Ep 8/8 口を慎みたまえ、モモンガ野郎
「ピィィッッ……助かったよぉぉーっ、ごすずぅぅーんっ!」
「……ついに洗われたか。まあ、あそこは宿だからな。ダニやノミはお断りだろう」
もちろんそれはレオパルドンだ。
俺も長く生きたが、召喚したらソイツが洗われていたというパターンは初めてだな……。
「ボクチンに悪い虫なんてついてないよぉっ!」
「獣は皆そう言うのだ」
「喋る魔獣はボクチンだけだよぉっ!」
「ああ、言われてみればそれもそうか」
泡まみれのびしょ濡れのモモンガが、ふわふわと小さなシャボン玉を飛ばしながら空を滑空して、俺の二の腕に飛び付いた。
主人の服の袖を汚すなど、躾のなっていない使い魔だ。まあ……別に構わんが。
「待った待った待った待ったちょっと待ったっ!」
「なんだ?」
「それのどこが魔獣王だねっ!? このツァルト、もう少しでチビりかけたというのに、どこからどう見ても無害な害獣ではないかね!?」
「本人が魔獣王と名乗ったら魔獣王だ」
この俺の使い魔が、犬猫に敗北するほどの雑魚と知れては顔が立たんしな。
せめて肩書だけでも昔のように勇ましくしておこう。
「ボクチンは害獣じゃないよーっ! お前こそ、身の程を知れ、おしっこ臭い人間めー!」
「こ、こここ、このツァルト・ワーグナーッ、お前のようなチンチクリン相手に漏らしてなどいないっ!」
「おやおや、フフフ……」
「漏らしてないって言ってるじゃないですか、学長っ!?」
「ボクチンにはわかるんだ。お前、おしっこ臭いぞ」
「うぐはぁっ……! だ、だって……だって、出てくるのがこんな泡泡の超かわいい生き物だとわかっていたら、一滴だって漏らさなかったもんっ!」
気の抜けるやり取りだ……。
肝心のウィスピーベルはどこだと探してみれば、俺がエドガーと入れ替わったのが悪かったのか、また石柱の影に身を半分隠してしまっていた。
「取り込んでいるところ悪いが、レオ、アレと話を付けてくれ。エドガーが駆除を拒んでいてな」
「あ、ウィスピーベル。おーけー、こういうのはボクチンに任せろ、ごすずん! このボクチンが、ごすずんの偉大さを、一から教えてくるよっ!」
戦闘力を持たないレオだが、こういった局面になら使える。
「キュッキュキュッ……キュルルルッ!」
「……?」
「キュキュ~! キュ、キュルルーッ、ピィッ!」
「……!」
何を言っているのかわからんが、意思疎通に成功したようだ。
空飛ぶ変なモモンガの周囲を妖精がクルリクルリと回って、星空のように美しい鱗粉をまき散らした。
レオがピィピィキューキューと鳴いて、ウィスピーベルが空中を舞い踊る。そんなやり取りがしばらく続いた。
ほどなくして、レオが石柱を蹴って勢いよく俺の胸に飛び込んできた。……相変わらずのずぶ濡れでな。
「喜べ、ごすずん! ウィスピーちゃん、ごすずん好きだって! ごすずんの家来になるって! つまり……ボクチンの初めての後輩だぁっ! やった、やったよぉ、ごすずぅーんっ!」
「よくやった。だが一つだけ言わせろ、人の服でずぶ濡れの毛皮を拭くな……」
「もっとボクチンを褒めてよ、ごすずんっ!」
「だから、よくやったと言っているだろう……。ああ、よしよし、お前はよくやった……」
「ピィィーッッ、ボクチン嬉しいよっ、ごすずんっ♪」
恥をさらしているような感覚だ。
恐る恐る学長に流し目を向けると、彼は俺たちを見てやさしく笑っていた。
あの陰険キザ野郎も動物には弱いのか……?
「フフ……お久しぶりです、レオパルドンさん」
「んー? お爺ちゃん、ボクチンのこと知ってるの?」
「ええ、あなたのような個性的な魔獣の王は、一度見れば忘れられるものではありませんので」
「えっへん! ボクチンが恐ろしくて、忘れられなかったようだな!」
続いてその目が鋭く光り、レオではなく俺の方に威圧を放ってきた。
「私たちは元々は敵同士でした。時代が変わったとはいえ、魔法を使える平民に、世界はやさしくなどしてくれないでしょう。こうなった以上は――」
「なんだ、老いさらばえた今でも現役気取りか? ウィスピーベルなら俺の家臣になった。もう危険はない」
俺とエドガーは最強だが、全世界を敵に回すことになれば、生前の二の舞は確実だった。
同じオチを二度繰り返すほどこちらは愚かではない。
どんな手を使ってでも、この陰険ジジィには味方になってもらう。俺たちは睨み合った。
「学問所の風紀を乱しますので、あの妖精には速やかに服を作って差し上げませんとね」
「わ、私はそんな変な目で見ていないであるっ! じーー……おぉ、こんなふうになっているのであるなぁ……これは勉強になる……。ぉ、ぉぉ……」
しかしどうやらこれは、学長にからかわれていたようだ……。
ツァルトのアホはウィスピーベルの裸体に顔をド近眼に近付けて、その目玉を血走らせた。……当然、すぐに細い足に蹴られた。
「ウィスピーちゃん、ヘンタイ、キモイ、このザコ、おしっこ野郎。って言ってるぞ。ボクチンから見ても、キモいぞ、お前……」
「ガーンッッ!? さしもの私もモモンガごときにキモイとか言われたの初めてだよ!? ええいっ、言葉を慎みたまえこのモモンガ野郎ッ!!」
小動物相手に張り合うな、ツァルト……。
しかしこのままだと、レオが生乾きになりかねん。
