酔っては問題を起こすトラブルメーカーだ。

 だが、既に他のテーブルからも少女に対して卑猥な言葉が飛んできている。


「も、もうっ! 知らないからっ!」


 女傭兵は左手でテーブルを思い切り殴ると、丸めた上着を抱えて出口へと肩を怒らせて歩いていった。


「おい、行くアテはあるのか? もう日が暮れるんだから、外はうろつかない方がいい。この辺りには吸血鬼が……」


 アントンは少女の背中に声をかけるが、彼女はそれすら無視して店の外へ出ていってしまう。最後に、勢いよく閉められた扉が大きな音を立てた。


「まったく……」


 アントンの口から、溜息が漏れる。

 しかしながら、彼女のこの危機感のなさを見れば、やはり雇わなくて正解だったのかもしれない。

 奇妙な少女だったが、せいぜい魔族の餌にならないよう祈っておくこととしよう。


「――――アントンさん! ちょっと酷くありませんか!?」

「あん?」


 声をかけられて振り返ると、一人の修道女(シスター)が立っていた。黒と白を基調とした尼僧服を身に纏った小柄な少女だ。黒い頭巾の端からは、金色の三つ編みが二本零れて揺れている。

 トリス・ミリオン――――帝都の教会から派遣されてきた魔祓いで、アントンたち傭兵の雇い主でもある。


「だが、傭兵の選別は全て俺に任せるって言ってただろうが。それに、この募集を初めてから傭兵ですらねぇ食い詰めた浮浪者が何人来たと思ってるんだ?」

「それにしても皆さんのあの言い方は……。それにあの子、お金ないって言ってたし、今晩泊まるところだってあるのかしら……? 私ちょっと追いかけて謝ってきます!」

「お、おい!?」


 言うが早いか、トリスは酒場の出口に向かって駆け出していった。

 その背中を見送りながら、アントンは再び深々と溜息をつくのだった。






「うぅ……。さ、寒い……」


 自称女傭兵リンドベリー・ウェスタは、とぼとぼと石畳の道を歩いていた。ドナウ川を北に越えたこの地域は、広い帝国の中でも冬の寒さが一段と厳しい場所だ。呟いた声もすぐに白く凍る。

 つい先ほどの話だが、酒場では戦力にならないと馬鹿にされ、仕事を得ることもできなかった。おまけに今晩の宿代もない。


「ああ……、雪……」


 橙から紫色に変わりつつある空の上からはちらちらと雪が舞い、瓦斯(ガス)灯の淡い光の色を反射している。

 一陣の風が吹き、リンドベリーは身を縮こまらせた。鋼鉄でできた血の通わない右腕は、こんな時に余計に冷えるから不便である。


「ま、マジで死ぬかもしれん……」


 歯を鳴らしながら呟くうちにも、雪と風はどんどん強くなっていく。食事だって、もう丸一日も摂っていない。

 命の危険を感じたリンドベリーは、先ほどの酒場に引き返そうかと一瞬思案するが、傭兵たちの顔を思い出して却下する。

 こうなったら手頃な馬小屋に潜り込んで、飼葉を布団にして眠るしかない。翌日の身体の臭いが大変なことになるが、死ぬよりはまだマシだろう。リンドベリーには、まだ死ねない理由があるのだ。


「――――ま、待って! やっと追いついた……!」


 と、ちょうど馬小屋の柵を跨ごうとしていたリンドベリーに声がかけられた。

 振り返れば、自分と同じ歳の頃であろう、小柄な修道女が駆け寄ってくる。


「ん? 私?」


 リンドベリーは立ち止まって自分の顔を指差した。そういえば、先の酒場で隅っこの席からチラチラとこちらを窺っていた修道女がいたことを思い出す。


「先ほどは申し訳ありませんでした……。その……、何か深い事情がおありなのでしょう? もう夜になりますし、もし行くアテがないなら、すぐそこの教会に私の部屋があります。そちらでお話を聞かせてもらえませんか……?」


 修道女は、今しがた女傭兵が潜り込もうとした馬小屋を横目で見て、その臭いに顔をしかめる。

 彼女の言葉を聞いたリンドベリーは、修道女の手をぎゅうっと握り締めた。天から救いが差し伸べられたようなものである。


「ああっ! あなたが天使ですか……! できればパンと温かいスープもいただけたらありがたいですっ……!」

「ひぃ!?」


 突然手を握られ、顔を近づけられた修道女は、頬を赤らめ咄嗟に目線を反らしていた。

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