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鬼に嫁ぐ日  作者: 珀尾
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6・翡翠


 翡翠丸がこの世界に来たのは、偶然が重なってのことだった。


 例に漏れず勇者との戦いの末、異世界に転移させられようという時、ちょうど別の世界に、他の世界の者を招こうとしている物好きがいた。

 それが、敵地の領主に金で雇われた行者だったというわけだ。


 翡翠丸を異世界へ飛ばすには条件があり、本人の魔力を空に近い状態にまで減らさなければならない。そして飛ばされた後、異世界で魔力を回復させた翡翠丸は、本人の意思に関係なく自動的に元の世界へと引き戻されていた。ずっとその繰り返しだ。


「エストレイア・ゾーク・アウストゥル……」

「今まで通り、翡翠丸とお呼びください。ただある存在としてでなく、個人としてつけて頂いた名を翡翠丸は大切に思っております」

「……そうか」


 異国の王とも呼べる本来の姿を見た後では思うところもあるが、本人が望むのであれば無下にも出来まい。手をかざすだけで大地を焦土と化せる翡翠丸の強さは、私の想像を絶するものであった。


「いずれ戻るとわかっている翡翠丸を異世界に送るとは……。そなたの世界の勇者とやらは破滅願望でもあるのか? それとも先の未来に何か恨みでも?」

「さすがは姫、気づいて頂けましたか。彼らは言葉は通じるのですが、話が通じないのです。他の世界に行く度に、こちらの知識や魔力が増えていくことを、まるで理解しようとしない」


 説得を諦め、毎度毎度、気を遣って自分から大技で魔力を減らしてやっているのに、それすら気づきもしない、と翡翠丸は嘆いた。


 そう。翡翠丸はその世界の者たちに対し、何も危害を加えてはいなかった。ただそこにいただけだ。ひいき目に見なくても、翡翠丸が不憫としか思えない。


 確かに翡翠丸が原因で魔物は発生している。

 だが、それらを倒すことによって生計を立てる者がいて、そうして得た素材で生活に必要な物は作られていた。魔物はその世界にとって、なくてはならない存在だったのだ。


 その証拠に、本来であれば魔物を倒す存在として人々から感謝されていた冒険者たちは、魔物の数が減っていくと次々と職を失い、やがて周りからは厄介者の扱いを受けるようになっていった。


 そして翡翠丸が戻る頃には、大半が犯罪者や荒くれ者となっている。見事なまでの悪循環であった。


「…………頭、悪いな」

「同感です」


 翡翠丸は真名の示す通り、星さえ砕く力を有していた。神と呼んでも差し支えないだろう。


「あの世界は翡翠丸が星ごと支配した方が良いのではないか?」

「もうそろそろ、それも良いかと考えておりました。いっそ冒険者を管理してしまおうかと」

「星の支配者か。弥次郎が聞いたら、何とも喜びそうなチュウニくささであるな」


 私たちは顔を見合わせ、笑い合った。

 なんとも豪快な話ではないか。こんなところで祟り神の手伝いなどさせている場合ではなかったわ。


「……これでもう、残すは夜行院のことのみとなったな」


 そう呟くと、翡翠丸は前世も含めて初めて、必要に駆られてもいないのに私に触れた。

 指を絡めるように右手で私の左手をすくい、空いた左手で私の頬を撫ぜる。翡翠色の瞳をまっすぐに向け、真摯な声音で言葉を紡いだ。


「姫が此度の転生で成し得ようとされたことは、二つございました。一つは夜行院への復讐。そしてもう一つは、この翡翠丸を元の世界へと戻すこと。……お間違えはございませんか?」