そこであまり気乗りしなかったが、俺はレオを胸に抱き込んでこちらの服に水分を吸わせた。
焼け石に水だが、身体を壊されるよりはまだいいだろう。
『アルクトゥルスって……』
『急に話しかけるな、ビックリするだろう……』
『それはこっちのセリフだよ。それより君って……』
『違う。これは俺の使い魔だ。俺にはコイツを管理する義務がある。それよりも身体を返すぞ。後でお前にはもう一仕事してもらうがな。……ああそれと、レオはちゃんと温めてやれよ』
・
こうして迷宮内部に進入したバランスブレイカーを取り除いたことにより、迷宮実習中止の危機を俺たちは乗り越えた。
エドガーにかかった理不尽な冤罪も、事態の解決により陳腐化し、むしろ迷宮の正常化に尽力したとして、エドガーを評価する生徒や教師すら数多く現れた。
しかしこの日の出来事はここで終わりではない。
その放課後、エドガーは俺からの提案に首を縦に降り、自らの意思でフランク・リーベルトへと接触した。
エドガーの接近を受けて、当然ながらフランクのやつは激しい憎悪をこちらに向けた。
だがエドガーは臆さない。ヤツは迷宮の亡霊リシュリュに同情していた。
ついさっきまで妖精をかばっていたのに、エドガーは亡霊にだって復讐する権利があると、俺に言った。
矛盾しているかもしれないが、事実その通りだ。
「さようなら、フランク先輩」
「ふんっ、それで皮肉のつもりか? いい気になるなよ……必ず貴様を、殺してやる……」
「どうかな……。今は自分の心配をした方がいいと思うよ……」
首の折れたリシュリュが怒りのうめき声を上げた。
エドガーの肉体を媒介として、復讐の亡霊がフランクに乗り移るのを俺たちは見届けた。
エドガーは確かに軟弱で、甘くて、こっちが庇護欲を覚えるほどにやさしい少年だが――間違いなくこれは俺だ。
コイツから人生を奪い取っても意味がない。そのことに俺も気づいた。
俺はコイツを、あのジジィの忘れ形見をこれからも見守ってゆこう。
俺たちは平穏な日常へ、あの丸白鳥亭への帰路についた。
『ねぇ、アルクトゥルス』
『なんだ?』
『ありがとう。今日のことは、全部君のおかげだよ……。僕は君からすればきっと頼りないかもしれないけど……これからも、僕を見守っていてね……』
『あきれたヤツだ……。だからお人好しといわれるのだ、お前は』
石鹸臭いレオはあの後、ウィスピーを連れて宿に帰らせた。
手ぬぐい一枚をまとっただけの素っ裸であることも加えて、色々と危険な妖精だが、丸白鳥亭のあの親子ならば心配いらないだろう。
いつもの薄暗い近道を使い、エドガーは丸白鳥亭という我が家の前までやってきた。
するとそこには、ウィスピーベルを頭に乗せたティアがいた。
誰が用意したのか、本来全裸を好む妖精が、かろうじて程度のかわいらしい服を着ている。
おまけにティアは隣のタルにはレオを乗せて、何やらその目立つ役者たちを使って客引きをしているようだ。
「あ、エドガー! おかえりぃぃーっっ! あのなーっあのなーっ、レオポンなーっ、ひかってなー! そしたらなーっ」
「知ってるよ。消えたんでしょ?」
「えーーっ! なんでわかるのーっ!? エドガーしゅごい……! あ、それでね、あのね! ウッピーちゃん、エドガーのこと、だいすき、だって!」
「あはは、そう思われていたら嬉しいな」
「ほんとーだぞー? ねーっ、ウッピーちゃん」
気持ちを表現しようとしたのか、妖精がエドガーの周囲をハチのように素早く何度も旋回した。
もしかしてレオが意思を翻訳したのだろうか……?
「おぉぉ……ウッピーちゃん、だいたん……。あのね、いまね、ウッピーちゃんがねー。エドガーと、けっこんしたいって、いってるよー!」
「お前、なんでさっきから妖精の言葉がわかってるんだよーっ!? ぅぅ……っ、これ以上、ボクチンの仕事を取るなぁーっ! うわーんっ、ごすずぅーんっ……!」
それは驚いた。なぜ人間が妖精と言葉を交わせるのだろう。
――といった質問は当然ながら生じるが、まあ、ここで一緒に暮らすならば不便がなくていいだろう。
この宿の一家はやはりどこかがおかしい。
しかし彼らが常識外れた能力を持っているからといって、俺とエドガーにはこれといった不都合もない。
「あ、それよりティア。もしかしてこの服、クルスさんが作ったの?」
「はーい、実は~、そうなんですよ~♪」
いや、尋常ならざるこの地獄耳だけは、まだ慣れそうにないな……。
・
後日談――
それからしばらくの間、フランクは王立学問所を欠席した。
残念だが魔力を持ったフランクを、あの滅びかけの亡霊が呪い殺すのは不可能だろう。
だが憑り付いて、首の折れたの亡骸を見せながら、呪詛の言葉をただ繰り返すだけでも、加害者であるヤツを精神的に追いつめることが出来る。
じっくりとやれと、亡霊リシュリュにはそう進めておいた。
満足したら、その魂を俺にくれとも言ったかもしれん。
その効果は抜群のようだ。
ちなみに共犯者でもある担任のレイテもまた、数日の間だが学問所を休むことにしたそうだ。
なにせ昨晩、レイテが家でゆっくりしていると、局所的な地震に見舞われて、家財道具の全てがひっくり返ってしまったそうだ。
隣の家は無事だったのに、レイテの家だけ地震に遭うだなんて、よっぽど日頃の行いが悪いのだろうな。ククク……。