 確かめる必要など、どこにもないのに。

 翡翠丸はあえて言の葉に乗せた。


「……そうだ」


 魔力さえ回復すれば、自然と元の世界へ戻れるのだから、翡翠丸については余計な世話であったが。


「転生が成せた今、夜行院への復讐よりも、翡翠丸を知ることを姫は優先されました。あの時、目前に迫るご自分の死よりも、残る翡翠丸のことを心配されたのはなぜです?」

「……翡翠丸は、なぜ今に限ってそのように意地が悪い? 全てを覗き見たのであれば、問う必要はなかろう?」


 翡翠丸は知っていて聞いているのだ。

 転生の一番の理由であるはずの復讐を放り出し、なぜ先に自分のことを気にかけているのかと。

 知っていて言わせたいのだ。

 私が何よりも翡翠丸のことを大切にしていると。


 耳たぶまで熱を持った顔で困り見れば、翡翠丸は今まで見せたこともないような美しい笑みをこぼした。


「姫は、この翡翠丸を好いておられますか?」

「………………~~っ、痴れ者……っ」


 のど奥から出てきた声は、自分のものではないくらい、か細いものであった。目いっぱい睨んでみても、翡翠丸はニコニコとしている。


「翡翠丸は姫より愛おしいものを知り得ません。姫が望まれるのであれば、何でも手に入れてみせましょう。願いがあれば、全て叶えて差し上げたいのです。姫の転生を待つ間、魔力は十分に溜まりました。心を悩ませるものがお在りなら、残らず焼き尽くします。山を消すことも、川を干すことも今なら容易いでしょう。姫がお望みであれば、夜伽も精一杯、務めさせて頂きます。どういったものかは存じませんが、知識ならネットからいくらでも──」


 舌を噛みそうになった。

 自分が何を口走っているのか、翡翠丸はわかっているのだろうか。


「った、あ、ま、待っ……て!」


 アタッシュケースに手を伸ばそうとした翡翠丸を慌てて止める。夜伽という言葉は、恐らく輿入れに際し、私が母上から聞かされていたから出てきたのだろう。何をするのかは相手に任せれば良いとされていたため、私も詳しくは知らない。知らないが、知るのはまだ早いというか、何となく恐ろしいことのように感じられた。


 母上は夜伽の相性が悪ければ、夫婦として、その後の人生は最悪であると言っていた。

 自分は我慢すれば良いが、相手に気に入られなければ、離縁になることも珍しくないのだとか。

 そのようなこと、今はまだ知るための心の準備が出来ていない。もし翡翠丸に合わないと言われてしまったら、私は──……っ。


「っよ、夜伽……は、私も詳しくはないゆえ、そう急ぐ必要もないと思う。今はまだ、翡翠丸と言葉を交わすなどして、ゆっくり過ごしたいと思っている。……それでは嫌か?」


 じっと見つめて答えを待つと、翡翠丸は柔らかく微笑んだ。


「いいえ。姫とゆっくり過ごせるのに、何を嫌と言えましょう。……ですが、宜しければ一つだけ願いを聞いて頂けないでしょうか?」

「……願い……?」

「はい。翡翠丸は姫のご依頼を受け、記憶を守り抜きました。つきましては、その褒美を頂きたく」


 思えば、翡翠丸から何かを望まれたのは、これが初めてであった。しかし、褒美か。


「今の私に出来ることは少ない。それでも叶えられることであろうか?」

「もちろんでございます」

「わかった。私に出来ることであれば何でも叶えよう」

「……言質、確かに頂きました」


 ぐっと握る拳に力を込め、翡翠丸は私から見えないところで口の端を上げた。


「それで? 願いとは何だ?」

「は。今後は許可を取らずとも、姫に触れて良い権利を頂きたく存じます」

「…………私に、触れる? そんなことで良いのか?」

「はい」


 翡翠丸は今までも節度を守り、必要に応じて触れてきていた。今さらこんなものが褒美になるのだろうか。


「あいわかった。その願い、聞き届けよう」

「! 本当でございますか?」


 何が不思議なのか、翡翠丸は目を見開き、私をじっと見つめた。


「本当でございますね?」


 なぜか念を押されている。信用されていないのだろうか? 私は少しだけムキになった。


「無論だ。誓って二言はない」

「……っ。これに勝る褒美はございません。心から嬉しく思います」


 翡翠丸は満面の笑みを浮かべ、喜んだ。


 そして、せっかく部屋に露天風呂がついているのだからと勧められた私は、ことが起こってから己の過ちに気づいた。


「姫、お背中をお流し致します」


 二言はない。

 そう。二言はないけど、私は逃げた。



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